2⃣潮目を変えたトルコ旅行~徘徊は東大も皇后の夢も消えたから~
昨日は寒かったですね。そろそろ散歩に出ようかと考えてましたが、寒くて止めましたよ。ラブは私が立ち上がるたびに顔をスッと上げて、どこかに行くの ?とばかりに私の動きを見つめています。エプロンを手に取ると、なんだ・・とばかりに背中を向けて丸まっていますよ。2週間は散歩に出てませんからねえ、ラブも退屈だよねえ。
紀子さんが一人ウロウロと落ち着かなくなって、まるで徘徊のようだと、
昨日は書きましたね。
どこで紀子さんの潮目が変わったのでしょうか?
それまではボンを東大に押し込むべく、手の技など繰り出す暇もなかったはず。
ボンの進学問題など、彼女の生活はボンを中心に回っており
東大進学の方針転換など思いもよらず、
国民が何を言おうが論文の不正を指摘されようが、署名活動が起ころうが、カエルの面にショーベンが如く
ボンのアピールに余念がなかったではないですか。
京都までナイスミーチューの一言のために乗り込んだのですよ。
9月13日には宮内庁は秋篠宮ご夫妻のトルコ訪問を発表しています。
国交100周年の記念式典参加が表向きの発表でした。
このトルコ旅行に対し紀子さんの力の入れようは、
英国戴冠式に両陛下から奪って出かけた時にも劣らないものでしたね。
ベトナム訪問でやらかしたことを挽回するチャンスだったのでしょうね。
こんな声が聞こえてきましたよ。
外交ができるという証明をする最後のチャンスだろう・・・
どこが声の発生源かは分かりませんが、外交力を試されていたのかもしれませんね。
こんな記事が上がっていたのをご存じですか。
タイトルだけで中身は推して知るべし、です。
昨日までの記事でミテ子は秋篠宮を天皇にしようとしている、
と書いてきましたが
同様にこのトルコ訪問によって、紀子さんを次期皇后とアピールさせたかったのでは???
それで紀子さんの気合は並大抵ではなく、衣装は14着とも16着とも言われ
ミテ子さんに負けず劣らず、一説では2000万越えと言われてますよ。
結果はマツケンサンバとチマチョゴリでした・・・
このトルコ旅行をしてる間に、それこそ鬼の居ぬ間に
ボンの進学先が決まってしまったのではないでしょうか。
そしてこれは、ミテ子と秋篠宮の方針転換と決定だったようです。
そう言えば、トルコ訪問の記者会見で唐突に秋篠宮はボンの留学に触れてましたね。
まさに排除はあったわけで、
このトルコ旅行で紀子さんが次期皇后になろうと必死だったころに
ボンの方針は大変換をしていたわけでしょう。
トルコ訪問を終えたのは12月8日
ボンの筑波大推薦入学が発表されたのは11日でしたよ。
かくして、紀子さんの東大を出た天皇の夢は強制終了となった訳ですよ。
動きを止められた紀子さんが落ち着かなくなったのは、こうしたことがあったからでしょう。
ボンがパミリにこだわり、そこに両親が揃うまで納得できない様子と
動きを止められ落ち着きを失くしてる紀子さんと重なって見えてきますね。
話が少しそれますがボンの袴の件もそうですよ。
あれはボンが、皇居参内と袴がリンクしていてこだわりを修正できない
からではないでしょうか・・・
しかし、東大が全く消えたわけではないはずでしょう?
にもかかわらず、紀子さんが落ち着きを失くすのは、
皇后の道も危うくなっているからなのではないでしょうか?
秋篠宮との関係が冷え切っているという事が、トルコ旅行でも言われてましたね。
ボンの問題だけでなく、夫婦関係の亀裂も記事に載るようになっているのです。
極め付きが一般参賀で、秋篠宮について出ようとした紀子さんが止められ、迷ったかのように見せたミテ子夫婦が間に割って入り、
先に下がったという事件がありましたね。
紀子さんの立場が、今までと変わってきてると感じてますよ。
さあ、そして紀子さんの一人での公務や、弟の金銭絡みの記事ですよ。
秋篠宮家の中では、このお二人の関係は深刻でまだ何か起きそうな気がしますよ。
今日はここまで
今日も読んで頂きありがとうございます。❤️