父とお墓と仲間たち
父は今から3年と3か月前、2020年12月に亡くなった。
私は幼い頃からパパっ子で、大人になってからもよく一緒に都心にご飯を食べに行ったり、映画を観に行ったりした。そんなとき私はよく、笑いながら父に言った。
「お父ちゃんは幸せ者だよ。こんなふうに娘がデートしてくれるなんてなかなかないよ。しかもこんな美人の娘が」
すると父はお酒で真っ赤な顔をして
「本当にそうだなあ」
と笑った。
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私が働くようになり一人暮らしを始めると、父はよく電話をくれた。
「来週末、帰ってこないか」
しかし私は仕事疲れで週末はグッタリ寝ているばかりで、とても実家に戻る余裕はなかった。
ただ、三連休のときはなんとか実家に顔を出すことができた。すると父は時々電話をかけてきて、いつも同じセリフを口にするようになった。
「今月、三連休があるね」
(三連休はたいてい毎月ある)
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父は83歳で肺炎を患い、長い間入院生活を余儀なくされた。時はコロナ禍の真っ只中で、お見舞いは許可されなかった。
入院から半年後、12月の初めに兄から電話で
「いよいよ危ないようだ」
と言われ、私はクライアントさんに事情を話して実家に戻った。
病院は1日15分の面会を許可してくれ、私は一年ぶりに父に会った。
「お父ちゃん、私はこれからずっと実家に住むから、早く良くなって一緒に暮らそう」
と耳元で話した。
父は、うんうん、とうなずいていた。
それから毎日のように会いに行き、2週間後に父は亡くなった。
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私の実家は裕福ではなく、お墓を建てることができなかった。納骨堂はどうか、など家族会議が何度も開かれたが、結局母は「共同墓地に眠ってもらう」と決めた。
その共同墓地は地下に大きな部屋があり、そこに無数の棚が並んでいる。その棚にはたくさんの箱が隙間なく置かれており、箱の中には4人分の遺骨が入る。
その地下空間の上には、土がこんもりと盛り上がっており、芝生が敷きつめられ、真ん中に1本の細い樹が立っていた。
墓参者はその樹に向かって花を手向け、祈る。
私は「ここに父がいる」という感覚をまったく持てずに、どこに向かって祈ればよいのかわからずに戸惑っていた。
父は見知らぬ、縁もゆかりも無い他人とともに眠っている。それが悲しく切なくて、自分がふがいなくて悔しかった。
このことは親友にも話せず、長い間、心の奥に黒い小石ような哀しみを残した。
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昨日、病院で仲の良い看護師さんにふと、父のお墓のことを初めて話した。
お父ちゃんに申し訳ない、と。
その男性看護師は少し考えてから優しい笑顔で言った。
「お父さん、きっと周りの人と友達になってるよ。お墓の中に一人でいるより、たくさんの人と一緒に過ごせた方が楽しいんじゃないかな。きっと天国で皆とお酒とか飲んでるよ」
私は驚いて、思わず吹き出した。
「そうかぁ、周りの人とお友だちになってるか。それなら淋しくないかも」
「そうそう、隣にすんごい美人がいるかもしれないし」
「お父ちゃん、きれいな女の人好きだったから、それは嬉しいかも」
そんなふうに話しているうちに、胸の小石がじんわりと溶けていくように感じた。
そうか、お父ちゃん、楽しくてやっているのかな。今度、桜の季節に会いに行くね。
その時は、お空の仲間たちのこと、いろいろ教えてよ。