まだ東京で消耗してるの?的な、夢のお告げ
昨夜久しぶりにはちゃめちゃな夢を見た。
何がはちゃめちゃかって、登場人物の繋がりのなさ。夢ではあるあるだろうが、最近仕事の夢なら会社の人たちが、家族の夢なら家族が、とある程度は整合性(?)があったので、久々のカオス具合に目覚めてからもしばらくぼーっとした。
しかしそのカオスな登場人物たちは私に訴えてきたのである。少し前、「まだ東京で消耗してるの?」という本がかなりブームとなっていたが、まさしくそんなニュアンスで、今の私にメッセージを投げかけてきたのである。
スピリチュアルでも何でもなくて、ただ私の勝手な解釈に過ぎないが、結構重要な気がするので記録しておく。
昨夜の夢
そこは高台にある海の近くのやたら大きくて洒落た一軒家。
壁紙はコバルトブルー、窓枠は白や茶色、ちょっとした庭にはテーブルと椅子、気持ちの良い庭だったのになぜかサッカーゴールの網みたいなやつで天井も全て覆われていた(夢の中の私は、あぁボール遊びとかしてもボールがどっか行かないようにね、ナイスアイディア!と納得していた)。
家の主はもう数年間も存在すら思い出すことのなかった、学生時代の恋人(爆)。見た目は海の似合うチャラ男であったが、中身は真面目で優しくて優柔不断であった。
彼が家の中を案内するのだが、ここは彼が1人で住んでいるのか、実家なのかはわからないし、誰も聞かない。
私の他にその家の案内ツアーに参加していたのは、今の会社の同僚と、小学校の時によく遊んでいた友達であった。
家の案内が終わると、皆で外に出て海の方へ向かう。気持ちの良い風が吹き抜け、真っ青な空が海と一体化している。
外を歩き振り返ると、私たちの後ろに何人かの人たちが同じように歩いていて、知らない人もいれば、高校の時の同級生とか、クラスが同じになったことはないけど顔は知ってる、みたいな人とかがいた。
朧げだが、うんと小さい頃に習い事で一緒だったような子も混ざっていた気がする。
誰も何の疑問も持たない。私も。
ただただ海方面に向かって気分よく歩く。そしていつの間にか家の主である彼はいなくなっていたのである。
目覚めたらもう朝で、息子がトイレに起きていたのだが、しばらく頭があちらの世界から戻ってこなかった。
夢は永遠のミステリーというけれど
夢は不思議だ。長年解明されていない永遠のミステリーである。だが、潜在意識とか心の奥にある願望が反映されている説は、割と信じている。
しかし。
なぜ今更彼が?
あの家は一体?
なぜ海に向かっていたのか?
登場人物たちの時代やら年齢やらのカオス具合。
確かにマイホームは買いたいと思っているが、一軒家ではないし別に海辺が好きという訳でもない。
かつて共に若かりし日々を過ごした彼の存在を思い出す機会は、遠い親戚より少ない(失礼)。
この夢はただの夢か。何か意味があるのか。
庭を囲っていたサッカーゴールのような網は、自由になりたいけどなれない今の私の状況を表しているのか。いないのか。
そういえば、大人になっても定期的に夢に出てくる、中学時代に片思いをしていた男子がいるのだが、その話はまた改めて書きたい。
どの時代もこの私で生きてきた
人生は今の連続である。
小学校の友達とか、はるか昔の幼馴染とかが夢に出てきた時、不思議と違和感がないのは、「確かにその時代に自分は生きていて、確かにその友達らを知っていて、彼らも確かに私と共にその時代を生きていたから」だと思う。
今となってはいっぱしの大人として生きているが、誰もがそうであるように確かに子ども時代があったし、赤ちゃん時代があった。思春期もあった。
例えば夢に出てきた小学校の友達は、12歳の頃の夏休みを思い出させた。
高校の頃の友達は、皆それぞれに過ごす放課後の教室前の廊下を思い出させた。
うんと小さな頃の幼馴染は、自分や彼女の母親だったり、一緒に通っていた習い事の教室や古いエレベーターを思い出させた。
そう、確かに、その時代に、その時代の自分で生きてきたのだ。
だから今の自分がいる。
どれもこれも自分のルーツなのだと当たり前のことを思った。
そしてこうしている【今】も瞬く間に過去となり、未来の自分に繋がって行く。
人生は、短い。
12年後という単位で考えてみたら恐ろしかった
このくらいで壮大な話はやめておきたかったが、寝ぼけ眼の私の頭にある数字が浮かんだ。
12
12歳の夏休みを思い出させたあの友達。
12歳って、我が子たちを思うとすごく大人に感じるのだが(小6なので実際かなり自分達は大人だと思っていた。小学生の間までは)、12年しか生きていないのだ。
生まれて12年。驚異的なスピードで成長する最初の12年だ。
次の12年はー
24歳。もう大人だ。結婚して子どもを持つ人だっているくらい。これまたたった12年で信じられない程のスピード。なんたって子どもが大人になるのだから。
次の12年はー
36歳。私は大体今このフェーズを生きている。社会人として中堅となり、家庭を築いている。子どもはまだ小さい。
次の12年はー(ここから色々青ざめる、、)
48歳。息子はなんともう成人式を迎えている。大学進学で家から出すなら、とっくに独立している。娘は中学生。
ー想像できない。
次の12年はー
60歳。息子はもう結婚して子どももいて一家の主になっているかもしれない。娘は結婚適齢期に差し掛かる頃か。私の結婚式で黒い和服に身を包んだ母が思い出された。
次の12年はー
72歳。もう少しで後期高齢者に突入する。息子は今の私より年上、娘も少し私の年齢を超える。ー空想の世界の話のようである。
次の12年はー
84歳。この頃まで生きているかわからないが、息子は56歳?娘は50歳??
ー日本も世界もどうなっていることやら。
私の両親は確実にこの世にいないだろう。
次の12歳はー
96歳。息子67歳、娘61歳。今思ったが、6歳差兄妹は今でこそ相当歳の差があるように感じているが、さすがにこの年になったら違いをあまり感じない。なんなら84歳から96歳で何がどう違うのか、どこまで老いるのか、もはや想像だにできない。
次の12歳はー
108歳。生きていない可能性は大いにある。息子79歳、娘73歳。
本当に空想の世界の何者でもない、全く想像ができない。その頃世界は、地球はー
ここまでお付き合いいただいた方には多大なる感謝をお伝えしたい。昔から壮大な妄想は止まることを知らないのである。
とはいえ、これは妄想というより、生きている限りいつか必ず来る時代のことなのだけど(ちょっと怖い)。
お気づきの方もいるかもしれないが、こうやって字に起こすと12年という歳月はあっという間である。その12年を数回繰り返せばもう人間の寿命が近づいてくる。
何が言いたいかと言うと、人生は短い、月並みだがそんなことを改めて思ったのだ。
まだ東京で消耗してるの?的な
人生は短い!ということを改めて感じた所で、夢に出てきたあらゆる時代の友人や知り合いが私に訴えてかけるのである。
このままずーっとモヤモヤした人生を過ごして終わるのか?
上司に気を遣って会社の評価にビクビクして、神経すり減らして歳をとるのか?
最愛の息子や娘との時間もろくに取れずに、会社に人生を捧げて残るものは何か?
こんなんじゃなかった、と後悔した時にはもう体も頭も働かなくなってるんじゃないのか?
人生を振り返った時に満足できる日々を送っているか?
今は(若くはないが)まだまだ体も頭も効くしいくらでもまだ挑戦できるよね?
モヤってる場合じゃない。会社に人生捧げて命を削っている場合じゃない。
時間は有限なのだ、イマイチな場所で消耗してる場合じゃないよね、と強く思った。
ちなみに、「まだ東京で消耗してるの?」の著者イケダハヤトさん曰く、東京は人が多過ぎて仕事で頭角を表すのは難しい上に、給料のほとんどは東京で暮らすための住居費に消える「終わってる」町とのこと。
確かに、言えてる・・・
しかしまぁそのバカ高い住居費のために「働かねば!」というある種原動力になっているような所もあり、イケダハヤトさんの言うように「東京はご飯が貧しい」とも思わない。
人は確かに多過ぎるけども、ニューヨーク程ではないし、住居費だってニューヨーク程ではない。
だから今のところ地方へ移住する気はないのだけど、【東京で消耗してる】のは確かかもしれない。
18歳で地方から上京してきたが、あのまま地方都市に残っていれば全く違う人生があったろう。
だが全てが地域の問題という訳ではない。
育休中にハマった米ドラマ This is usでも同じようなことを感じたが、とにかく人生は一度きりであり、有限であり、思ったよりも短い。
そんな中で少しでも豊かに、楽しく、幸せを感じる時間を多く過ごせたら良いなと心から思う。
そしてその選択をするのはいつでも自分、なのである。
自由に決められるのだ。
自由って、難しい。
そんなことを思っていたらまたThis is usをシーズン1から見たくなった。
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