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見失いたくないこと

こんにちは。

まだまだ先だと思っていた秋の中山も気付けばすぐそこ。早いなぁ。(毎年恒例)

そしてあっというまにジャパンカップが終わって、夕日でおセンチになって、有馬記念になってるんですよね。知ってます。怖い怖い。


遠征するならこの辺かなぁ‥と思っていた日はあったものの、諸々噛み合わなくて無しにしたので結局丸2ヶ月競馬場をお休み。=カメラもお休みしていて、現地に行ってる方々の写真を見ては「私も撮りた〜い」と思っていました。

もうすぐまた近くで競馬を楽しめるなぁと思うと素直に楽しみなんですが、秋を走り出す前に(?)自分に今一度釘を刺したいというか、絶対にこれは見失いたくない!というところを、セーブポイントとして今回書いておこうかなと。



私、今日、競馬見たのかな。


春に一度、府中からの帰り道でそう思った日がありました。

その日は確かスケジュールが詰まっていて、お目当ての馬のレースに合わせてピンポイントで行って、またすぐ移動せねば‥という日でした。

パドックとレースを見て、残念ながら勝てなかったものの、カメラにはその姿をしっかり収めることができたので、そこには一安心してそそくさと駅に向かって‥。

ふぅ‥と気持ちが一息ついたとき「私、本当に今日競馬を見てきたんだろうか?」と、なんというか、ついさっきの記憶をうまく掴めないような変な気持ちになりました。



自分の目で見ること


カメラを買う前、スマホで記録を残していた頃から「自分の目で見ること」を大切にしたいと思っていました。

"肉眼レフ"という言葉を考えた人はうまいなぁ〜と思いますが、まさにそれですね。

遠くからでも、自分の目で直に見た景色というのはくっきり記憶に焼き付きますし、特別な思い出になります。というか、なった経験があるので、尚のことそれを大切にしたいと思っていました。

スマホは画角さえ定まれば、撮りながら目は直接対象を見る、というのは割と簡単にできるので自然と両立できていました。が、カメラはそうはいきません。

私があの日の帰り道、自分に疑いを持ったのは、忙しない立ち回りの中で「自分の目で見る」が十分にできていなかったからだと思っています。

競馬場内特有の時間リズム(伝われ)に馴染んで、天気によって位置関係や設定を整えて‥などというところにパパッと対応できるほどの力量はまだないので、1つ良いカットを撮るのにもいつも以上にもたついた記憶があります。撮るのに必死だった気がします。

写真のデータはたくさんあって、行った証拠はあるけれど、今日この馬をちゃんと見てきたって言えるのかな?って考えたら、胸を張って言えない気がしました。

カメラを持つとき自分の中にあった1番の懸念で、1番なりたくなかった気持ちでした。




「撮った」は「見た」になるのか?


※これは人それぞれだと思うのですが、私は両者を同じ括りにできない人間なので、その立場での話です。

当たり前ですがレースは一度きりなので、常に自分の目かファインダーかどちらかを選ばなければいけません。

パドックも、一応何周も回ってはいますが、毎回写るものは変わるので同じチャンスが何回分もあるわけじゃない‥。(でもレースに比べればこちらの方が融通は効くので、この周回は肉眼で見るぞ!と決めてカメラを降ろしているときもよくあります)

自分にとって"ここ1番"なレースであればあるほど、このあたりは悩ましくなっていく気がします。たくさん記録に残したい、でもその結果あの日みたいな気持ちにまたなってしまったらと思うと怖い‥。

私は「あのレースを見た!」と思い出すとき、写真も良いですが、記憶の中に残っている景色もしっかり思い返したいのです。



なぜ 何のために撮るのか


もっと上手に撮れるようになりたい!とは思います。すごく思います。自分が良いなと思える写真を1枚でも多く撮りたい。そのためにはたくさん撮ってたくさん試してが必要なこともわかります。

でも、あまりそれに引っ張られすぎないように気をつけたいです。

その時々、自分が何を大事にしたくて、何を残したくて、何のためにカメラを選択するのか?っていうところを、常に考えながら付き合っていきたいです。

カメラに歩かされないように‥。




自分の手でしっかりハンドルを握って、この秋も良い景色がたくさん見えるドライブになればいいなと思います。


それではまた〜





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