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ご体調の波の背景~皇位継承の狼煙上がる~

昨日はつかの間の晴れ間と穏やかな風、気温でラブの散歩の足取りも軽やかでしたよ。
一方で九州の台風被害が少しづつ明らかになり、胸が痛みます。停電も長引きそうで心配しています。

昨日の記事の続きを今日は書きたいと思います。

何故、令和になった今も皇后雅子様を貶める記事が出るのでしょうか。
平成の手法で週刊誌を使い、主治医でもない医師の口を借りて
「睡眠相後退症候群」ではないかなどと言わせるのでしょうか。
ご公務を休まれたわけでもないのにです。
部屋から出られない方が、英国訪問が可能でしょうか?

皇后陛下のご体調についていろいろと何度も、
遅刻だ、部屋から出られないなどと週刊誌は書いてきてますが、
公的な発表は昨年のお誕生日に合わせて医師団が公表したもの以外にありません。

その医師団の発表全文を下に貼っておきます。

『お誕生日に合わせて公表された医師団の見解には、皇后さまのご体調には依然として波があるとしつつ、回復に向かわれていることがうかがえる記述が見られました。』記事一部抜粋

因みに、雅子皇后陛下の59歳のお誕生日文書が一時話題に上がったことを
皆さんは覚えていますか? 2022年のことです。

それまで、お誕生日文書に必ず書かれていた「回復に向けて努力」という文言が消えたことが記事になったりしました。
併せて、3月に成年式を終えられた敬宮様の記述も消えたのです。

体調に波がありながらも、皇后陛下のご体調は着実に回復に向かっておいでなのです。何より地方公務など宿泊の伴う公務も行い、自信を深めご自身の体調の波のコントロールもお出来になるようになっていたからこその、
お誕生日文書だったと思いますよ。

それをあたかも、悪化してるかのような「新たな症状」をでっち上げたのは何故でしょうか?
そして、遅刻だと騒がれる記事が出始めたのはいつでしょうか。

平成の終わりころに、よくドタキャンとかドタ出などと揶揄されていたのを知っています。

この平成の終わりは、当時の皇太子をなんとか皇太子の座から降ろしたいと赤坂組があがいていた頃です。この企ては失敗し、上皇の生前退位のみ特例で認められる結果になりました。

2022年の新年のビデオ撮影が年末の12月27日に行われるのが
それまでの慣例だったようですが、これが御用納めの28日に延びたという事がありました。そのため記者会へのレクが、御用納めの翌日の29日になったのです。
このことは週刊誌にも書かれ、体調の波についてやきもきさせられることがあったと書かれました。
これが令和になって最初に書かれた、体調の波による予定の変更です。
何があったかは分かりませんが・・・

令和にかわり、主要な両陛下の行幸啓もつつがなくこなされ、国民も喜んでいた矢先にコロナ過が長引き、
新年のビデオ撮影の一日延期でしたが、記事そのものは今後の公務にはオンライン公務などハイブリッド型公務の模索もするのではと、
比較的に好意的な記事でした。

2022年はある意味、皇室にとっての大きな岐路だったのかもしれません。

というのは、それまで報道規制で動向が伝えられることの少なかった悠仁君の高校入学の年でもあり、その進学問題などで俄かに秋篠宮家の騒動が、眞子さんの結婚から悠仁君にシフトした年でもあり、
両陛下の憂慮がさらに深まったであろう年だからです。

悠仁君の高校入学は、皇位継承問題がより切迫した状況として話題に上がるようになり、
これはいわば、秋篠宮家の今後への狼煙でもあったように思います。
一方で
敬宮様の成年の儀や会見で、天皇の御子というオーラやカリスマ性が
誰の目にも明らかになったのです。

こういう皇室がざわつき始めた中で出された、
皇后陛下のお誕生日文書であることを思い出してみると、
ご体調の波についてもわかるものがあるのではないでしょうか?

思いのほか長くなりましたよ。
皇后陛下への攻撃の激しさの背景にあるものについて、今日は序章部分になりました。
続きは明日・・

今日はここまで

      今日も読んで頂きありがとうございます。❤️

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