むかしのことを

思い出した。

歌を習いだした最初の頃の話。

通ってたスクール主催のオーディションLIVEを観に行った。
母とふたり。慣れない街中を歩いて。

出演してた人たちは、皆ステージ慣れしてはいるけれど、お世辞にも上手いとは言えないレベルのひとも多く、オーディションを経て選ばれた面子とはいえ、全体として内輪ノリの印象が否めない感はあった。

大学の部活で、似たような馴れ合いのステージを多々みてきた手前、正直に言うと
「なんだ、やっぱりこんなものか」
と思ってしまったことは事実だ。

だけど、その中でひとりだけ、強烈な輝きを放っていたひとがいた。

ギターを抱えて歌い、きれいにMCをまとめると、流れるようにピアノに移りオリジナル曲を弾く。
当時、所謂シンガーソングライターというのが流行りではあったから、その演奏形態は決して珍しいものではなかったけど、彼女の曲や声はほんとうに澄んだ輝きにみちていて、こんなすごい子が福岡にいるんだ、と圧倒されたのを覚えている。

私はその時点で既に医学生だったから、本格的に歌の道を目指すなんて選択肢はまずなかったけれど、その人を見ていたら、「きっと迷いなくうたの道に進む人はこんなふうなのだろうな」と、悔しさも憧れもなく受け入れてしまった自分がいた。

後になって、歌の先生が、あの子は大手の事務所と育成契約中なんだよ、と教えてくれた。
あんなにうまくて、人の心を動かす曲が作れるのに、それでもまだデビューにはならないらしい。
もう十分完成している気がするのに、育成してる間に、今いちばんの輝きを逃してしまうんじゃないかと、他人事ながら心配になってしまった。
おそらく10代であろうその子は、自分の未来を信じて疑わない強さと美しさがあり、なによりそれを信じてしまえる純粋さがあった。
未来に向かって突き進むその瞬間の美しさが、私が見たステージの全面にあふれていて、眩しくて息もできないくらいだった。

私も最初の受験のときは、こんなだっただろうか。
大きな大きな失敗を、そしてそれに続く孤独で惨めな時間を、知らなかったときだったら。
こんなふうに一心に目指せただろうか。
そんなことを思っていた。

一心に志して、私はここに行くしかないのだと信じきっていたあの頃。
そこで何をするかなんて本当には想像ついてなくて、ただそこに辿り着けば、ここではないどこかに行けば、新たな道が拓けるのだと、信じて疑わなかった日々。

それが、大人達の思惑と、色んな幻想が投影された脆い夢だったと知ったときの絶望感。
どこにもない世界を渇望する気持ちと、何者でもない自分を受け入れるしかない虚しさに打ちのめされる、廃人のような日々。

あの苦しみを知る前の私なら、こんなふうに一心に目指せただろうか。
どこで、どんなふうに舵を切ったら、こちらの世界に踏み込めたのか。
どんなに想像してもわからなかった。
何故なら私は生まれた時から医者の家系で、そのほかの生き方を知る術もなかったから。
どうあがいても交わりようのない路線に乗って走り始めた列車みたいだった。
私は医者の家系に生まれて、でも母子家庭で、だから一刻も早く自力で生きていけるようになりたかった。
そのためには、不確定要素が多すぎる音楽という道ではだめだった。
医者じゃなくてもいい、私がひとりで生きていけるための何か。強くて確実な職がほしかった。
そう思うとやっぱり、自分が選ぶ道はこういうふうにしかなり得なかったのだと感じて、それなら今感じるこの焦りのような、じりじり胸を灼かれるような苦い気持ちはなんなのかと、しばし考えこんだ。
だけどやっぱり、そのときの私にできることはひとつで、ただ目の前の勉学に励み、ひととおりの義務をこなして、いっぱしの医者になるべく邁進することだった。
私が医学生だからといって、資格もない身ではただの穀潰しでしかない。
育った家はなくなって、その後処理に追われる母に、ぼろ雑巾か何かのように振り回され、搾取されても、私には何も対抗できる術はない。
私は無力なのだから。
だから、早く、早く資格がほしかった。
はやく自立したい。
自分のことくらいは自分で賄えるように。
何もできない自分を卑下しなくて済むように。
私が私を勝ち取るために。

あのころは気づかなかったけれど、母とふたりきりの生活にも限界を感じていた。
仕事を理由に、はやく抜け出したかった。
ゴミ箱か汚いぬいぐるみのような扱いは嫌だった。
でもそう思う自分が悪いような気もした。
直視せざるを得ないことと、直視するわけにはいかないことがせめぎ合って、今にも発狂しそうだった。
ギリギリの均衡を保って走り続ける当時の私に、あの輝かしい彼女のような在り方なんて想像できなかった。

ただ、ああ、私は、こういう人生なんだな、と、諦めたような、何かを噛み潰したような無味乾燥な気持ちで、ただぼんやりとその輝きを眺めていた。

私は、何者でもなかった。

いま、そんなあの時のことを思い出して、やっぱりああするしかなかったなあ、と思う。
どうして私はこっちじゃないんだろう、と散々何かを憎んだ時期もあったけれど、やっぱり私はこういうふうにしか生きれない、こういう境遇に生まれて、こんなふうに進んでくることしかできなかったなと思う。

いま、あんな眩しい輝きを放っていた彼女は、10年経って、どうしているだろう。
今すぐにでもメジャーでCDを出せそうだったのに、その名前を聞くことがないのは何故だろう。
願わくは、不埒な大人たちに騙されて、搾取されて、不要な傷をこさえたりしていませんように。
たとえ傷つくことがあっても、汚い思惑に負けそうになっても、それを上回る素敵なつながりが彼女を導いてくれますように。
メジャーデビューじゃなくても、彼女にしかできないやり方で、その輝きを世界に放っていますように。
そしていつか、その歌声を、私も聞くことができますように。

本当に素敵だったから。
そんな存在が、全うに報われる世界であってほしいと思う。
そんな願いを込めて。

穂波さんへ。