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ひとりの不良少年が探し続けた、「許せない自分」の許しかた
16歳の男の子が20歳になるだけの月日というのは、短いようで案外長い。未来ある若者がひとつひとつ歳を重ねていくことを、一般に「成長」という。成長の形は、もちろん人によって異なるものだが......。
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「本音と建前/第三話」より
鬼龍くんにとっての成長とは「自分を許すこと」だったのではないかと、最近考えるようになった。
『あんさんぶるスターズ!!』の世界で生きる子たちというのは、たいてい皆、コンプレックスを抱えている。許せない過去、許せない友、許せない自分自身。鬼龍くんの場合はその対象が「不良少年だった自分」であった。
物理的に殴って傷つけた人。
『紅月』の一員として傷つけたアイドルの玉子たち。
なにより、自分が落ちぶれていたせいで心配をかけてしまった妹、父親、今は亡き母親。
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「Crowd/第八話」より
母を亡くして塞ぎこむ妹を、元気にしてくれたアイドルに、自分もなりたい。
それが、彼がアイドルを志したきっかけだったらしい。「不良少年」の自分では妹に手を差し出せなかったこそ目指した、アイドルという理想像。鬼龍くんは、何かに/誰かに対して罪滅ぼしをしようとしつづけてきたように見える。
でもね、と事の顛末を知っている私はつい思ってしまう。誰があなたを責められる? 鬼龍くんだってまだ15歳、16歳の子どもだった。思春期、不安定にもなるだろうし、まだまだ大人に庇護されるべき年頃で、そんな時期に母親を亡くし、自分が精神的支柱として家族を支えなければならなくなったら、誰だって動揺するにきまっている。ひょっとしたら彼の周囲にいる人たちも、同じことを考えたのかもしれないが——。
罰してくれる人が誰もいないなら、自分で自分を罰するしかないじゃないか。
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紅郎
すくなくとも、俺はずっとそういう世界で生きてきた。自ら望んで落ちぶれてさ、くだらねぇ不良になったんだよ 周りのぜんぶを傷つけてさ……。そのぶんの『つけ』を支払わされてるんだよな、最近は。〔……〕俺は俺のせいで、俺に近づいたせいで俺以外のやつが傷つくのが大っ嫌いなんだよ また『それ』を繰り返しちまったら、今度こそ俺ぁ生まれてきた価値がねぇ。腹を痛めて産んでくれた母ちゃんに、申し訳が立たねぇんだよ
「二年前、ヒーロー未満/第六話」より
自罰に刑期はない。これでいいと思えるまでやるしかない。自分の傷つけた不良仲間たちが報復に来ても、彼はされるがまま、暴力を受け続けた。
「もう人を傷つけたくない」としながらも、彼がかつて龍王戦で『紅月』という加害者側に立ち続けていたのは、いまさら足抜けできないという情に加え「人を傷つけて心が痛む自分への罰」という側面もあったのではないか......などと、穿ったことを考えたりもする。
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「手のひらに太陽を/エピローグ①」より
ところで、鬼龍くんの歩みについて、ひとつ確かに目を向けておくべきだろうと思うことは、彼を変えたのは『紅月』ではないということだ。
というと極端すぎるから、すこし表現を柔らかくしておく。『紅月』なくして今の彼はないだろうが、『紅月』だけが鬼龍くんを変えたのではない。むしろ『紅月』が彼に提供したのは、彼が「不良少年」のままで居られる場所だった。アイドルとして鬼龍紅郎の暴力性を生かせるユニット。蓮巳さんもとい『紅月』は彼を利用したが、同時に鬼龍くんを受容してもいたのだ。
だが、それでも鬼龍くんは変わった。何が変えた?
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「手のひらに太陽を/エピローグ①」より
それはもちろん、彼のことが大好きな人たちではないだろうか。
鉄虎くん、なずなくん、宗くん、晃牙くん、空手部の人たち、衣装づくりで関わった人たち、後輩、友達——けれど、彼らはただなんとなく鬼龍くんのことを好いていたわけではない。彼らは、鬼龍くんが自ら行動した先で出会い、助けた人々だ。
たしかに時が経ち、『紅月』の在り方が変わるにつれて、鬼龍くんは「今の自分のままではだめだ」と考えるようにはなった。だがそれは『紅月』が彼を変えたということではない。
彼が、自らの意志で、変わろうとしたから変わったのだ。
わたしはここに、彼の背負う光を見る。
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「Doll House/第一話」より
自罰。彼は別に、全ての出会いに対して前向きだったわけではない。屋上でなずなくんの歌を聴いたのはまったくの偶然だったし、鉄虎くん入部当初は、やたらと自分を慕う彼をひっぺはがそうと躍起になっていた。
一方、革命に燃える『紅月』は「不良少年な鬼龍紅郎」を受容する。「求められているのだから仕方ない」と足を止め、耳を塞ぎ、物言わぬ武器として拳を振るい続けることだってできた。
でも、それでも、彼はそうしなかったのだ。「不良少年」な自分に決して甘んじなかった。鬼龍くんは「不良少年な自分」を許すことができなかったから。終わりなき自罰のループから一歩踏み出し、血まみれの手で人々と関わり続けた。恐れながらなずなくんの手を引き、震えながら鉄虎くんと拳を交わした。時には「不良少年な自分」と周囲のイメージとのギャップに苦しみながらも、逃げ出すことなく立ち続けた。
彼にそうさせたのは、彼がどんな苦境の中でも捨てることなく持ち続けた、彼自身のやさしさだ。
そして、人はそれを「強さ」と呼ぶ。
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「エピローグ②」より
自分を許すとは、どういうことだろう。きっと誰も彼に教えてくれはしなかっただろう。だからこその手探りの道、長い長い月日だったはずだ。
冒頭で引用した『ドラゴンズヘッド』のワンシーンは、彼の不良少年だった経験こそが光明となった、印象深いシーンである。かつて「許せなかった自分自身」が今度こそ正しい形で仲間の役に立つ。歩み続けた先で、ふとそんな救いに巡り合うことだってある。
その道のりが、どれだけのファンに勇気と希望を与えたのだろうか。
鬼龍くんがアイドルという生き方を選んでくれたからこそ、ファンは(ゲームを通じて)その過程を知ることができた。それって実は、とっても意義深いことなんじゃないかな。
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あなたがこんなにも格好良い大人になる瞬間に立ち会えたこと、幸せです。本当にありがとう。
鬼龍くん、20歳のお誕生日おめでとうございます!