仮説

もしかして、だけど

私は本当は、気力が充実しているときには
気圧や気温の変化や、その他いろんなものからの刺激にも対応しうるのであって

これまではそのすべが足りなかった、もしくは、私の回復を待たず余りにも多くのストレス因子が押し寄せてきていたから
対策が追いつかなかっただけなのかもしれない。

相変わらず、刺激に反応しやすい性質ではあるけれど
自分がどういう刺激にどういう反応をして、それに対してどんなふうに対応すればいち早く元の調子に戻ってくるか、
最近は少しわかってきたように思う。
(これが思い過ごしだったら笑えるけど)

自分の精神面を把握するのに3年、
身体面を把握するのに3年。
(受診当初まで遡ると、トータルで7年)

終わりがないように見えた果てしない旅だけれど、もしかしたら蟻地獄から地上に抜けるための、光が見えつつあるのかもしれない。

しかし油断は禁物だ。
まずはここから一年間、著しく日常生活が妨げられるような大きな不調に陥らずに過ごすこと。

そうして安定が得られたとして、その先にさらなる発展があるのか、それとも、現状維持を最大の目標として、ただ淡々と歩き続けるのか。
今の時点ではわからない。

願わくば、今まで、望むべくもなかった、望む気力すらなかったいろんな幸せを、前向きに望めるようになりたい。
特別なことでなくていいから。
着実な日々の先に、きれいなお花畑があってくれたら嬉しい。
いつか、あなたが言ってくれた、
「ひとってそんなに悪いもんじゃないよ」
て言葉を、私も同じように伝えることができたら嬉しい。

そうだね。
案外、そんなに悪いもんじゃないね。

足元を見られなければね。笑