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ギブアップをギブアップ
述懐
"5月3日"から、三ヶ月、経ちました。
私北岡悟は"5月3日"に向けて、全力で過ごしていたわけですが。
結果というか、"審判"として、諸行無常。
様々な"応援"に、時間が経ったから今一度、感謝を改めて、此処で記したいです。
私は"応援"して下さった方々を"仲間"とは思わない、"仲間"は"仲間"、"応援"は"応援"、"日本人"は"日本人"、まあそれはそれとして。
5月3日の試合で私は間違いなく"ダメージ"はありましたが、試合翌日からご飯を食べに出掛けることが出来ていましたし、身体を動かす軽い運動も一週間ほどで出来ました。
"ダメージ"は大概、時間の問題、身体も心も。
いよいよ正真正銘、"格闘技選手"として力尽きた尽きていると、自覚はしています。
5月3日の"負け"や"負け方"では断じてなく、その試合に至るまでの過程で、力尽きている自分を痛烈に自覚しました。
私の"優先順位"は変わって、その中で、自信のある強い自分を、作ろうとしたけど、作り上げれませんでした。
私は、今まで私が思うところであった"格闘技選手"、私の中で定義付けていた"格闘技選手"を続けて行くことが、もう無理であると思ってしまいました。
老い衰えや、この競技の発達、抗えてないのに意地を張って、病的に(というか絶対何かしらの疾患)抗い続けましたが、抗うべく太刀打ちする力が本当に無くなった実感は確かにあります。
全てが消耗して来て見ていられないものになっているかもしれませんが、私なりには気高く、心を込めて戦って来ました。
目指すものがあって、辿り着きたいとやっていましたが、辿り着けないのかと、諦める自分がいました。
私のパンクラスイズム横浜は、私北岡悟が格闘技選手を続けて行かないと回らない、異様なジムでやって来てしまいました。
"経営"というノリで動かして来てなくて、好きなことを好きなようにやって来た故の自業自得過ぎな話ですが、兎に角全力自転車運転で、無理矢理回して来たのです。
誤解されまくって生きて来たから、誤解はあまり恐れてないけれど、誤解されたくない部分としては、私はパンクラスイズム横浜の為だけに戦い続けて来たわけではありません。
"格闘技選手"として生き続けたいから、目指すものがあって辿り着きたいから、やって来ました。
逆を言えば、パンクラスイズム横浜があるから、やって来れたことも自認しています。
力尽きた自分、老い衰えた自分だけど、自分だから、だからこそ。
"足場"を作り直して、尽きた自分に、衰えた自分に、再び力を注いで生きていく。
"足場"はやっぱりパンクラスイズム横浜。
看板
前述した通り、5月3日の試合で私は間違いなく"ダメージ"がありまして、現役選手どころか、「もう格闘技の世界は嫌だ」となっていました。
しかして二ヶ月近くウダウダやって結局、現役を止めてもこの世界に残るにいる決意をしました。
その決意に至るまでの中で、数少ない"ホンモノの先輩"に「早く覚悟を決めなさい」と言われました。
その通りですが、難しかったです。
時間が無い中、優雅にやっているように見えていただろうし、実際のところそういう優雅な気質だから、容赦して欲しかったです。
言うても十二分に容赦してくれていますが、先輩に限らず皆々さん。
この先輩には「拘りを捨てなさい」という旨のことも言って貰っていたのですが、程なく拘りを捨てたら自我を保てないという事実に気付きました。
つまりは、拘りを捨てないという覚悟が決まりました。
「もう格闘技の世界が嫌だ」となった中で、近い関係者に「私がパンクラスイズム横浜を動かして行くことをギブアップしたい所存です」と高らかハッキリ伝えていましたし、"処分"に向けて動きもしていました。
大変お騒がせしてしまいました。
この事で特に謝るべき方がいます。
申し訳ございません。
此処にも謝罪を記します。
私の中の結論として、"パンクラス"の看板は私のものだと気付いたからこそ、随伴して格闘技の世界に残る決意に至りました。
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現状、イリーガルなこの私しか、看板の所有者に相応しい人はいないです。
それだって、このままじゃダメだと、改めて気付いてはいます。
即ち"足場"を作り直すべく、動きます。
どうやって生きて行くかということ、それなりには見つめてみて、結果、人に見られて生きて行くということになりました。
私は一度でも人前に出たらもうアウトだと思っているので、「もう格闘技の世界が嫌だ」となって格闘技の世界から居なくなっても、街で気付かれて指差されるのは仕方がないことだと思っています。
指差され続けるなら、指差され続けても、この世界にいます。
誹謗中傷されるのが嫌なら人前に出るな、これからも人に見られて生きて行く、人に何かを見せて生きて行く。
「北岡悟さんですか?」と聞かれたら、「違います」という時はありますが。
結論
一向に纏まりませんが、先ずはパンクラスイズム横浜を"何とか"して生きて行きます。
この場合"何とか"が簡単ではないのだが、"何とか"する。
具体策はコツコツしたものです。
"何とか"する為に多少軌道修正→整したりはしている。
その辺はまた近い将来記す別項にて。
「北岡悟は選手としてはどうするのか?」と聞かれたら、「先ずはパンクラスイズム横浜を"何とか"してからだ」と答えます。
現実逃避如く、否、現実逃避で格闘技選手して、パンクラスイズム横浜を回すカタチを脱却したいと痛切に思って、今に至っている次第ではあります。
だけども、仮にもう二度と格闘技選手として人前で動かなくなっても、格闘技選手らしく余生も過ごして行きたいと思うことに行き着いた、この三ヶ月でした。
最後まで読んでくれた人も、目次で結論に飛んで来た人も、ありがとうございます。
BIG LOVE。
引き続き北岡悟と北岡悟のパンクラスイズム横浜をお見守り下さい。
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