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私の届かぬあなたへ愛のある日々を


発表から1週間経って、スタッドインして、猫を見つめるほのぼの動画が公開されるようになってもなお、それを見てぐすぐす泣いていたし、1ヶ月近く経とうとしている今もこれを書き始めた途端に涙目になっている。

これまでも好きな馬は沢山いたし、お別れだって何度もあったけれど、「これが最後」とわかって観に行くレースって思えば今までほぼなかったのかもしれない。

時期的に最後になりそうだなと思って見に行ってやっぱりそうだったとか、放牧先でそのまま引退とか、最後が海外だったりとか。実際に近くで見られる時間というのはほんの一瞬だし、競走馬の引退は、なんとなく実感が湧きづらいところがある。

並べる話題がこういう話なのもどうかと思うけれど、誰かが亡くなっても話を聞いただけでは実感が湧かなくて、実際に会いに行ってやっと涙が出るあの感じに近い。

ネットで「引退です」と言われても、それを実感する機会がないままなんとなく時間が経って‥。



テーオーケインズが帝王賞を勝ってチャンピオンズカップをぶっちぎっていた年、私はまだ今みたいに現地に行く習慣がなかったので画面越しに見ていて、初めて彼に会えたのは翌年の帝王賞だった。連覇は叶わなかったのだけど。

南関での出走が多かったこともあり、キャリア後半だけでも結果的に6回も会うことが出来た。

でも、肝心のJBC盛岡は行けておらず(それどころかレース自体も外せない用事があって後追いだった)、とうとう最後まで目の前でケインズの勝利を見ることは叶わなかった。


行くたび、次こそ、次こそ、と何度も。

いつも、悔しい気持ちの帰り道だった。

でも、唇噛みながらもそうして足を運び続けるうちに、その綺麗な栗毛や長い脚、ダート馬にしてはスラッとしなやかな身のこなし、きれいでやさしい目が本当にかっこよくてかわいくて、ケインズを近くで見られることそのものに対する喜びとか楽しみもどんどん大きくなっていて。



当時はふざけて言ってたけど、今となっては本当にデートかな?ってくらい毎度ワクワクドキドキしていたなと思う。

もちろんいつだって本当に本当に勝ってほしいと思っていたけれど、まず会えることそのものの喜びが、本当に大きい馬だった。


話は少し戻って、「これが最後」とわかってそのレースを見届けられることというのは、多分いちばん幸せなことなのだと思う。それは本当にそう思う。

でも、その最後のレースを必ずしも勝利で終われるわけではないし、むしろ勝って終わることの方が難しい。もちろんわかっている。

「悔しいな、次こそ勝てる、また応援に行くぞ!」

それがもう言えない。「次」がもうない。

引退レースと知って応援するということは、ゴールと同時に瞬時にそれを突きつけられるということでもある。

中京の西陽を浴びた砂の直線を見ながら、ああ、これにはこれの難しさがあるんだな‥と思った。初めて、こんなにくっきりと「引退」を肌で感じた気がする。


21年のチャンピオンズカップ以降は、勝ち以外認めないみたいな勢いの風当たりだったように思う。でも、改めて見れば3年弱国内では掲示板を外さないとても堅実な馬だった。


もともと芝とダートに上下をつけるような気持ちを持ったこともなかったけれど、ケインズを追いかけて好きになったことで、ダートに対する気持ちは明らかに大きくなったし、南関や中京に行くきっかけももらった。


終わってみればテーオーケインズは私にとって、本当に大きな存在になっていた。

いつも悔しかったとは書いたけれど、それはそれとして、その日までのワクワクとか、同じくケインズを応援する仲間たちと共有した時間を含め、与えてくれた時間すべてがきらきらした大切な思い出で。

トレセン火災を生き延びて、ダートの頂点に登り詰めて、海外挑戦も含め本当にたくさんの夢を見させてくれた最高の馬だと思う。

グッドルッキングホース日本代表(私選出)のテーオーケインズ様からどんな子供たちが産まれるのか、すごく楽しみにしている。


たくさんの思い出をありがとう。

偉大なお父さんの隣の馬房で、仲良く長生きしてほしい。



私の届かぬあなたへ
愛のある日々を
栄光の結末を
どうか
あなたに あなたに

Last Love Letter / チャットモンチー


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