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充実感が跳ね上がった話

所作に滲み出る自分の『 クセ 』や『 性格 』というのは誰かから指摘されることによって気付くことが多いと思う。


※「何の前置きやねん」みたいに自分で書いて自分でつっこむための部分的コメント機能がほしいよね

閑話休題…と挟みたいがそもそも本題に入っていなかったという肩透かしを喰らいながら、前置きという名の字数稼ぎにしては長すぎるなと思いつつ、そろそろ本題へ。



私の充実感が跳ね上がった話をしようと思う。


キッカケは通っている習字教室で仲の良い先生にかけてもらった言葉。「全体のカタチはきれいなのに最後のはらいが遊んでるのが惜しいなぁ」と。

以前にもそこでは同じような言葉をかけてもらっていた私。よくよく考えると違うところでも似たような言葉をもらっている。

「カデンツの最後に本性発揮するのやめな」
「考えあぐねて諦めるなら何も考えずに吹きなさい」

それぞれピアノの先生とフルートの先生にもらった言葉だった。

しかし、これらの言葉をもらっていながら私はことごとくスルーしていたというのが紛れもない事実であり問題なわけで。

指摘というのは自分ではわからない自分の課題を全く別の視点で教えてくれるもの。所作に滲み出る性格を総合的な課題の解決へと直接繋げてくれるもの。

成長できる機会を与えてくれているのに気付けていなかったのは非常に惜しい。惜しすぎる。

過去の自分が悔やまれるが今更どうにもできないので「気付けた瞬間、今をスタートラインにしよう」と思ったことにより跳ね上がった充実感。それは、今よりブラッシュアップされて少しは味のある人間に成長しているであろう未来の自分への展望。

それに伴い上がった口角が私のニヤけ顔を作り出し、傍にいた母が引き気味だったのは余談ね。


ちなみに私は、指摘されたことは全てがプラスになるものとは限らないので自己研鑽に繋げるか不快に思って捨ててしまうかは自分の都合のいいように考えて問題ないと思う派。
でも、捨ててしまう前に『本当に捨ててしまいますか?』の確認画面と向き合うくらいの立ち止まる時間があった方がいい場合もあるんだってことは覚えておきたいよなと。


まとまらないけど以上です笑
最後までお付き合いいただきありがとうございました!