Surround me Music, Feel Good#12 -ROENTGEN 2022 & 20th Orchestra Tour HYDE ROENTGEN 2021 FUKUOKAレポート-

【ROENTGEN 2022 Remasterd/HYDE】

※リンク先はCDですが、サブスク対応もなされてます。

L'Arc~en~Cielのフロントマン、ソロ名義でも活躍し続けているHYDEのソロワークアルバム【ROENTGEN】が2021年に20周年を迎えた。

筆者は中学生の頃からラルクファンであることもあり、HYDEのこの作品も随分聴いていた。後々に好みになる音楽も、この原体験が大きく影響していると思う。

今回、その【ROENTGEN】のリマスター盤が出ているので取り上げてみようと思う。

発売当時にリアルタイムに聴いていた自分としては、より臨場感のあるリマスタリングがなされたなという印象。

そしてこのアルバムには、日本語歌詞のものと英語歌詞のものが存在するが、どちらもリマスタリングされて再リリースされるという異常な拘りである。

ラルクは、デビュー当時からトルコでミュージックビデオを作成していたり、その後もNYやフランスなどでレコーディングやMVの撮影ロケを行ってはいたが、海外市場にコミットしたプロモーションや活動をできていたわけでもなかったと思うし、それはHYDEもそうだったはず。(ラルクがアジアツアー、ワールドツアー、マジソンスクエアガーデンでライヴを実現するのは各メンバーがソロ活を始めてから少し先の話。)

そのような状況下にあった約20年前から、アルバムの英語版が存在していて(正確には、【English version】のリリースはいくらか後だった記憶。)、当然、日本語歌詞とは違う音節や発音、異なるニュアンスのメロディが全曲録られていたということになる。

現在、CD全盛の当時からすれば、単純に媒体が変わり、サブスクのようなクラウド上から配信されるものになってそれなりに経つ。聴く側の環境や気分もかなり変わったように思う。

リマスターは、再録音やアレンジが変わったといった意味の大きな変化ではないものの、最新の技術や思想で行われており、また、音源一つに詰め込める情報量が上がったし、容量的には少ない情報量でも質が高くなっているのだと思う。(専門家ではないのでたぶん...。)

英語(外国語)の歌詞についても、洋楽好きでなければあまり耳にしないものというわけでもなく、触れる機会は増えてきているように思う。

それらの理由から「聴く」行為自体が変化している中で、英語版も含めた【ROENTGEN】の受け取られ方も違ってくるのは必然だろう。

また、自分がリマスタリングに対して「臨場感がある」と表現したのは、実際にこの音源の20周年記念として行われたライヴ演奏を聴いているからで、単純にその辺の知識や経験からくる先入観もあるのかもしれない。

【ROENTGEN】というアルバムは、当時その世界観の「再現」や「踏襲」した形でのライヴは行われておらず、【ROENTGEN】の名を冠したコンサートの実現には長く至らなかった作品でもある。

それが実現した今、リスナー側として空間的な奥行きがより感じられるようになったと思っているし、リマスタリングにおいても、アーティスト側からもそのような聴こえ方/聴かせ方が、意識されている部分もあるのではないだろうか?

【ROENTGEN】は、(実際は豊かな起伏があるが)どちらかというと静かな世界観の音楽で、またヴァイオリンやチェロ、ピアノといったクラシック音楽で定番の楽器が充実して使われていることからも高級感も感じるし、何より、海外レコーディングかつHYDE本人以外は海外演奏家がアンサンブルの生演奏で録音しているという、そもそも超こだわりの逸品だったりする。

国内のよりポピュラーミュージック然としたアルバムがどんどんリリースされていて、(リスナーから見て)今より音楽の世界が楽観的でハッピー、儲かる市場といったムードだった当時を思い返せば、静かで美しいが、やはり異質でもあったアルバム。

この時代に改めて聴かれる。あるいは初対面する人にとって、新しい価値が(再)発見される内容であると確信する。

20th Orchestra Tour HYDE ROENTGEN 2021 FUKUOKAレポート

以下、2021年9月21日に福岡サンパレスで行われたHYDEのツアーに参加でき、その後数日で書き残していたレポートを元に、大幅に加筆したもの。

このライヴ以前に、HYDEが実際に演奏している(ラルクの)ライヴに参加できたのは、もう20年近く前とかになる。なので、HYDEの姿や演奏をコンサートで聴くこと自体がほんとに久々。(yukihiroだけは、社会人になってからGeek Sleep SheepとSTRAIGHTENERの対バン公演の機会に聞いている。)

なお、セットリストの中で(『タイトル』)としているものは、鑑賞当時何も感じなかったわけではないが、時間が経っているので無理に書かない(覚えていないことまで加筆しない・創作しない)こととした部分。

UNEXPECTED(Opening)

コンサートは6:66に開演(チケットにも開場18:00 開演:19:06と記載されていた)。スクリーンに映された赤のデジタル時計に、通常はあり得ない「6:66」を表示させるというのは、天使や悪魔といったモチーフを頻繁に用いるHYDEらしい演出である。

公演中のMCで明かされるが、HYDEはすべての演出やディテールに関わらないと気が済まないため、このオープニング演出も間違いなくその一つだろう。

アルバムを踏襲して、始まりは生命力が宿っていくような『UNEXPECTED』、そして透き通るような世界観とファルセットが美しい『WHITE SONG』へと続く。

どちらも静かさをたたえつつ、その中にある慟哭、予感や期待、不安や希望が歌われる。ラルクでも言われていることだが、対照的な世界観の同居が素晴らしい。

自分としては、これら【ROENTGEN】の曲がオケ付きの生演奏で聴けるという時点で夢のような時間のはじまり。しかも、伝統的な楽器と現代の(楽器のことだけでなく照明やディスプレイに映される映像、音響効果などの演出のための)電気的・機械設備的な要素とが組み合わされた、この公演だけの特別な編成であり、そして日本の音楽家によるアンサンブル(前述したが音源はそうでない)で実現されているということも含め、聴く前から感動的で期待感のある要素が揃っている。

ソロプロジェクトの1stシングルでもあった『EVERGREEN』。当時、ソロワーク開始のデビューシングルで、チャート上位の曲でもあった。

近年であれば、邦・洋楽共に、たとえばR&Bやアンビエントといわれるジャンルなどから、特に落ち着いた曲想が注目されることもあるし、ポピュラーミュージックと並べて取り上げられる機会も増えている。とはいえ、いわばJ-POP/J-ROCKと括られることの多かったと言える人気ミュージシャンの曲想として、このような風景画的な繊細さや色彩感も併せ持ったものは、稀であったように思う。

椅子に腰かけてアコースティックギター弾き語りをする姿と、傍らに置かれた鳥籠は、20年前のMVなどに由来するイメージをフラッシュバックさせる光景である一方、音源とは違うサビのコーラスアレンジなどが直球でありつつ、それだけにライヴ然としていて、とても効果的だった。

『evergreen』のMV。ワンカットでHYDEのアップから徐々に引いていき、鳥籠に囚われているような全体像が浮かび上がる(←いわゆるネタバレだけど)。

その余韻から砂漠の蜃気楼のように立ち上がるのは『OASIS』

「静か」とはいえ、これまでの曲とはムードが異なり、徐々に日差しと熱気が強まり、光と影のコントラストが鮮明になっていくようにサビ、そしてクライマックスの間奏に至る構造。

基本的に沈黙と着席が求められている客席ではあるが、その空気の変化、緊張感は確実に会場全般に伝搬していたと思う。アコースティック然とした響きから、シンセのエレクトリックな倒錯、そこに絡むサックスのフレージングは決して爆音的なものではないが、むしろ熱狂的に高鳴る。

オーケストラでは、ヴァイオリン、チェロ、フルート、サックス、ピアノ、エレキギター、木琴(鉄琴?)、タンバリン、エレアコ、エレキベース、エレキウッドベース、ドラムスコーラス、パーカッション、など、客席から確認できるだけでもとても豊かな音が鳴らされていて、それらは【ROENTGEN】のイメージを保ちつつ、今この場所だけのアレンジも添えられている。

バンマスは堀向さん。(HYDEは「ひこにゃん」って呼んでたw)

堀向さんの演奏をライヴの機会に聴くのは初めてだけど、【BaseBallBear】の音源や、【赤い公園】のライヴ配信といった仕事で目にして/耳にしていて、クレジットでは存在を知っていた方。

そしてHYDE。HYDEのヴォーカルもやはりオリジナルのメロディを踏襲しつつ、今のヴォーカル、今のライヴとして歌っていた。

A DROP OF COLOR

『A DROP OF COLOR』を生演奏で聴けたことは、このコンサートの中でも特に感動的なこと。個人的に思い入れの深い曲。

なぜなら筆者の想像では、この曲はHYDEの色弱に由来しているのではないかと思っているからだ。

幼い頃は画家?や漫画家など、絵に関わる仕事へ就くを望んでいたというが、色弱による色彩の認識の問題から諦めたという話を本人がカミングアウトしていたはず。(昔、テレビ番組出演の際など、HYDEはこの話を時折出していた記憶。)

「移り行く時代を混乱が支配し、街はざわめく。あなたへの思いはその中で溺れてしまう」
「なぜ憎しみは憎しみを生むのか?」
「国は渇き虚無だ」

「一滴の色が、運命づけられた日常から救ってくれた」
「なんて柔らかな春風の歌声 なんて深い遥か山々の息吹」
「美しいこの世界 いつの日か あなたに見せるために」

A DROP OF COLORの歌詞を抜粋・直訳(一部意訳)したもの

まず一見すると、抽象的ではあるが、(筆者の捉え方のような)プライベートなモチーフではなく、国や街、大衆意識と思われる社会的でシリアスな光景(問題意識)と、その対比としての色彩が謳われている歌詞かと思われる。

そして、歌詞に由来する印象だけでなく、その音楽的な内容からも色彩を感じられることがたくさんある。

エレキギター、ベース、ドラムスなど、ロックバンドでよく使われる楽器だけに留まらず、シンセによる擬似的な再現や打ち込みでもない(決してシンセやその打ち込みが悪いわけではないです)、今回のオーケストラのような編成をライヴで起用する拘り(20年前の音源もそうであるし、ラルクの曲でもそう)。

伝統的な楽器の生演奏というのは、その一音一音が均質な音圧や音色でなく、演奏者の技術(表現力)に影響されやすい。このことは、絵画においてもそうであるように思う。

また、たとえ現代的な楽器にせよ、きちんとしたプレイヤーがその場で演奏し、ステージの背後にはエンジニアが控えている音楽の出音や抑揚は、BGMとして単に録音を再生する「カラオケ」的な世界とは、まるで違う美意識があると思う。

時に壮大で、時に繊細、刻々と変化する儚さと力強さ、グラデーション、色彩感を感じさせる音楽の広がりは、絵の仕事という形では実現されなかった、かつての夢への、HYDEなりの回答ではないかと思う。

その絵は筆やペン、絵の具やパレットで描くものでなく、目で見えるものでもなく、音によって描かれ、耳で聴かれ、そして実際の絵画もそうであるように、最終的には心に伝えるもの。この曲はまさにそれを象徴していると思う。

HYDE(個人)にとって一滴の色(音楽)が人生を変えたように、国や街、大衆意識に影響を与え、良い方向へと変えていこうとする音楽家としてのスタンス(意思・決意)が秘められている曲だと思えてならない。

(あくまで、筆者が勝手にそう思ってるという話です。)

こちらはバンド名L'Arc-en-Cielと同義の楽曲『虹』MV。モノクローム寄りの色彩感の中で、蝶の羽の青、血の赤、林檎の緑といった「一色」が、強い印象を与える。

DEPERTURES(New&Cover Songs)

HYDEにとって20年前にリリースした【ROENTGEN】は、時代の流行に合わないものとして自覚されたアルバムだったと言う。

当時の日本では、静的な、ステイホームで聞くような音楽より、フィジカルな印象のものが好まれていたというのがHYDEの感覚であり、しかし、その時代に敢えて、家の中で聴くような音楽をリリースすることに、彼なりの「ROCK」が示されていたと語っていた。

また、【ROENTGEN】のアートワークには、レントゲン写真で写し出された「骨」(ガイコツ/ドクロ)が使用されてるが、この意図も「ROCKの象徴(イメージ)」であることが伝えられた。

「(たとえば)見た目は可愛い女の子でも、その中身は骨」「静かな印象のアルバムだけど、根底にあるのはロック」

公演中、曲間に挟まれるMCを通して、このような解説や回想を交え、HYDE自身、作品、世の中の状況について、考えや思いを多く共有してくれた。

感染症対策の観点から、オーディエンス側からの発声やリアクションが制限されている機会だからこそ、またHYDEと【ROENTGEN】が経てきた経年変化があればこそのMCであったように思う。(後述にするが、かつてのHYDE/hydeは、そういったことを色々と話すことができるキャラや立場ではなかったように思う。)

そして、「時が満ちた」という感覚から、重い腰を上げて製作しているという【ROENTGEN2】(たぶん仮タイトル)にも収録されるであろう新曲『SMILING』『ABYSS』が披露された。

この2つの新曲では、HYDEとオーケストラの背後に設置されたディスプレイに英語詞と日本語詞表が字幕表示された。

その映像は、ライヴ中のメンバーをカットを変えて映すだけに留まらずエフェクトがかけられている。照明のデザインも含めて、ステージから距離のある人から見ても、美しく、没入感のある光景、「一つの空間」に仕上げられていた。

【ROENTGEN】の曲順が流れとして設定されつつも、寄り道をしつつ、進行していくという今回のセットリスト。

新曲に続いたのは、globeカヴァー曲である『Depertures』。HYDEが「まるで自分の曲みたいに歌ってる」と紹介。この曲はゲレンデやウィンターシーズンでは今でもお馴染みと思われる日本の名曲。

つまり、リリースされた年代的には、いわゆる「懐メロ」「懐かしのヒット曲」のカヴァーであるものの、その域に留まっているはずもなく、今回の豪華/高級アンサンブルと、HYDEの歌で改めて磨き上げられ、さらなる名曲として届けられた。

サマー~オータムシーズンの時期に開催されたライヴにも関わらず、まるで雪景色が浮かぶかのよう。「まるで自分の曲」と言うのも頷くしかない、HYDEオリジナルのように描き上げられた壮大な世界観だった。

HYDEに影響を与えた他のミュージシャンの曲から、一気に最新曲へとモードが飛躍する。

(『Red Swan』)

SHALLOW SLEEP

(『SHALLOW SLEEP』)

弦楽器の8ビートが行進的・暗示的な『NEW DAYS DOWN』では、シンセではなかなか出せない發弦楽器の重厚感のある響きが印象的で、その薄暗く不穏で、シリアスなムードが会場を支配していた。

(『ANOTHER MOMENT』)

さらにラルクの曲からは、代表曲である『HONEY』が明るく、高級感と優しいムードを強調されたジャズ寄りのアレンジで。そして『flower』もギターロックやオリジナルのバンドサウンドからは離れて、オケによるまた違う表情の内容。

また、『flower』については、リリース前の制作段階では「叶わぬ願いならせめて殺して」であったことが明かされ、「殺してにしなくて本当に良かった。」と感慨深そうに今の気持ちを語るシーンもあった。

昔からのファンである自分にとって、懐かしさはもちろんあるが、いずれも既存のイメージだけでなく、経年変化が前向きな形で取り入れられ、アレンジされ、新曲のように新鮮なセットとして届けられていて、それらの実演に立ち会えたことで感慨深さと発見、驚きさえあった。

そして、HYDEはソリストとしてのHYDEでありつつ、ラルクのhydeでもあり続けるということを端的に再表明していたように思う。

(『Angel's tale』)

『The Cape of Storm』は「さ迷う幽霊船の曲」だとHYDEから語られた。嵐のなか、荒れた海を孤独に航海する一隻の船の姿が目に浮かぶような悲痛と孤独感。ヴァイオリンやチェロの響きが映える重厚なファンタジーが幕開ける。

しかしサビはじまりの『THE CAPE~』は、重厚ではあるものの、とてもドラマチックで推進力がある曲でもある。対人関係の分断も起こったコロナ禍の状況ではあるが、孤独の中でも、今は先が見えなくても、実体はなくとも、その「想い」で未来へと前進する一人一人に、そのモチーフ(幽霊船)を重ねて励ましてくれているのではないだろうか?

音楽ライヴは演奏(も含めたパフォーマンス)が主たる内容ではあるものの、20周年記念であること、感染症対策下であることに対して、MC一つとっても、今だからこそ語られること、そしてオーディエンスへの配慮と連帯を終始感じるものであった。

(『FINAL PIECE』『BREAKING DOWN』『NOSTALGIC』)

SECRET LETTERS(Ending)

リスナー(オーディエンス)との連帯のことは、公演のエンディングを飾った『SECRET LETTERS』でも感じられた。

音源では、オープニングからアコーディオンによって郷愁感が演出されてるが、今回の編成ではピアノ、そしてフルートに置き換わり、さらにマンドリンも置き換えられて違和感なく別の楽器やハーモニーで演出されていた。

それらはあくまで、アルバム音源と比べた時の部分的な要素ではあるものの、今回のためだけのアレンジであり、福岡サンパレスという会場での生演奏に即して音量なども設計されている。

ステージ裏で全く姿が見えないスタッフ、そこには、この会場でのみHYDEたちと仕事をして、最大限のパフォーマンスを発揮すべく取り組んだ方もいるのではないだろうか。

音源と違う一度きりの臨場感と儚さは、まさしく音楽とそのライヴ演奏の本来の、本質的な美しさであると思う。

強い哀愁が感じられる内容でありつつ、硬い決意も同居しており、やはり『A DROP OF COLOR』のように、HYDEのパーソナリティーが深く反映されていると想像してる。

友人や家族、恋人といった大切な人との別離を思わせるが、そこにあるのは強い意思であり、恐怖ではない。

出演者とリスナーとの別れに即して、そしてこの数年強められた「隔離」「距離」に対して、まさに今演奏される意味を噛みしめるように聴いた。

そこには、【ROENTGEN】の20周年、会場である福岡サンパレスの開館30周年、そしてラルクも30周年という記念すべき2021年であること、感染症対策下であることに即した数多の思いが込められていると伝わってきたし、加えてHYDE自身がキャリアを重ねる中で、伝え方や見せ方をどんどん変えてきたアーティストあることがよくわかるものだった。

当然、hyde/HYDEにせよ、ラルクにせよ、デビュー当時や、あらゆる時間軸を知り尽くしてるわけはないが、筆者がハマった時からミステリーに包まれていたHYDE。

昔はプロフィールはすべてシークレットであったし、女性だと思っていたという人が存在するほど美しい容姿、耽美的とさえ言われた曲想と歌詞の世界観。

今でこそHYDEは本名が明かされており、オフィシャルに書籍やインタビュー記事でオープンにされていることも多くあるが、そのこととは別に、このライヴに参加できたことで、HYDEというミュージシャンの本質に直に触れられたように思える。

中学生の頃にから知っていて、後々の音楽的嗜好に大きい影響を及ぼしているラルクのフロントマン。

そのソロワークのライヴを初めて聴けたことに加えて、過去の再現というより現在形であること、などなど、総括してみても、とても充実感のあるコンサートだった。


あとがき(読まなくて可)

前述したように、このライヴレポートの原型は、コンサート鑑賞後の何日かで、その時に残っている印象や思ったことを書き出していた断片でした。今回の記事全体は時間経過後に行った大幅加筆です。

ボリューム感のあるコンサートであったことと、部分的に思い入れが強すぎる曲などがあり、コンサート後にレポートとしてまとめる(他者も読めるものとしてリリースする)には、もともとバランスの悪いものでした。個人的なメモ程度のものとして「下書き」に保存したまま放置。(単純な話、新曲や提供曲は初めて聞いたので、ディテールとか曲名まで覚えていなかったので。)

それを1年が経過しそうな最近になって、【ROENTGEN 2022】を聞いたことをきっかけに、自分で改めて読み返しました。

そこで、【ROENTGEN 2022】のレビューと、断片的なライブレポートとを組み合わせ、全体をまとめてみることにしました。

通常のライヴレポートは、なるべく「その直後」に書かれ、読まれるものが多いと思われますが、音源のレビュー(というか大まかな印象を書いたもの)と併せてリリースするのもありかな(面白いかな)という考えです。

したがって、正確にはこれらをレビューやレポートと呼ぶべきかは甚だ疑わしいです。どちらかというと自分語りや妄想が大いに膨らんでいますが、自分の能力では、これくらいの形のままでなければリリースできない(整形し過ぎると嘘が入る)なと、割り切ることにしました。


※ライヴレポート本文中、「色弱」という表現を使っていますが、今では「色覚多様性」という表現があり、必ずしも適切な表現ではないかもしれません。


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