有り余るエネルギーとエネルギー不足と。
リトミックをいまさら学び始めた。
仕事で音楽(だけでなく、芸術全般)の普及的業務に関わっているが、音楽は余暇のひとつとして消費されるだけではないということを何かの形で実感したかったというのがあって。
リトミックの先生とさっき交わした言葉。
いわゆる我々の少年期に不良といわれた少年たちはエネルギーがあって、その方向が定まると、自己肯定感が正しい方向にむかうと、すっと更正してしまう、と。
確かに、私も横浜銀蠅さんとか聴いていた。
なるほど。エネルギーのカタマリのような音楽と、
承認欲求のカタマリのようだった、自分も含めて周囲が全て。
でも、引きこもりとなってしまうと、エネルギーが枯渇して、自己肯定感を持つどころか、消滅させたいような。
特にエネルギーが枯渇した人にこそ、音楽は必要だ。
それでなにができますかねえ、リトミックは活動とセットなので。
答えはその場では出てこなかった。
せっかく業としているのだから、答えを見つけたいと思っている。
場のチカラというのがあって、その場で共有する何かで、劇的に人は変われる。
画像は本文に関係ないです。
こないだ行った仕事で行った茨城でフラりと立ち寄った水族館のマンボウがあまりにも悠々していて感激したので。