さな

love my self

さな

love my self

最近の記事

きらきらした今日のこと

 清々しい朝だった。世界が煌めいて見えた。春の陽気と見紛うようなあたたかな陽射しに包まれて、私はこの冬はじめてしゃんと背筋を伸ばして朝の時間を過ごした。  昨日は飲み会だった。おそらく学生時代最後の飲み会になろうといったところ。最後に少しだけ羽目を外したくて後輩の家に泊めてもらったのだった。  ひとの家なので嫌でもすっきりと目が覚めた。近くのバス停を教えてもらって、家を出た。お礼は言ったけれど「お邪魔しました」と言うのを忘れた気がする。好きな配信者のゲーム実況を片耳で聞き流

    • 公演を終えて

       初めて舞台に立った。練習期間は3ヶ月くらいで、就活が終わってからはずっと稽古に多く時間を費やしてきた。  未経験だったのでそれはそれは苦労した。いろんな人に支えてもらった。演出とうまくいかないこともあった。いろんな人からもらったアドバイス全部を吸収してものにしたし、できたと思う。制作からは「演者4人の中で一番伸びたと思う」と言われた。伸びしろしかないのだからそりゃそうなのだが、嬉しかった。  舞台に立つ感覚はすごく不思議で、客席はあまり見れなかったけれど、観客が見ている、

      • 『ホテル・イミグレーション』感想

         入管。入国管理局。このことについて私はほとんど知らなかった。  贔屓にしているカンパニーの名取事務所が、好きな劇作家の1人である詩森ろばさんと組んで入管を扱う。これは見に行かなければ! そう思って足を運んだ。  日本で外国人の難民認定が降りる確率は0.7%だと言う。困って申請する人が1000人いたら7人しか認定が降りない。EUでは入国管理局に収容されても半年と上限が定められているが、日本は無期限に収容ができる。HPに掲載されているような食事は与えられない。出てくるのは腐った

        • 「眞理の勇氣─戸坂潤と唯物論研究会」劇評

           「唯物論」の対義語が「観念論」だなんてことも知らずに席に座った。戸坂潤という人も初めて知った。そんな私でも作品を通して知識をつけながら楽しむことができた。  あらすじはこうだ。第二次世界大戦終結間近の1945年8月9日、一人の哲学者が獄中死した。唯物論者の戸坂潤である。大戦が始まるおよそ10年前、戸坂は唯物論研究会を立ち上げる。しかしすぐに特高警察に目を付けられ、監視下に置かれることとなる。戦争が近づくにつれ、政府の思想弾圧は過激化し、設立から5年で唯物論研究会も解散に追

          男の子と長電話をする

           このタイミングでこの人と出会えてよかった。そう心から思える出会いは人生でどのくらいあるのだろう。  私には一時3人グループで仲良くしていた男友達がいる。そのグループはサークルの業務的なものだったけれど、深夜の会議を重ねるうちにお互いのプライベートなことも話すようになっていった。  その時から彼とはなんとなく気が合うと感じていた。逆にもう一人とはどことなく馬が合わない心地がしていたから、対比的にそう感じただけかもしれないとその時は思っていた。  それから数ヶ月が経ち、私た

          男の子と長電話をする

          人と比べるのは何のため

           人と比べてしまう。それがずっと私を悩ませてきた。そして今も。何か新しいことを始めたり、自分よりすごい人(私の周りには大体すごい人しかいない)を目の当たりにしたりすると、自分がどうしようもなくダメな人間に思えてしまう。自分を責めてしまう。あの人はできてるのに自分はなんでできないんだって。  人と自分を比べることに意味がないことはわかっている。正直比べていいことなんて何一つない。たぶんこれは癖みたいなもので。  昨日の自分と比べて成長してるとか、良くなってるとか、そういう積み重

          人と比べるのは何のため

          画面越しのスピード恋

           サークルのZOOMに顔を出したら、すごくタイプな人が写っていた。色白で黒髪で細身で、おまけに童顔。ほっぺたが薄くてやわやわしてそう。色白の良いところはデフォルトで紅い唇だと思う。白い肌とのコントラストがセクシーだ。  話を聞いていると頭の回転が早いのがわかる。いつの間にか会議で決まったことが箇条書きにされてチャットに共有されていた。僕じゃなくてもできることは違う人にやってもらったほうがいいかなって、と片方の口角をあげながらも、そういうことはチャチャッとやってしまう。全体の

          画面越しのスピード恋

          ひどく脆いわたしたち

           男女って、どうしてこうも脆いのだろう。  深夜、ふと思いつきで彼のSNSを探す。連絡しようとか、そういうのではない。ただ何となく、例の彼女との関係はどう精算したのだろうかと気になった。  現在、彼は彼女とは別の女の子と遠距離恋愛中だ。今年に入って知り合った友達の友達らしい。毎日電話していると聞いた。  私への連絡が途絶えたということは、今そっちが絶好調なんだろう。誰とでも踊れる彼が羨ましい。そして、今彼の文脈で踊っている彼女のことも。彼の文脈は下心が見えるのになぜか美しい

          ひどく脆いわたしたち

          半月

           いっときは輝いて見えた時間が、ある日突然あるいは次第に色彩を失っていく。私たちのピークは再会したその日から一週間だ。その後は緩やかな死に向かっていくだけ。タイムリミットは半月。それ以上の時間を穏やかに過ごすことは、私たちには不可能だ。  その夜、私はセックスがしたくて彼と会った。終わりが近いことを知っていた。タイムリミットはとっくのとうに過ぎている。背中をつーっとなぞられると気持ちがいいと教えると、さりげなく手のひらでさするようになったのも、歪めた顔と上目遣いで覗き込んで

          優しさを矜恃にもつひと

           男友達にすごく人格のできた人がいる。長く付き合っている彼女がいて、おしゃれが好きで、ふざけたノリも好きだけど大人数は苦手で、芯は熱くて真面目な人。他者のダメなところもひっくるめてその人が好きだと言える胆力がある人。  少し前にメッセージのやり取りはあったものの会わないと疎遠になるのは致し方ないことだと思っていたので、共通の友人と3人でZOOMできたのは正直とても嬉しかった。  話は大半が彼の惚気話で、聞いているこっちまでキュンキュンしてしまうような、甘くて真摯で愛の深いも

          優しさを矜恃にもつひと

          雨あがりの夕方の空はきれい

           今日はもう大丈夫な気がした。もう思い出に頼らなくても生きていける。そう思えた、気持ちの良い、雨あがりの夕方だった。  もう一年以上追憶に囚われて生きている。それは仕方のないことで、あまりにも甘美で綺麗だったから。まあその辺りのことはずっと書き続けてきたから、もういいだろう。  垢抜けたい、洗練された自分になりたい。そう思ったとき、真っ先に思い浮かぶのはやはり彼ことだ。センスやこだわりがはっきりとしていて、美学がある。彼の持つ赤いチェックのブランドに憧れて、一年以上も買うの

          雨あがりの夕方の空はきれい

          嫌いになるまで一生好き

           彼と出会ったあの7月からおよそ1年が経った。365日前。1年は短いようで長くて、長いようで短い。愛情、憧れ、怯え、嫉妬、執着、承認欲求、支配欲。どう考えても私と彼の物語は単純なものではなかった。  ベランダに立って、夜風に当たりながらこれを書いている。7月の夜風は意外と涼しくて、神戸の夜の街を散歩して回った去年の夏を思い出す。  予備校で初めて知り合ったようでいて、実はずっと近くにはいたのだ。辿ってきた道を考えれば、ところどころで知り合う可能性につながるタイミングはあった

          嫌いになるまで一生好き

          この穏やかな午後が永遠に続けばいいのに

           3ヶ月ぶりに収まった腕の中で、キスをねだられたのが一週間前。迫るのではなくねだる。その手には乗らなかった。私だけのせいにされたくはない。浮気をするなら、自分に意思があってそれを選んだのだということを覚えておくべきだ。  「しないんだったら帰すよ」と口では言いながら、私が「いいよ。じゃあ帰る」とベッドから起き上がると必死で止める。そんなやりとりを6回は繰り返しただろうか。折れたのは彼の方だった。  この日下ろしたばかりのブラウスに手がかけられる。「これ新品?」と訊かれても「最

          この穏やかな午後が永遠に続けばいいのに

          しゅごキャラはもう見えないけれど

           『しゅごキャラ!』という少女漫画を知っているだろうか。2006年から2010年にかけて『なかよし』で連載されていたが、私がその漫画を知ったのは2011年。小学5年生のときだった。  母に頼み込んで、単行本の漫画を全巻揃えてもらったことを今でも覚えている。人生で初めて全巻買いした漫画だ。  「しゅごキャラ」はなりたい自分が小人のような形になった存在。大きさは手のひらほどで二頭身。子供の肩にちょこんと乗っかるようなサイズだ。子供の頃は見えているけれど、大人になったら消えてしま

          しゅごキャラはもう見えないけれど

          好きに至る恋

           会うと必ず「おれのこと好き?」と訊くそれは、彼の弱さの表れでもあるのだろう。誰かに好かれていないと不安なのか、より多くの人から求められていると実感したいのか。  「好き」と返さないと拗ねるのでそう言うと、今度は「どういう好き?友達としての好き?恋愛の好き?」と続く。去年の夏の私は彼に同じことを訊いていたけれど、今の私に言わせれば好きは好きでしかない。  求められるままにそれなりの言葉を渡してきたが、それが本心じゃないことぐらいお見通しのはずだ。  私の彼に対する感情はいう

          好きに至る恋

          底無し沼の太陽

           「悪いことは楽しい、でしょ?」その誘い文句に目を見張った。遅れて、やっぱりね、と安堵のようなものを覚える。やっぱり、私たちはそういう人種なのだ。  きっと私たちは変われない。去年の夏から続くこの物語は、ずっと互いの流れを汲んでいる。互いのせいで今がある。  待ち合わせはこのあたりでは比較的大きい連絡駅の北改札口。柱のかげから白い横顔が覗いているのが見えた。足音に気がついたのか、声をかけるより先にこっちを振り返って「おう」と頷く。  3ヶ月ぶりといったところだろうか。LIN

          底無し沼の太陽