
敬宮様のかいこのお話 ~ 裏にある黒い思惑~
昨日は暖かく、散歩仲間の二人にも出会い立ち話、久しぶりでした。ラブは犬の挨拶ができるようになり、お尻クンクン、昨年はしなかったけど・・。オスのパグ君におしっこかけられてたわ~
春になったせいなのか、敬宮様の蚕の話を思い出しました。
令和になり宮内庁から発表された、敬宮様が小学3年生から蚕の飼育をしているという、突然とも思えた発表でした。
敬宮様に希望を見出している人々の間では、大いに盛り上がる話題で
さすが将来の天皇、なんと素晴らしい話、と蚕の話から必然的に、天皇の資質や敬宮様の優しいお人柄、根気強さなどなど、たった一つの話題でこれほどの情報が湧きでて.
その将来までも暗示するというメッセージ性のある発表でした。
上の動画は、敬宮様の蚕の飼育が表に出た経緯を説明しています。2020年5月、皇后陛下の養蚕のお仕事が終わることを宮内庁侍従長が発表した際に
敬宮様の蚕の飼育に触れられ、記者会が是非、写真などの公開をと求め
後日、改めて経緯や写真が発表されたという流れです。
何故侍従長が、皇后さまは一連の養蚕の仕事を終えられたと発表したのか?
当時、皇后になる前に流された、雅子様は虫が嫌い、触れない というデマのためでしょう。その払拭と、虫と親しんで飼育する環境にあること、敬宮様もそうであることをわかりやすく国民に知らせたのだと思います。
デマはどこから来たか?ということですが、それはもう赤坂のご隠居婦人でしょうね。
そもそも、敬宮様がお生まれになった翌年の美智子様の誕生日の文書で真子さん、佳子さんと養蚕作業をしたとしています。
【養蚕のときに,回転まぶしの枠から,繭をはずす繭掻きの作業なども,二人していつまでも飽きずにしており,仕事の中には遊びの要素もあるのかもしれません。敬宮が大きくなり,3人して遊んだり,小さな手伝い事などができるようになると,また,楽しみがふえることと思います。】2014・12・誕生日文書 生前退位が内々で相談されていた頃
と書いていますが、何のためでしょうか?
雅子様に皇后を譲る気がないから、眞子さん方を引き合いに出し孫に教えても、あなたには教えないと言ってるのですよ。
孫と養蚕をしている写真を探しましたが、ありませんでした。
ご覧になった方はいますか?写真お持ちの方はいらっしゃいますか?
私はこの文書は、孫としてもいない嘘を書いたと思ってます。
美智子様の養蚕作業の日程、10年分です。
H7年、2回 H8年、2回 H9年、0回 H10 年、0回 H11年、2回H12年 0回 H13年、2回 H14年、2回 H15年、5回
H16年、2回 H17年、2回
2回の内最初の1回は儀式、2回目が給桑です。しかも平日で、ほぼ午前や昼前後の作業でしょうに眞子さん、佳子さんは小学高学年。
誕生日文書の後だけ回数が多いのはどうして?
皇后の務めをきちんとしなかった方は、どなたでしょうかね?
yoshiepen様の記事を引用させて頂いてます。
敬宮様の蚕の飼育について書かれ、 前皇后の意地悪により雅子様にかけていた圧力 雅子様を支えていた敬宮様は皇女として伝統の担い手であることが書かれてます。
後半がとても大事なのですが、
『大嘗祭−−天皇制と日本文化の源流』の著者、工藤隆氏の著書を参考に次のように述べてます。 以下記事引用
【大嘗祭というものは、近代的な意味での法秩序とは別次元の所に位置していて、それは縄文・弥生時代以来のアニミズム・シャーマニズム・神話世界性といったヤマト的なるものの特性の象徴的結晶」であるから。
アマテラス、卑弥呼といった女系の王権がそれを最もよく体現しているわけで、その点では昭憲皇太后が養蚕を復活させたところに大きな意味があったのかもしれない。
稲収穫儀礼は女性が主役だったのが、「女のニイナメ」となり、それが男のニイナメ=大嘗祭へと転換していった歴史を、工藤氏が辿っておられるが、養蚕もそれに類似した儀礼に思われる。稲作りに「魂コメ」の意味があり、それが「女ニイナメ」となっていたとしたら、養蚕もそれと近い意味をもつ儀式だったのかもしれない。
「女性・女系天皇」は女性原理が支配していた古代ヤマト王権の思想に沿ったものであり、
敬宮愛子さまが養蚕をされてきているというのは、この「先祖還り」を強く促す事件になりそうな予感がする。】
今日はここまで
今日も読んでいただき有難うございます。❤️