カミングアウトはどのように行使すべきか
自身のマイノリティ性を自覚したり、知った人は一度は悩んだことがあるのではないでしょうか。
自身が〇〇(特定のマイノリティ属性)であることを伝えるべきかどうか。
伝えたとして適切な配慮を受けられるのかどうか。
伝えたとして偏見にさらされるのではないか。逆に不利益を被ることはないのか。
カミングアウトしても周囲は対等に扱ってくれるのか。腫れ物のような扱いになるのではないか。
カミングアウトにはどうしてもこういった不安がつきまといます。
私自身も、時々自分のマイノリティ属性を持て余すことがあるので、非当事者ならば尚更でしょう。
この記事では「自分自身のマイノリティ属性をどう取り扱うべきか」ということについて、私自身の考えを書いていきたいと思います。
(ただし、これはあくまでも私自身の考えであって、全てのマイノリティが同じ考えとは限りません。カミングアウトは誰かに言われたからではなく各々で判断するものです。その点はご留意ください)
なんのためにカミングアウトするのか
私が自身のことに関してカミングアウトするのには、主に2種類のパターンがあります。
1.支援を受けるためのカミングアウト
2.自分の経験を共有するためのカミングアウト
それ以外でカミングアウトすることは基本的にありません。親しいからカミングアウトするわけではないですし、逆に親しくないからカミングアウトしないというわけでもないです。単に必要かそうでないか。それだけです。
マイノリティだからといって可哀そうな人と思われたくはないですし、カミングアウトして腫物のように扱って欲しいわけでもないのです。マイノリティであることが私の全てではありませんから。
私にとって最も重要なのは、自身のマイノリティ性を理解してもらうことではありません。
親しい友人と楽しい話に興じること。時には仕事の愚痴を言い合ってストレスを発散すること。休日はちょっと長めにお布団に入っていること。おいしいケーキやコーヒーがあるお店を開拓すること。そういったことの方がずっとずっと大事なのです。
支援を受けるためのカミングアウト
まず前提として、私はマイノリティ属性に基づく生きづらさを抱えています。
能力のばらつき、考え方、コミュニケーション。主にそういったシーンで他者との齟齬を強く感じ「皆は出来ているのになぜ自分には出来ないのだろう」「なぜうまく伝わらないんだろう」と思い悩むことがあります。社会人になってからはそれが特に顕著になりました。
そんな状態だったので、仕事ではかなり苦労しました。「一生懸命努力すれば人並みに仕事が出来るようになる」と一時期は信じていましたが、どうも努力ではどうにもならない領域らしいということを最近知り、今は「努力も大事だけど、自分の能力に適した仕事を探すのも大事だな」という考えです。
人並みに生活できるように。一人立ちできるように。過剰でもなく不足でもなく、丁度よい支援を受けたい。自分に合った働き方や生き方を選択したい。そのために自分のことを理解して欲しい。
この場合のカミングアウトはだいたいそんな趣旨です。
自分の経験を共有するためのカミングアウト
私のマイノリティ属性は(女であること以外は)見た目では分からないものなので、ネット上ならば自分から言わない限り、ほぼ知られることはないといっていいでしょう。
マイノリティだと知ると不愉快なことを言ってくる人も一定数いますし、いいことばかりではありません。
それでも、最近はnoteやTwitterで、自身のマイノリティ性について発信していたりしています。これは、私がネットで自身のマイノリティ性について調べた時、当事者の語りというのがすごく参考になるということを痛感したからです。
専門家的な情報にアクセスして正確な知識を得ることももちろん大事ですが、「生活をする上でどういった苦労があるのか」「こういうことが苦手」「こういう時こういう感情を抱く」といった生の声は、具体的な共通点を見出しやすく、自分のことを理解するのにとても役立ちました。
だからこそ、私のように無自覚に生きづらさを抱えていたり、特定の分野で苦労していたり、周囲からの理解が得られなかったりしている誰かの参考に一つになればいいなという理由で、noteやTwitterで自分のことを話しています。
カミングアウトは本人の自主性に委ねるべき
さて、ここまででカミングアウトに関して肯定的なことを言ってきましたが、もしこれを読んで下さった方の中に
「すごくいいね。それならもっともっと皆がカミングアウトしていけばもっと皆が生きやすくなるんじゃないかな? もっともっとカミングアウトしていこうよ!」
と考えた方がいましたら、悪いことは言わないので、それはご自身の頭の中にしまっておいて下さると嬉しいです。
冒頭でも言いましたが、カミングアウトは誰かに言われたからではなく各々で判断するものです。カミングアウトは、それをすることで社会的支援を受けられたり、経験を共有することが出来るといった反面、知られたくない人にも自身のマイノリティ性を知られたり、それをネタに中傷されたり、心無いことを言われたりするリスクも増えます。
私も自身の特性を懇切丁寧に説明したらガ〇ジや頭がおかしいと言われた経験があります。
(これについては相手を理解させるどころか混乱させまくった私の説明にも問題があるのですが。話を聞いたところ宇宙語のようにしか聞こえなかったそうです。閑話休題)
仮によかれとカミングアウトを強く薦めて本人がしぶしぶしたとして、その後そういったひどいことを言われることもあるわけです。しかし、カミングアウトのリスクはカミングアウトした本人しか引き受けることができません。
自分が最終的にリスクを引き受けることができないような、(悪く言えば無責任な)勧めはよくないと私は思うので、私はあくまでもカミングアウトは当事者の自主性に基づくべきという立場をとっています。
また、よかれと思ってマイノリティ性を第三者に話してしまうパターンもありますが、マイノリティ性というのは特にセンシティブなプライバシーでもあるので、絶対にしないで下さい。
当事者でない人が第三者に秘密にしていたマイノリティ属性を暴露するのはアウティングと呼ばれる、差別やパワーハラスメントの一形態でもあります。
最近ではアウティングが原因で精神疾患になり、労災に発展したというニュースがありました。2015年ではアウティングが原因で自殺するという事件も起こっています。こういった悲しい事件が再び起こることがないよう、アウティングの問題について広く知られて欲しいと思っています。
男性は「差別を受けることが不安で、セクシュアリティを伝える人は本当に信頼できる人だけに限っていた。自分がアウティングされて初めて、セクシュアリティを勝手に暴露されることでどれほど傷つくのかを知った。他の人にこんな経験をしてほしくない」と打ち明ける。
カミングアウトする/しないを選び取る力を身につける
当事者がカミングアウトするしないと決めるのは、それなりに重い決断の一つです。
言ったことは取り消しが出来ませんし、一度ネットで公表してしまえば、(カミングアウトの書き込みをしたアカウントを消さない限り)そのラベルは剥がすことが出来ません。
カミングアウトするにしても、リスクを負う以上、なるべく納得の出来る形でカミングアウトして、納得のいく結果を得たいと考えるのではないでしょうか。少なくとも私はそう考えました。
noteで自分のことを書こうか、書くまいか。悩んでいた時期に、このツイートをTLで見て、はっとしたのを覚えています。
カミングアウトは、必要な部分で社会と繋がっていく手段です。公正証書を作るといっても、法律家に相談したり公証人役場で手続きしたり、自己開示を行う訳です。これもカミングアウト。必要に応じて、生活を豊かにしたり、将来の不安に備えたりするため、社会の一部と繋がっていく訳です。
カミングアウトするしないといったざっくりした話ではなく、社会生活の中でこの部分は開いていこうという選択をしていく意識が大事です。こうした営みが、災害や今回のような感染症の問題の時への備えにも繋がります。その延長に制度がある。明確にニーズを示すことができる。
私たちのパートナーシップは、尊重されて然るべきものだ、という権利意識=自尊感情=プライドを互いに育てあう、エンパワーメントできるコミュニティも作っておきたいものです。私事を細かく段階を踏んで社会的、政治的なことに繋げていく営みをシェアしていきたいと思います。
「ああそうか。カミングアウトは『手段』なのか。社会と繋がるための」と、自分の中で腑に落ちるものがありました。
手段だからこそ、場合によってはうまくいかないこともあるし、目的をはっきりさせて、上手に使っていかないといけないものだなと。
経験上、自身のマイノリティ性によって苦労していたとして、それを言ってもどうしようもないシーンというのはあります。それは個々人レベルの配慮ではどうにもならない制度や設計上の問題であったり、法制度が「普通」を想定していて自分のようなタイプが想定外扱いの場合だったり。
私の場合、そういった場合はわざわざカミングアウトしません。相手も言われても困ってしまうでしょうし、配慮を受けるという目的はカミングアウトしても達成されることはないからです。
配慮してもらえそうな時はカミングアウトし、難しいときはあえてしない。
そういう風に私は使い分けをしています。上手に出来ているかというと微妙かもしれませんが、悪くない使い方を出来ているのではないでしょうか。
「何のためにカミングアウトするのか」という『目的』を明確にして、『手段』を行使する/しないを決めることは、より納得のいく生き方を選択することにも繋がります。
そして、手段を行使する上で常に付き纏うリスクを想定することで、よく分からない不安による心理的な負担を減らすことができます。
最終的には自分の選択が一番大事なのは勿論ですが、もし、目的やリスクをよく知らないからこそカミングアウトが怖いと感じているならば、一度調べたり、他の人の体験談を調べたりして、改めてカミングアウトする/しないを判断するのもいいのではないかと私は思います。
これを読んだ誰かが、よい選択をできますように。