人生はつづくよどこまでも(果たして本当にそうかな?)
銀行窓口が開いている時間に外出できなかったので、ATMでできるだけたくさんの万札をおろして、その中からできるだけ綺麗なお札を選ってポチ袋に詰める、ということを今年もやった。今年こそは新券でお年玉を渡す大人になりたかったのだが、どうやら無理っぽい。かわいいポチ袋を事前に買えていただけ、進歩だと言えるかもしれない。
そう、お年玉をあげる立場になった。次の正月で2回目だ。
私には10年も歳の離れたいとこがいる。おばあちゃん家に住んでいるので、帰省のときにしか会わなかったが、そのたびよく遊んでくれた。高校を卒業してすぐ自動車学校に入り、そうして就職した年に、いとこもまたお年玉をくれた。今でもよく覚えている。ディズニーの絵柄が描かれた小さなポチ袋に、几帳面に折り畳まれたお札が入っていた。
今では立派に家族を養う彼のすごさを、年々身にしみて感じる年の瀬だ。
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ひとつ2023年に置いていきたいことがあって、noteを書いている。4月に受けた婦人科手術のことである。
まさに去年の今頃のことだ。なんかずっとお腹が痛いし、あらぬ所から出血もあるな〜ということで婦人科にかかったところ、卵巣が腫れてますね、これは自然には治りません。と言われ、何度かの検診を経て手術となった。
手術自体は無事に終わり、いまはお腹に手術の跡が点々と残るのみである。
だが、あとでお医者さんに聞いたことには、腫れていたのは卵巣だけじゃなかったようなのだ。子宮内膜症。これが腹を開けてみたら見つかったんですよね、とお医者さんは言った。
マ、マッズ〜!!?
「まあ全部焼いといたんで、ご心配には及びませんよ」とあっけらかんと言ってくれたお医者さんのおかげで、落ち込んだり取り乱したりということはしなかった。しなかったものの、あの日以来、自分の中で決定的に何かが変わった感がある。お腹の傷を見るたび考える。何か、自分のいる列車が知らないレールに乗った音がした。
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こういった感覚を抱くのは、別に初めてではない。ただ「道を踏み外した」とも違うこの感覚をなんと表現すればいいか、まだわからないままでいる。
初めてそれを知ったのは、中学生のときだった。
親友がいた。話のおもしろい、かわいい女の子だ。その分繊細で悩みも多い子だった。小学校高学年から中学生までのほとんどを彼女と過ごしたが、今、彼女とのつながりはない。
なぜか。彼女に告白されて、私がそれを断ったからだ。
呼びだされたショッピングモールには、彼女と、彼女の友人が数名いた。どこで手に入れたのか、いわゆる「濡れ場」の描かれたマンガ(ラノベだったかもしれない)を指して、私はずっとlotusちゃんとこれがしたかった、と言われた。
泣き崩れる彼女をなぐさめる友人たちは、誰も私を責めはしなかったが、同時にこうも言われた。「あの子が本当に大切なら、一度くらい抱かれてあげることはできたんじゃないか」と。それはそうだよなあ……と思ったし、今でも思う。私はいつかまた、友人に「おまえを抱きたい」と言われたとき、自分の体を明け渡すことはできるだろうか、と。
そのたびに、多分無理だろうな。と思い続けているから今の自分がいる。己の薄情さを思い知ったあの日、初めて自分の列車が知らないレールに乗った音を聞いた。
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婦人科検診や手術を通して思い出したのは、なぜか彼女との思い出ばかりだった。休み時間のたびに彼女の教室まで遊びに行ったこと。一緒に練習したダンスでお祭りのやぐらへ上ったこと。彼女がやってみたいと言ったディープキス、カッターで切った手指の傷たち。「お前を殺して私も死ぬ」と言った彼女に、「できるもんならやってみたらいい」と言い返してしまって、本当にお店の窓から突き落とされそうになったこと。
さらに残酷なことには、成人式で会った親友の顔を、私はまったく覚えていなかった。会話の内容で「あの子だ」と気づいて、帰宅するなり卒業アルバムを見返したけれど、姿形はあの頃と変わらなかった。それなのに「知らない人だ」と思った。
結婚を考えている男性がいるらしい。かわいい笑顔だった。それが最後だ。
いつか大切な人ができたとき、私はその人に抱かれることはできるだろうか。多分できないだろうな、と思い続けてきた。それが友情であれ恋愛であれ、誰かと「この人になら体を明け渡してもいい」と思える関係を築けるほど、私には情がない。
だが、今回手術を受けて、子宮内膜症があるのもわかったことで、「多分」が「多分ほぼ絶対」くらいに変わった。なんだかんだ、自分の薄情ささえクリアできれば、自分だって人と同じように恋なり結婚なりできるのではないか……と甘く考えていたのかもしれない。
術後の入院中、婦人科の病棟にはいろいろな患者さんたちがいた。消灯すればすぐナースコールが鳴ったし、知らない誰かの啜り泣きが聞こえるなんてしょっちゅうだった。親御さんらしき人たちと患者が笑顔で語らう面会室の裏では、看護師さんに不安をぶつける妊婦さんがいる。恋とは、結婚とは、子どもを産み育てるとは、思い描いていた「普通の幸せ」とはなんと難しいことだろう。
2023年、途中で投げ捨てた本が何冊もある中で、詩の余白の多さにはずいぶん助けられた。
初めて社会人になった年、真新しいピン札をポチ袋に包んでくれたいとこのことを思う。姪っ子ちゃんは4歳になったらしい。いいことだ。おばちゃんがお年玉をあげようね。
今年も一年ありがとうございました。来年も皆様にとって、より充実した一年になりますように。