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男の子と長電話をする

 このタイミングでこの人と出会えてよかった。そう心から思える出会いは人生でどのくらいあるのだろう。

 私には一時3人グループで仲良くしていた男友達がいる。そのグループはサークルの業務的なものだったけれど、深夜の会議を重ねるうちにお互いのプライベートなことも話すようになっていった。
 その時から彼とはなんとなく気が合うと感じていた。逆にもう一人とはどことなく馬が合わない心地がしていたから、対比的にそう感じただけかもしれないとその時は思っていた。

 それから数ヶ月が経ち、私たちが担当していた企画は空中分解した。とはいえ友達が少ない私にとって、心を許せる人間と疎遠になってしまうのはもったいない。そうして彼に久しぶりに連絡をしてみると食事に誘われた。
 食事は昨今の状況もあり延期になってしまったが、代わりに電話を提案した。わかっていたことだけど、二つ返事に安心する。

 「いつでもかけていいよ」のメッセージを見て、右上の受話器マークをタップする。音声通話かビデオ通話かを選択させるポップアップの左側に触れた。
 「もしもし」
 1コール半の短い呼び出し音を遮った、穏やかな声を聞くともう数ヶ月前の感覚が戻ってくる。
 「こんなに気まずくない初対面ってないよね」「安心感さえある」と言い合っていた数日前のLINEを体現するように、するする話が弾む。音楽やゲームのようなたわいのないことだけじゃなく、話すのをためらうような性格や内面のことさえ自然と話題にのぼった。
 二人で話すうちに、この人とは合うだろうなという予感は確信に変わっていった。人間だから全部が全部同じわけじゃないけれど、纏う空気感やベースにあるテンションが似ている。まるで長い友達みたいに、投げた言葉が溶けて混ざって、フラットで穏やかな関係に帰っていく。

 「自分がされて嬉しいことを、他人も同じように喜ぶかどうかなんてわかんないじゃん」とこぼす私に、彼は「人間なんて大体みんな同じようなもんだよ。そう思った方が楽だよ」と言う。
 みんなと大体同じようなもんなら楽になれるってわけじゃない。大体、私が「みんな」と同じだったらもっと穏当に生きられただろうし、「みんな」が私と同じだったらこの世は事故だらけだ。
 本当は「みんな」なんて存在しない。人には人の安寧があり、人には人の地獄があるだけだ。救いようのない世界ではあるけれど、こんな愚痴をこぼせる相手がいることは救いだろう。

 彼がごはんに呼ばれるまでの1時間半はあっという間だった。電話を切って、今これを書いている。思えば私の電話はいつも長電話だ。用件だけ5分以内で終わる電話なんて、郵便局に再配達をお願いする時以外考えられない。

 と、これだけ仲良くしておきながら、私たちはまだ実際に顔を合わせたことがない。なのに、いや、だからこそ、こんな風に素の自分で心を許して話せるのかもしれない。彼とこの形でこのタイミングで出会えてよかった。
 もしコロナ禍じゃなくて対面サークルで出会っていたら。もしグループ電話をする前に顔を合わせていたら。こんな風に話せる間柄ではなかったかもしれない。彼は初対面の人にキャラを作ってしまうタイプだし、私はキャラを作れるほど器用ではないぶん壁を作ってしまう。
 考えていることを思ったまま言えたり、自分の性格についてあけすけに語ったりできる友達は貴重だ。信頼関係だけではなく、相性もあるだろう。根本的なところで共通点がたくさんあると、それだけでもお互いを分かり合えそうな気がしてくる。

 人間関係は手順さえ踏めば全てが同じように進むわけではない。乙女ゲームやギャルゲーとはわけが違う。誰を選んでもハッピーエンドになるとは限らないし、全員を攻略できたりもしない。選択肢を間違わなければ好感度が上がるという単純なシステムならどれほどよかっただろう。間違えたつもりがなくても嫌われることだってある。時には存在するだけで誰かの気に食わなかったり。
 だからこそ、ぴったりとハマる人のことはその出会いに感謝して大事にしたい。何か一つでもズレていたら噛み合わなかったかもしれない歯車の上に私たちは立っているのだから。

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