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無題


「お墓参りにいかない?」

そう彼に言ったのは気紛れだったのかもしれない。
‘’そろそろ頃合いかも?‘’なんて自分でも首を傾げたくなるような、そんな曖昧な心持ちで声をかけた。
どうしても流してしまう涙を見られたくなくって、一人で行くことが当たり前になってしまった場所。
ここ数年やっと泣かなくなったのが彼のお陰であることは分かっていたから、今年こそは、そんな気持ちもあったのかもしれない。

◆◆◆


お世辞にもいい天気ね、なんて言えないほどの見事な曇り模様。
今にも雪が振りだしそうな分厚い雲の下、お墓参りなんて奇特な人間は自分たちだけらしい。
確か二人教室で話したあの日も、こんな天気だったな。そう思ったら、言葉が口から転び出ていた。

「あの時はありがとう。」

手を合わせたままそう言うと、背後で僅かに身動ぐ音が聞こえてくる。
顔をあげると怪訝そうな彼の顔がこちらを見下ろしていた。

「なんの話だ。」
「分かってるでしょ、私が大号泣した日のことだよ。」

そう言うと、バツの悪そうな顔で目を逸らされる。

「…俺はなにもしていない。」

あの日のことを思い返しているのだろう。
少し細まった罪悪感のある瞳を見ていると、昔と比べて彼の感情を読み取るのが随分上手くなったな、と検討違いの感想が浮かぶ。

「私を日常に戻してくれたのは古井戸君だよ。君がいなけりゃ、私はいつまでも美春の死を心に仕舞いこんでいたかも。」

私は徐に立ち上がると、彼にあの日預かっていたものを差し出した。

「それは…。」
「ずっと持ってたんだ、いつか自分から渡して欲しくって。」

手の上には、年月で少し色の褪せた冠が乗っている。                 
いつか渡そうとして、結局渡すことのできなかった紙の冠。
彼にとっては後悔の残る、ほろ苦い記憶かもしれない。
それでもずっと持っていたのは、思い出す度に心が痛む、そんな風になって欲しくない…いつか清算できる日が来るかもと思っていたからだ。

「そんな、今さら…。」

戸惑うように触れてこない彼の手に無理矢理それを渡してしまう。

「今さらもなにもないよ。きっと美春は古井戸君から受け取りたかったはずだから…渡してあげて、ね。」

そう言うと私は妹の墓の前から退く。
少し間をおいて彼は墓の前へと足を向け、腰を下ろして冠を壊れ物でも扱うようにそっと、墓前に供えた。
何事か呟いているのが分かったが聞き耳を立てようとは思わなかった。
きっと妹への言葉で、私が聞いてよいものではないから。
あの日から年月も驚くほど経っている、言いたいことなど山とあるだろう。少し長めに彼は手を合わせ、黙祷していた。

「…終わったぞ。」

律儀に私に声をかけるのが可笑しくって少し頬が緩まる。

「渡してくれてありがとう。ごめんね、無理言っちゃったかな。」

「いや…大丈夫だ。」

「美春のことも随分と前のことだから…今なら大丈夫かもって思い付きで連れてきちゃったんだ。君にもちゃんとしたお別れをさせてあげたかったし。」

そう言うと改めてお墓の前で彼の横に立つ。
この下に妹の遺骨が眠っていると考えても、やっぱり昔のように涙は出てこなかった。
こんな穏やかな気持ちで妹の死に向き合える日が来るなんて思わなかった。

「最初の頃はずっとお墓参りの度に泣いちゃってたんだ、実は。」

「……。」

彼が黙って聞いてくれるのを良いことに、少しだけ胸の内を打ち明ける

「でも今は結構平気。
最期に触ったときの頬の冷たい感じも、随分と遠くなったんだ。あの時は、絶対に忘れられないなんて思っていたものだけど…。」

「人の死をいつまでも忘れられないのは、生きている人間にとってはよくないことなんだよ。だから向き合う必要があって…終わってしまった記憶として整理して、いつか忘れなきゃいけない。」

「向き合えるようにしてくれたあの日の君がいるから、私はこうしてここにいる。
君がいてくれるなら、私はきっと美春のことを忘れられる。忘れてもいいかもって思えるんだよ。
だから、本当にありがとう。」

気の抜けた笑顔であろう私の顔を見て、彼の眉根の皺が少し深くなる。
言いたいことがいつも皺に表れる、分かりやすいんだか分かりにくいんだか。
でもそこが少し面白い。
そして言葉は中々口から発されないことも分かっていたから、私はもうなにも言わず彼の手のひらに指を絡めた。
いつものように暖かくかさついた手のひらは、私とは違うからこそ安心する。

彼がいてくれるから、私は大丈夫だよ

朧気になりつつある妹にそう心の中で語りかけながら、二人暫く寄り添っていた。


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