一時間って、儚い
Instagramにて、「noteをもくもくと書く会」というのを見つけた。note公式さんの企画で、一時間でnoteをもくもく書こう!(そしてその様子をライブ配信するよ)というものなのだそうだが、めちゃくちゃおもしろそうである。ぶっちゃけ最近スランプ気味だった。よし書こう! これに乗じて!
とは言うものの、一時間でいったいなにが書けるというのか……? ここまでの文章だって、「とはいえなにを書けばいいのかしら」と固まっている間に15分経ってしまったので、とりあえずと書き始めたものである。だからというか、当然なのだけれど中身がまったくないですね。結婚式のスピーチで「本日はお日柄もよく」をずっとやっている気持ちだ。いつになれば本題に進めるのだろう(と言いながら進むべき本題を考えている)。
だが、「一時間でnoteをもくもく書こう!」という企画を見つけて、できるかどうかは度外視で「やってみたい!」と思ったのには、ちゃんと理由があるのだ。というのも、わたしは似たような企画に参加した経験がある。
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それは大学生になって初めて自分のパソコンを持った、ある日のことだった。Twitter(当時)で、こんなお誘いをいただいたのだ。
「今週土曜21:00から、一緒にワンドロしませんか?」
ワンドロ——「1 hour drawing」とは、つまり「共通のお題に沿って、一時間で絵を描いて見せ合おう!」という遊びである。
(※ここで一度中断、残り35分)
夕飯を食べて帰ってきた。ソース焼きそばはおいしい。
さて、ワンドロの話である。一時間でnoteを書くのも大変だが、一時間で絵を描くのもかなり大変ではなかろうか? 高校では美術部で油絵を描いていたし、昔から絵を描くのは好きだったが、さすがに無理があるだろうと思った。ただ、せっかく誘ってもらったものを無下にするのも気が引ける。ものは試しと、描いてみることにして、
当然、うまく描けなかった。
たしか色塗りが終わらなかった。肌は肌色! 髪は髪の色! と区別はできているが、それだけという感じで、いかにも未完成な絵ができてしまったのだ。敗北感とともにアップロードした。もう二度とやるかと思った。
ところが、他の人の絵を見せてもらうと、これがきちんと完成されたものばかりなのである。同じ一時間を過ごしたはずなのに……。
結局、次の回も参加した。その次の回も、次の次も参加した。そのうち、だんだんコツもわかってきて、たった一時間でもそれなりの絵が描けるようになった。うれしい! やっぱりできるようになればなんでも面白いものなのである。
「一時間でnoteをもくもく書こう」という響きになんとなく惹かれてしまったのは、そういう思い出があったからなのだった。どれだけ未完成でも、時間を決めておけば「今の自分にできるのはここまで」と切り上げ、次に向けて気持ちを切り替えることができる。一時間は、免罪符だ。
なにより、いまこれを書いているとき、同じようにどこかの誰かもがんばってnoteを書いているのだと思うと、大変心強い! 仲間! うれしい! ありがとうございます!
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……なのだが、途中でも書いたように、今回は合間に焼きそばを食ってしまったため、いまやっているのは孤独な延長戦である。結婚式のスピーチみたいですね。あれも孤独な戦いだからね。ワンドロの一番のメリットをフイにしている気がする。
わたしもすぐに後を追います。待っていてください。
というところで、残り時間2分となった。2分でいったいなにができるというのか! 今回のわたしにできたのはここまでということで、最低限の誤字脱字がないかだけチェックして終わることにする。と書いているうちに残り1分だ! 一時間って儚い!
自分の文章を読み返す暇もないくらいドタバタと、勢いに乗って書き上げられてとても楽しかった。次があれば、そのときはもうすこしいい感じに文章をまとめられたらいいですね。
「#noteもくもくインスタライブ」、ありがとうございました!
追記:時間は過ぎてしまったんですが、なんとハッシュタグをミスっていたのでそこだけ直しました。