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1⃣力を誇示したい女王のドタバタ~オープン馬車とワゴン車~

いやはや新年は劇的な幕開けでしたよ。元旦の昼には孫が発熱し、あわてて札幌に戻りインフルエンザ、私は二日の夕方から体調がおかしくなり3日から発熱しインフルエンザ確定。ラブは様子がおかしいと思ってるようで遠巻きに私を観察して抱っこ攻撃も少なかったです。4日の日はラブも頭の毛がグシャグシャで、「酷い頭だね」という私の頭もグシャグシャで、笑いたいけど笑う元気もなかったですよ。それでも6日にはお腹がすいてる、と感じましたから20数年ぶりのインフルエンザとの戦いも制したと思いましたよ。熱発中は夕方5時6時にはベッドの中でしたから、ストレスためてるラブは真夜中に💩をして走り回り、ベッドに来ては立ち上がりトントンと起こしてはのぞき込んできます。律儀ではありますが、正直トホホでしたよ。まあ、これも付き合いですからね。

正月から皇室は賑やかでしたねえ。

天皇陛下が元日に行った新年祝賀の儀のお顔や一般参賀でのお顔が、
とても印象的でした。
変な言い方でしょうが、
もう押しも押されもせぬ、まぎれもなく日本の天皇陛下のお顔と
私には見えて感慨深かったですよ。

やはり昨年の、国賓としての英国訪問は大きかったのだなあ、とも思いましたよ。
NHKが一般参賀の中継に、英国訪問の時の映像を少しですが流したのも印象的でした。

天皇は政治にはかかわらない、発言をしないとされてますが、
天皇が動くときに政治的な影響や意味が全くなく動くというのは
あり得ないはずで、各国の関係にも寄与してもらいながら、
水面下で政治は影響も恩恵も受けながら進んできたと言えると思うのですよ。
例えば、天皇の挨拶に戦争の過去が微妙な言い回しではあるものの、盛り込まずに無視しては関係改善はないからです。

平成までの歴史を踏襲しつつ、令和は未来志向であることをはっきり見せたのが英国でのスピーチでした。

【日英両国には、友好関係が損なわれた悲しむべき時期がありましたが、苦難のときを経た後に、私の祖父や父が女王陛下にお招きいただき天皇としてこの地を訪れた際の想いがいかばかりであったかと感慨深く思います。そして、計り知れぬ努力をもって、両国の未来の友好のために力を尽くしてこられた人々に、皇后と共に深い敬意と感謝の念を表します。】

       英国晩餐会での天皇陛下のスピーチ一部抜粋

つまり何が言いたいかというと、
天皇の英国訪問は、天皇の持つ政治的力や影響力が世界的に明らかになったと言える日でもあると思うのです。
日本の経済界はまだ平成を引きずってる様に見えますが、
今年はこれが大きく変わるのではないでしょうか?

インフルのせいで頭が壊れたわけではありませんよ。

陛下の存在感がより大きくなったというのは昨年秋にも感じてましたが、
今年政治は、陛下に頼ることが多くなるのではないかという気がしますよ。なんせトランプ大統領ですからね。
陛下の安定した対応力や皇后陛下の水面下での各国との交流、
こうしたことが花開くのではないかと秘かに思っています。

さあ、

こうなると面白くないのは平成のご夫婦。

 ドンドン、ドドンドン

昭和の紙芝居、見てってよ~

昔、子供の頃の紙芝居なら、ここで派手に太鼓がなり続きを聞くために飴せんを買ったり忙しかったものですが・・・
壊れてるかな、ねじが過去にもどる私??

両陛下が英国訪問をされる前に、特別列車で日光にわざわざ出かけたのは、戦中の苦労を昭和天皇から自分たちにスライドさせるだけでなく、
戦後の自分たちの慰問という功績を際立たたせたいからでしょう。

しかし悪天候というか災害注意報も流れてる中で、大顰蹙をかい失敗。
那須のご静養も先回りしましたが、これも悪天候で徘徊できず見せ場なし。両陛下お二人でのご静養には、自分たちが軽井沢で二度めの静養をしたいがための策略でこれも天気に恵まれず・・・
これは軽井沢で、
次期総理や政権交代などの問題のため誰かに会うのが目的だったと思いますが、「毎日静養の身で何が軽井沢」、とこれも顰蹙をかいましたね。

両陛下の英国訪問の後のジタバタとした動きは、
英国訪問の大成功を認められず、自分の力を振るいたくてもうまくいかず、女性宮家は宙に浮き・・・

国賓での英国訪問は、お皿さんを精神的に追い詰めたんだと思いますよ。
なんたってオープン馬車での両国国旗が並ぶ中のパレードですよ。

英国訪問パレード
英国訪問馬車パレード カミラ夫人と皇后様

いえ、勝手に追い詰められたのですよ、悔しくて、嫉妬でどうしてやろうかと策を練ったのですが、どれも不発だったために
ついには
これらのストレスがたまってコケたのか?
骨折という騒ぎに発展しましたね。
どうしても振り返らす、見せつけるための方策が『骨折パレード』だった
のではないでしょうか?
あり得ませんよね、あんな入院の仕方。

ところがこれで終わらなかったのですよ。

バンババンバンバン

隠居夫人劇場始まり始まり~

骨折は起死回生の妙案だったはずですし       

     私は女王様よ

と国民に知らしめる格好の機会のはずだったのが、
翌日入院の不自然さや手術の速さ、退院の速さからワンサカ疑義が湧いて出て、挙句、百合子妃の葬儀では杖が宙を舞う失態を招き、
にわかに詐病などといわれる羽目に至っては、女王の面目が潰れてしまったのです。

ここで女王が手をこまねいては、さらに立場が危ういとばかりに
一般参賀にこれまで以上の衣装を身にまとい、堂々と国民にその姿を焼き付けようと企んだのですね、

そしてこれには、お皿の目論見と計算があったと思いますよ。

今日はここまで。

      調子に乗って長くなりましたが、明日はこの続きを

      今日も読んで頂きありがとうございます。❤️

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