2⃣ハメたのは誰だろう?~ピーターパンシンドローム~
天気予報図から見事に傘マークが消え雪ダルマになりましたよ。それでも
苫小牧はまだ雪はありませんから、ラブの散歩のコース拡大に付き合えます。早速ダウンベストを着こみ背中が温かくて 、これは手放せませんわ。
帰りは同じフロアの住人さんと偶然一緒になり、おしゃべりしながら、ラブはじゃれつきながら帰ってきましたよ。いつも頭を撫でてくれるのでラブははしゃいでましたよ。
一昨日作った明太フランス、明太もパセリも飛び散りビジュアル的には笑えます。明太はバターと混ぜて塗り付けないとダメと悟りましたよ。
秋篠宮のトルコ旅行のニュースは意外に少なく、歓迎されてないのが丸わかりですね。
一応昨日は初代大統領の墓に献花したそうですが、雨降りでしたね。
紀子さんはピンクの衣装で、帽子も何というか・・・
日本大使館で夕食会とかの予定だそうですが、まあ体裁作りでしょうね。
今日はイスタンブールで大統領に会い晩餐会があると聞きましたが、ホントでしょうか。
これを可能にするために、お金をつぎ込んでないかの方が気になりますよ。
さて昨日の続きです。
タイトルにハメられた、なんて物騒なワードを付けましたが、
これは2007年、高円宮家の承子さまが留学中に友人と共同で書いていた
日記の流出事件があり、
久子妃殿下が親しい方に漏らした「承子はハメられた、狙い撃ちされた」
という言葉です。
下の記事はJ-castが週刊文春の報じたものを取り上げ、一部日記も掲載してます。週刊文春2007年2月8日号の記事は削除されてるようです。
中身は当時かなり騒ぎになるほど、過激だったようです。
しかしこれは今は、
アカウントを乗っ取られ捏造されたものが流された
という事が分かっています。
ハメられた、狙い撃ちされた、と言うには、
それを行った人間に心当たりがなければ出ない言葉だと思いますよ。
ここからは妄想ですが、
そう、流出をしたのは瑤子女王ではないかという疑いを私は持っています。久子妃殿下も承子さまも誰が週刊誌に流したかご存じなのではないでしょうか。
このスキャンダルに対しての久子妃殿下の見事な火消が、
一時的な大騒ぎで済み、静かに鎮火してるのをみると、
身近な方が関わってた可能性が高いのではないかと思いますよ。
そうはいっても、記事が削除され鎮火したスキャンダルとはいえ、
事あるごとにこの問題は蒸し返されてはいるのです。
この問題を信子妃殿下もご存じではないか、と思うのですが、
信子妃殿下が捏造や流出に手を貸したというのではありませんよ。
信子妃殿下は2004年から軽井沢で療養しており、
2006年に一時、自宅に戻ってます。
承子女王のスキャンダル時期には信子妃も自宅におられたのです。
もし、久子妃殿下から相談され、
信子妃が瑤子女王と向き合い話し合いがされたりしてたとしたら?
しかしその話し合いはうまくいかず、
夫ばかりか娘との確執を深める要因になっていったとしたら?
信子妃は、2008年になると夕方になると喘息症状が出るようになり
入退院や軽井沢療養を繰り返します。
この頃は寛仁親王殿下も入退院を繰り返し癌のため声を失っています。
寬仁殿下は病気のため、落ち着いて自宅にいる時間はなかったでしょう。
瑤子女王はこの頃は日赤に常勤で勤めており、夕方には帰宅します。
承子女王の問題が沈静化した裏に、信子妃や麻生氏の働きかけがあったのではないか?
その後の信子妃や久子妃殿下の交流を見てると、そんな気がしますよ。
2008年7月には承子女王もスキャンダルの影響もあり、留学を中止し帰国しています。
同じころにオクスフードに留学していた彬子女王ではなく、
何故、瑤子女王と思ったかについては、昨日も述べたインスタ依存です。
私は瑤子女王のユーモアなど好感を持っていましたから、
今回の中国系アメリカ人や特定企業の広告塔、瑤子女王基金なる不透明な集金の話を聞いてショックが大きかったですよ。
信子妃が別居をした時期は2004年で彬子さんは24歳、瑤子さんは21歳。
母親の病気療養を理解できない年でもなく、
私たちを置いて家出したと騒ぐことに違和感があります。
家出ではなく療養だからです。
このこと一つを見ても、
どこか甘えと大人になり切れてないピーターパンシンドロームを思い出しますよ。
そのほかに、甘えだけではない、嫉妬、妬みも感じますが。
それはまた明日にしましょう。
今日はここまで
今日も読んで頂きありがとうございます。❤️