嫌いになるまで一生好き
彼と出会ったあの7月からおよそ1年が経った。365日前。1年は短いようで長くて、長いようで短い。愛情、憧れ、怯え、嫉妬、執着、承認欲求、支配欲。どう考えても私と彼の物語は単純なものではなかった。
ベランダに立って、夜風に当たりながらこれを書いている。7月の夜風は意外と涼しくて、神戸の夜の街を散歩して回った去年の夏を思い出す。
予備校で初めて知り合ったようでいて、実はずっと近くにはいたのだ。辿ってきた道を考えれば、ところどころで知り合う可能性につながるタイミングはあった。でも、今まで私たちはそれを選ばなかった。うねりと蛇行を繰り返し、交わりそうで交わらなかった2つの川がようやく交点を持った。
別にこれは珍しいことではない。運命なんてたいそうな言葉をあてがうつもりもない。もう少し何か歯車がずれていたら出会っていたかもしれない、深い関係になったかもしれない、そんな人々で世界のエキストラは構成されている。
LINEのトーク履歴はかなり前に消した。バックアップももうない。数えるほどしか取らなかった写真もほとんど消してしまって、残ってるのは一緒に食べたパスタの写真一枚だけ。
書ききれなかった思い出はいつか消えてしまう。顔を覗き込んで言う「かわいいなぁ」のイントネーション。駅から家までの帰り道は少しでも長く電話していたくて、交差点の青信号を何度もスルーしたこと。いつも22時15分からしていた電話を、早く予備校が閉まる土曜日はどうしていたのか、もう忘れてしまった。他にも思い出せないことは山ほどあるだろう。記憶の扉に辿りつく階段さえ見つからない。
ずっと願っていた出会いとは言いながらも、彼と仲良くなったことは不本意だった。その頃の私は、できれば別の素敵男子とお近づきになりたいと思っていたのだ。彼はその素敵男子とも仲が良かったので、初めはこれもチャンスと捉えていたのだが、徐々に様相は変わってくる。
彼は距離をつめるのが異様に上手く、結局は彼に押された形になった。単純接触効果というやつだ。不本意ではあったものの、好きなアイドルと同じ名前だし、夢小説的な展開も期待できるかな、なんて不純で打算的な考えで彼のアピールを受け入れたのだった。
関係が悪化して、私はかえって彼に執着するようになる。だが、時期は違ど私に執着していたのは彼も同じだった。
私がなんだかんだ彼を受け入れることを知っているので、かまっていた女の子との関係が切れたタイミングで連絡してくる。その前に決まって知人なりネットなりで私のことを調べるのだ。私が中学生時代にブログをしていたことを嗅ぎつけたり、このnoteをインターネットの海の中から見つけてきたり。
noteに関してはもはや狂気と言ってもいいだろう。私の書きそうな言葉を想像して検索窓に打ち込み、自力で辿りついたのだ。確信したのはnoteのヘッダー写真を見たからだと言う。冬に彼の使っていたマンスリーマンションから撮った夜景。とはいえ、そうそう見つかるものではない。そう思って好き勝手に書いていたのだから、こちらとしては分が悪い。
自分のことを書かれることはそうないからと面白がってくれたのが救いだ。たしかに、好きな男について何万字も書く女の子なんて、彼の人生の登場人物では私くらいのものだろう。
私は彼との出会いを最初から不本意だと思っていた。彼は付き合うにはリスクが高い人間だと思ったので信頼もしていなかった。口では好きだと言いながら、手放しで好きになれない自分が常にどこかにいた。今もいる。去年の夏の私が両思いになっても付き合おうとしなかった理由はこれだろう。自分を含めて彼と関わって傷ついた人間をもう4人は見ている。彼は興味を失った人間にはどこまでも残酷だ。
だが、それ以上に彼との物語をまだ読みたいと思うのだ。会いたいと思うのに、これに勝る理由が他にあるだろうか。
︎︎ きっと私は嫌いになるまで一生、彼のことを好きだと思う。