秋篠宮の野望か?~すでに謀反だよ~
昨日の朝、コーヒーを飲んでる私を窓際にすっくと立ちじっと見つめるラブ、ん?そう思いながらキッチンに立ち振り返ると, テーブルの脇に同じように立ちじっと見つめてます。ふと時計を見やり視線を戻すと、さらに距離を詰めてました。「だるまさんが転んだをしてる?」言いたいのは分かってます。散歩に行かないの?です。月曜火曜とゴミ出しの後, ついでに散歩をしたせいでラブの中では習慣になってるんです。幸い雨はまだでしたから、出かけましたよ。椅子取りゲームもだるまさん転んだも、ラブの勝ちだわ。
今日は敬宮様の武蔵野陵ご参拝の日ですね、追っかけの一日になりそうです。
先日の園遊会での秋篠宮の暗さ、年々ひどくなっていると感じました。少し前に目にした記事も影響してたのかもしれませんが、秋篠宮が統帥権に興味を持ってるという記事で、やっと探しましたよ。
この記事は2019年6月のものですが、秋篠宮に依頼され悠仁さんに、太平洋戦争はなぜ起きたか、のご進講は2018年8月15日に行われたそうです。悠仁さん12歳ですね。
時間は2時間半で、前半は戦争に至った経緯、後半は秋篠宮の質問の統帥権の話だそうです。
統帥権とは・・・
明治以降、軍事国家となった日本において主権者である天皇には、天皇と元帥の二つの役割があったそうです。元帥は文字どうり国家や軍事を束ねるわけです。
その元帥には統帥権という、開戦、講和(終戦)を決める権限がありました。しかし統帥権には制約があり、内閣全員の一致がないと発動できないものであったため終戦時に混乱をきたし軍部の独走があったり、敗戦後は天皇の責任の範囲がどこにあるかでもめる結果になったそうです。
もめた内容については本文をお読みください、ちょっとばかばかしく感じる話です。要は憲法の穴でしょうね。
少し話が横にずれますが、
玉川大に行ったときに、悠仁さんがアワビの水槽に手を伸ばしているのに付き添いの秋篠宮が抱えて離さず持ち上げたりして見てましたよね。職員の方がいろいろ悠仁さんに渡そうとしても、受け取るのは秋篠宮だったわけです。説明する職員の隣が秋篠宮というのもなんだかなあ、と思いますよ。
戻します。
この時も悠仁さんのためのご進講ですが、秋篠宮が後半1時間半を統帥権の質問に使ってるわけです。
というか、若いころに学んでおけよという話です。少なくても当事者に連なるわけですからね。
今上陛下は学ばれたでしょう。史学科ですから。
私が言いたいのは、勉強しとけという話ではありません。
タイトルには載せられませんが、気〇〇に刃物になりはしないかという心配の話です。
統帥権前に悠仁さんの出生問題で、すでに謀反になっているのに、さらに・・・
秋篠宮の卑屈で劣等感がかなり強いというのは、大方の見方だと思います。そしてそれを隠すために、プライドは山より高いでしょう。
優秀な職員に対する態度からも、地方に出かけてその地の偉い方に会っても対応がバラバラでわかります。英国では揉み手する丁稚でしたしね、気は小さいというか自信がないのですよ。
私はこう思いますよ。天皇になりたいのは兄より上に立ちたい、でも面倒なことは兄に押し付けたい。(祭祀や外交、来客の接待、歌会始や講書始、園遊会)これ白足袋族の考える京都での後続の務めの案に似てますでしょう。秋篠宮がシブシブやってると思われる公務ですよ。そのくせ、威張りたいわけです。官僚より立場が上と思い知らせねば気が済まないわけです。
今は政治家とうまくやってるようですが(下心があるから)、願いが叶ったら政治家を下に置かなくては気が済まなくなるでしょう。
秋篠宮は、天皇は政府の下だ、政府の上に立つには元帥になり統帥権をもっと強固にして自分が持たねばならないと、考え出すように思えてなりません。
場合によっては、天皇の分離も考えかねないとすら思えてなりませんよ。
京都と東京です。
皇居は観光施設にしてと、それならベルサイユ赤坂の説明も付きます。
悠仁さんはいればいいのですから。京都には誰を住まわすつもりでしょうかね。誰にも文句を言わせないための統帥権に、興味があるのではないでしょうかね。
心配が膨らみ妄想まがいになってきましたから、今日はここまで
今日も読んでいただきありがとうございます。❤️
エトセトラジャパンさんも統帥権の記事を上げてましたので添付しておきます。