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神様の忘れ物。
私が、幼稚園の頃に聞いて、ずっと覚えている言葉。
「神様の忘れ物」
私のnoteを読んでいて下さっている方には耳タコかもしれないけど、私は、施設育ち。
2歳で繋いだ手を離されている。
たぶん母はどこかに生きている。
そして父はいなかった。
もちろん、生物学的父親は存在するよ。
そうじゃなきゃ、産まれられないし。
この「神様の忘れ物」は同じ施設で育った当時、高校生のお姉さんが言っていた言葉。
本当にそうだとは思えなかったけど、今になってそう思うことがある。
施設の職員さんに何か愚痴を言ったり、不平不満を言うと、決まって返ってくるセリフがあったの。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」
「乗り越えられると思う人にしか与えない」
だから、耐えろってことね。職員さんとしては励ましの言葉だったのかもしれないけど、私たちにしてみれば、ずいぶん都合の良い言葉だなぁと思ってた。
確かに私たちの施設は、恵まれていた方だと思う。衣食住に困らず、お風呂は週2回でも入れたし、暴力を振るわれる事もなかった。
でも、いつも親がいない事を意識せずにはいられない生活だった。
幼稚園に行っても学校に行っても、施設からの通学がバレると周りの態度が急変した。
熱を出しても誰も迎えに来てくれない。すごく高熱になれば施設の職員さんが義務的に来てくれたけど、明らかに面倒そうだった。
授業参観、入学式や卒業式何一つ誰も来なかった。
後ろを振り向き手を振る子を横目に見ながら、やり過ごした。
そんな事が続いてイヤになりかけた時、お姉さんの「神様の忘れ物」という名言を聞いた。
世界中にたくさん子どもがいるから、幸せにするのを忘れちゃうんだって。神様も忙しいから、たまに忘れちゃうんだよ。だから、しょうがないよ。
その時、何だかとてもホッとした。
職員さんたちはみんな、大人目線で耐えろと間接的に言っているけど、神様の忘れ物と考えたら、気が楽になった。
その後、このお姉さんがいなくなった後、私も同じように「神様の忘れ物」というフレーズで小さい子を慰め、自分自身にもそういい聞かせた。
そして、今、また病気になり、自由を失いつつある体に、神様の忘れ物だから仕方ないよと言い聞かせて、毎日を生きてる。
神様は忘れ物取りに来ないかな?
結構長い時間忘れられてるんですけど。
ケアされる側の方が多いし、見下される事も多くなった。
なんてったて、車椅子だし、人は見た目で人を判断するからね。
悔しい。過去に戻れるなら戻りたい。
出来れば、産まれる前に。
最後、壮大な愚痴の後だけど、私はこの人生を、諦めてはいないの。
また、取りたい資格を見つけたの。
今年取れれば最高だけど、国家資格で手強いの。
実はこの資格、若い時から受験してて5回落ちてるんだ。
でも、何か今年いけそうな気がするの。
もしかしたら、推しの才雅さんのXアカウントを取り戻せるかもしれない。
その資格で、SNS凍結解除等を専門にやっている人のHPを見つけたから。
かなり、モチベーションは高い。
後は、病気の進行具合との勝負かな?
私がその時、3時間通しの試験に耐えられるか?
記述式の問題の回答を手書きでしなければならないから試験官が読める字を、この震える手で書けるか?
1番の問題はそこ。この間のCBT試験みたいだったらマウス動かせれいけるけど。
どんなに痛くても辛くても諦めない。
そうすれば、きっと、神様も振り向いてくれるよね?
私は、今年「行政書士試験」にチャレンジします🍀
今年の抱負、2つ目の発表でした☆
希望を持っている人間は強い。自分を信じて。
~おしまい~