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his...彼の、そして彼らの その1

薄明るい朝の光。白い肩が並んでいる。
身体を起こした時初めて背後の渚がこちらを向いて寝ていたことがわかる。
「三日月耳」と囁く渚。
耳の形はもちろん迅の身体の隅々まで知っている渚と、ふふと笑う迅はどう見ても幸せな恋人同士だが
やがて覚悟を決めた弱々しい微笑みで渚は迅に別れを告げた。

ドラマ版での渚は寡黙でクールな印象だったけど
今泉監督は映画版では当初もっとチャラいキャラクターを考えていたらしい…
もちろん後半の裁判にかけて「変わっていく様」を際立たせたかったのだろう。実際、これまでの藤原季節(以下敬称略)がやってきた役柄を考えたらそういうキャラクターはピッタリはまりそうではある。
でも現実問題、宮沢氷魚と藤原季節として対峙した二人、迅と渚として、難しい役を纏おうとしている役者二人はそんな監督の思惑とは少し違ったアプローチを取ることになった。
結果的にドラマ版の渚とそう乖離せずに済んだわけだけど。
今泉監督は役者のポテンシャルを信じていると思う。信じようとしているんだと思う。
自分が役を与え、それが、生身の人間が自分が思いもしなかった方向に動き出すのを楽しみに見ていると思う。
誰もが口を揃えていう宮沢氷魚の神々しいまでの「透明感」と生まれながらの「存在感」を前にしてそんな軽々しい人物になることができなかった"真面目な"藤原季節の心情は想像に難くない。

8年ぶりに現れた渚はとても混乱している。
不意をつかれた迅よりもずっと。
結果的に娘と二人転がり込むが
どうやって食べていくの?と聞かれて無邪気に「え?」と聞き返し
「誤解しないで。そんなつもりじゃないから」と言い放つ。
見た感じ以上に渚は傷ついていて、悲しくて、寂しい。
寄せた眉の間に理解を求める願いが見える。耐えられない緊張がある。
一方迅は…初恋の相手であり初めての相手であった渚を前にして
再び愛情に落ちていくのを止めることができない。
忘れようとしてた、と言いながら
東京から大事に持ってきて引き出しに綺麗にしまわれていた渚のセーターと束ねられた手紙と写真。
ドラマ版のキャストの顔が頭にあったからすぐにはわからなかったけど
あの手紙の束は二人が初めて会って恋に落ちて
直後1年間の遠距離だった間の手紙だ。
「気になってた。これからも好きでいたい」と言い合って抱き合ったところでドラマは終わった。
感極まって涙を浮かべた迅が可愛かった。
きっとその後の1年が一番素敵な時間だったんじゃないかな。
いつかアサダアツシさんがその間のお話を書いてくれることを切に願う。
読みたい!!

薄っぺらい言葉を迅に投げつけながらも渚の緊張は
娘の空ともう一人の愛する存在に少しずつ溶けていった。
その溶けていく感じ、表情が少しずつ和らいでいく様子がとてもとても素晴らしい。
今までももちろん空と長い時間を過ごしてきたんだろうけど
本当に愛してる人と愛するものを見守ることの幸せを
渚は初めて知った。

空を連れて行かれた渚はついに
迅に本当の気持ちを打ち明ける。
一番言いたかったこと

「迅がいなければ生きていけない」

渚はきっと半分死んでいたんだと思うし
心のどこかで…空を失うことを予感してた。
そして唯一愛した男性をも失うことを考えたら
そうなったら文字通り生きてはいけなかっただろうと思う。

泣きながら謝罪してテーブルを乗り越えて迅にしがみつくシーンは
本当に心震えるシーンだった。
エロではなかった。
あのシーンをちゃんと見た人なら
あのシーンに
「キスを求める藤原季節」というキャプションは決してつけない。
断じてつけないよ。

この辺りから渚の顔がどんどん変わっていくのがわかるんだけど
一方で迅、宮沢氷魚は静かな存在感。
それがまたすごい。
関わらないように用心してたはずなのに
渚と空が来たおかげで少しずつ迅にとっての町の人たちに色彩がついていく。
考えたら迅も東京からここ白川町に来たのはほんの数ヶ月前のことだ。
ずっと永住するとは迅も町の人たちも誰も思っていなかったはずだ。
野菜の物々交換だけで一生生きていくことはできない。
空と渚が来たことで改めて「生活」を意識し
"誰か"と生きていくことを考え始める。
おずおずと。

<続く>

https://www.phantom-film.com/his-movie/

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