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日曜の夜はぼんやりと。労働法と経営組織④ 束理論は本当に無理なんか?
こんばんは。lotterです。
労働者同士の中に何らかの法的関係を見出せないかと考えているこのシリーズ。前回までに、直接的な関係はどうも難しそうだということがわかってきました。
なので今回は、初心に戻り、各労働者と使用者の労働契約の束が組織だということにして考えてみたいと思います。
これが無理そうな理由は、一言で言えば実態とあっていないということでした(詳しくはコチラ)。しかし、それは、
①使用者の各労働者の処遇に関する公正・平等取扱義務
②労働者が場合によっては使用者にもなり得る
ということを承認できるなら乗り越えられるのではないかという気がしています。
まず、①は、例えば、ボーナスを査定するときに「あらかじめ決まっている評価の仕組みがあるなら、それを全員に等しく適用しなければならない」みたいなことです。これ自体は別に新しいものでもなく、査定の例以外にもいろんなところでみられます。これを一般的に承認できるのであれば、使用者の義務を通じて間接的に労働者同士が繋がります。
言い方を換えれば、使用者のこの義務は、労働者との一対一との関係ではなく、組織を統率する者として負っていると考えるわけです。ここに組織の影がチラつく。
①がいわば横のつながりを組織化するものだとすれば、②は縦の関係を組織化するものと言えます。
例えば、上司が部下に対して仕事の指示をする。これは、労働者が労働者に指示をしているのではなく、上司が使用者の指揮命令権の一部を行使していると捉える。そうすると、そこにも公正・平等義務がかかってくるため、やはり組織的な何かを認識する契機となります。
これは、束理論に網をかけてまとめてしまおうということで、一網打尽理論と勝手に名付けておきます。いつかこの名前が認められたらみなさんにご報告します(一生こない)。
この方向が今のところ一番可能性が高いかなと思っています。ここから先は深く進んでみないとわかりませんが・・・。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
では、また。
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