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原点回帰 #00

視線の先にあったビルの窓ガラス。ハーフミラー効果によって映し出される自分の髪が思いのほか白いことに気づく。ふと、記憶の中にあった一枚のモノクロームのポートレイトが頭に浮かんだ。

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多少は分別をわきまえることのできる大人になって以降に『坂本龍一』という音楽家をあらためて意識したのはこの時が最初だったと思います。わざわざ《あらためて》との副詞を付けたのは、僕が子供の頃にはじめて買ったアーティストのレコードが『YMO』のLPだったから。実際は、写真集でも買うかのような感覚で手に入れた、80年代に一斉を風靡した女性アイドルのファーストアルバムが、自分のお小遣いで買ったはじめてのレコードなんですが「音楽性に惹かれて」という意味ではYMOが最初です。

そして、より『坂本龍一』という存在を近くに感じたいと思うようになったのが、ご本人が亡くなった年の六月に発売された二冊目の自叙伝『ぼくはあと何回、満月を見るのだろう』というタイトルを目にしたとき。この言葉は、坂本さんが音楽を手掛けた映画『シェルタリング・スカイ』の最後で、原作者のポール・ボウルズがぼそっと語る詩のような一節から引用されたもの。坂本さんは自伝の冒頭で、70歳の古希を過ぎてこのようなことをよく考えるようになったと語っています。

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僕自身は大きな病気を患っているわけではありませんが、ここ数年、12月最後の日が過ぎゆくたびに、勤め人としての終わりをはっきりと意識するようになって、感慨に耽るどころか、むしろその時が来るのを怖いと思うようになりました。そしてその先にある「死」の気配までもなんとなく感じてしまう。もう少し若い頃は、どこか「定年退職」というものを待ち望んでいる自分がいたんだけど、今はそれらの避けがたい瞬間をどうやって受け入れるかに意識が向いている気がします。

音楽が「時間芸術」と言われていると知ったのも坂本龍一さんの言葉からでした。時間という直線の上に作品の始点があり、終点に向かって進んでいく。どこか人生を思わせます。他にも、価値観や思想などについて多くのことを語っていた坂本さん。その言葉は、雑味のないミネラル・ウォーターを飲む際の喉ごしの如くスッと僕の身体に滲みてゆく。そんなところが好きです。あとは、科学的な事実をロマンチックな譬え話で語るミュージシャンやサイエンティストの想像力や空想力の素晴らしさを伝えるために、一例として挙げられたSF映画が僕のお気に入りの作品だったり。

こういった一連の《坂本龍一》という個性に対するシンプレックスな共感や共鳴が、このミュージシャンの作り出す音楽への興味に繋がっていくわけです。これじゃそのビジュアルが好きだという理由だけで女性アイドルのファーストアルバムを買った子供の頃とあまり変わらないな。

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対象期間中に指定のお題のハッシュタグをつけて5記事以上投稿すると、抽選で景品がもらえるという企画をこのnoteがやっていて、べつにモノが欲しかったわけではないんだけど、何か縛りを設けて5つの記事を書いたらおもしろいんじゃないか?と考えて挑戦を始めました。それが《坂本龍一》というキーワード。でも、大上段に構えて記事を書く気は初めからなくて、ちょっとしたゲーム感覚で書いていた。何ごともそうだけど、ルールがなければつまらない。

とはいえ、日本に古来からある万物に神が宿るとする考え方《八百万の神》ではありませんが、今の僕の生活の至るところに坂本龍一さんの存在を感じます。今回書いた坂本さんのオリジナル・アルバムを収集している話や、枕頭の書としている二冊の自叙伝の話などの他に、理髪店では坂本龍一さんの写真を見せながら髪型をオーダーしている話とか、坂本さんが愛用していた『ジャックデュラン』の眼鏡を手に入れようと目論んでいる話とか。逸話は色々ありますが「芸術は長く、人生は短し」です。書くことの他にやるべきことがたくさんあるので、ひとまずここで終わります。




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