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3代にわたる集金システム~皇族という立場の利用法~

ラブとの散歩で猫と出くわしましたよ。多分若い、シャムネコだと思う猫が路上でくつろいでました。ラブは私の陰に隠れてて気づかなかったんでしょうね。3メーターくらいのところでラブに気づき立ち上がり、背を丸めて威嚇の体勢です。ラブは近づいて挨拶したかったようですが、相手の様子に立ちすくんでました。シャムネコ君より体の大きな猫がやってきて、ラブの正面に陣取り座り込み、シャムネコ君は近くの車の下に潜り込んでしまいました。ラブがそれを見て、かすれた声で吠えてます。お座りして吠えてましたから遊びたかったのかしらね?随分吠えてましたが、体の大きな猫は座ったままビクともしません。貫禄ありすぎです。多分ラブに攻撃の意図がないと分かってるのでしょう。緊迫の朝?でしたよ。

速報です。

敬宮様が今月28日、一泊二日で能登を訪問されます。
どの記事を見ても天皇陛下の名代としてという文言はないのですが、実質名代でしょう。天皇皇后両陛下に代わっての訪問ですから、皇太子のお仕事ですよね、これは。興奮します。

二日前の記事で、三笠宮寛仁殿下と書いたのですが、寛仁殿下にはご称号はありませんでした。正しい表記は三笠宮家ご長男、寛仁親王殿下でした。

昨日の記事で、嵐山鵜飼事業を一般社団法人嵐山鵜飼観光文化振興協会という法人組織やA子さんの運営する三笠宮宮記念財団に触れました。A宮はA子さんの運営する財団を真似てるのではないかと書きました。

その構造を探るには、父親である寛仁殿下を知る必要があります。A子さんは引き継いだ立場の方ですし、A宮が寛仁殿下に傾倒し行動が似ていたのは有名ですからね。

という事で調べてみると、寛仁殿下が三笠宮記念財団を立ち上げたわけではなく、オリエント史に興味のある三笠宮崇仁殿下が設立してるのですね。
三笠宮記念財団の前進である中近東文化センターを出光興産の創設者の協力を得て設立し、トルコでの遺跡発掘などを行っています。

三笠宮崇仁殿下のウイキぺデイアより抜粋
【1947年(昭和22年)4月に東京大学文学部(旧制東京帝国大学)の研究生となり[8]歴史学を学修した(専攻はオリエント史)。
1979年(昭和54年)、出光佐三出光興産創立者)の協力を得て、東京都三鷹市に「中近東文化センター」を設立し、同センター総裁を長く務めた
2006年(平成18年)に中近東文化センター図書室がリニューアルオープンした際には、その功績を記念して「三笠宮記念図書館」と命名された。
財団法人中近東文化センター(東京都三鷹市)の設立にも尽力。また同センター総裁として、トルコ共和国でのカマン・カレホユック遺跡の発掘調査を進め、近年は現地における常設の研究機関アナトリア考古学研究所の建設を進めている。】

寛仁殿下はこれを引き継いだのでしょう。

寬仁親王殿下は2010年の訪問が最後で、2012年永眠。
その後、長女のA子さんが2013年、寬仁殿下の後任として日本・トルコ協会総裁に就任。
2015年、中近東文化センター総裁に就任
2017年、トルコで三笠宮記念財団が認可され総裁に就任となります。

ホームページだと思いますが上の財団の説明で、ちょっと複雑でしたよ。
A宮のタイでもそうでしたが、地域の学生に奨学金が与えられてますね。
タイは無償で返済義務もなかったですが、トルコはどうでしょうね。
日本の学生が哀れになります。
地域への貢献を理由にし、ODAなどの支援がトルコに入っていました。

上の記事は航空会社が三笠宮記念財団との協力関係を結ぶという、契約の記事です。つまりトルコの観光事業に協力するという事です。遺跡発掘の面からでしょうね。そしてその傍に日本庭園が造られています。

この流れ、どこかで見たような聞いたようなと思いませんか?

ここで、先日配信された配信されたS原さんの動画ですよ。
お金集めの方法、海外拠点の意味、マネロンの仕組み、どこが協力してるか、この方法をご隠居夫人は真似ようとしていた、それがKKM夫妻のNY拠点作りではないか、A宮の鵜小屋建設はこれを模倣してるのではないか・・などで、中々ショッキングですよ。ぜひご覧になっていただきたいです。

彬子女王!!!利権への誘惑!!三笠宮家!英国公文書館機密文書開示!!

動画の中でもちらっと紹介されてましたが、A子さんが総裁を務める中近東文化センターの関係から、下記事に書かれているツタンカーメン展の名誉総裁に就任するとのことです。100億規模のビッグビジネスで、すでにテレビ局はじめ大手企業の協賛(資金援助)が決まってるようです。

皇族の名前を利用し資金や寄付金を集める、この方法は三笠宮家が行ってきた3代にわたる手法です。大手企業が寄付に応じ援助するのは税の優遇が得られるからで、持ちつ持たれず、の関係にほかなりません。

こうした手法が問題を起こさない訳はなく1992年、三笠宮崇仁殿下は3億円の資金の不透明な管理や使用、皇族の資金管理に対する透明性や責任について国会で議論が行われましたが、具体的に何かが決まったわけではありません。海外拠点の考えはこうした経験から来てるのではないでしょうか。

A子さんはトルコに財団を置き資金の拠点とする一方で、京都に活動拠点も持っていますね。住まいも京都に置き、マンション購入は5千万キャッシュで一括購入とも言われてます。

明日は、京都の活動から見えてくるものについて書きたいと思います。

今日はここまで

       今日も読んで頂きありがとうございます。❤️

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