解けない謎 ~ヒステリーだったのか?~
昨日、数年ぶりに焼き芋を作りラブと食べた。非常においしくて感動、ラブも美味しかったらしく立ち尽くし私の顔をじっと見てくる。お芋。もうないよ、と声をかけるとフンとでもいうように顔を勢いよく真横にむけ、自分のソファに戻った。私がキッチンに行く度、顔を上げて芋を取り出さないかと監視がきつい・・・。美味しかったもんなあ・・・
女性週刊誌の見出しに、皇后さまと敬宮様が被災地を訪問とかいうのがあった。行きたくてウズウズしてる方は別にいるだろうが、
このことから昨年の記事、両陛下が訪韓するかのような記事を思い出した。
岸田総理が前のめりになっているような、記事だった。
昨年でも、日本と韓国の関係から言うと時期尚早と思え、あまり本気にはしていないし今もそうだが、岸田さんの考えることはホントにどうしようもない・・・
両陛下の記事を探していたら、上の記事が先に見つかり読んでみると、1986年3月に訪韓の話が持ち上がり調整していたという話であった。前のめりは政府というより、皇太子ご夫妻のような気がするが・・・。
これが旨くいかなかったのは、美智子妃の子宮筋腫の手術が4月に行われたからと末尾にさらりと書いてある。
真実はどうかは分からないが、この時に訪韓を巡って右翼が皇居に火炎瓶を投げ入れたり反対運動が起きたのである。
ここで疑問が二つ
何故、韓国訪問に前のめり?
子宮筋腫の手術?
1986年といえば昭和61年、昭和天皇がまだお元気なころである、この頃、天皇崩御の後、武蔵野陵に埋葬されることや、代替わりに伴う大嘗祭の手筈などの細かなことが宮内庁や政府の間で動き出していた時期である。
明仁皇太子夫妻は、近く代替わりで自分たちの時代になることを意識せざるを得なかったと思う。加えて、マウントも取りたかったのではないか?
昭和天皇の戦争責任の後始末をしているのは自分達だという、自分たちの存在感や価値、力量を誇示したかったのではないか?
だから簡単に謝罪という言葉が出てくるのだ。これは土下座外交という批判もあった。
歴史的背景などより、行くことが目的だったように思う。
実は国会で、訪韓の調整は皇太子の意思かどうかが議論されている、(64の質疑)宮内庁は天皇の名代と答えているが、これを確認されるということは皇太子側からの 訪問の意思を示したためであろう。国会の中で大きな問題になるということで、入院という手段に出たのではないか?
なぜなら、私は美智子妃が1963年3月に胞状奇胎で入院し、流産の処置を受けたと言われるのだが、子宮全摘術だと思っているから。
東大ですら子宮の保存療法について論文を出しているのは1966年なのだ。
また、掻把についてはエコー検査が一般的になった1970年代以降のことだから。私にはこれは、訪韓できないことへの、ヒステリー入院に思えてならない。
貧血、月経過多などの症状も表にも出ず、公務も休まず、唐突だったのだ。
今日はここまで、
今日も読んでいただき有難うございます。❤️
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