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夢追翔にいつだって胸ぐら掴まれているという話

これは限界ヲタクが綴る意味のわからない、支離滅裂な文章であるからしてどれほど解釈違いでもなんの責任も負えないことをここで留意させてほしい。

この先の文章を読んだことによる責任は一切負えないのでそこをご理解のちに読んでいただくことをお約束願う。これは僕のこころの整理のためのノートであるし、君に配慮したものを書くことは絶対にないので文句は言っていただいて結構だが責任はとれないからよろしく頼む。これが約束出来る方のみ呼んでくれ。以上。


にじさんじ2024歌謡祭、みましたか?
見てない人は今すぐDAY 1だけでいいのでみてください。まぁこの駄文を読んでから見てやるかという人はそれでもいいです。その代わり絶対に見てくださいね?おねえさんとのお約束です。

このおねえさんはにじさんじ所属夢追翔さんのファンでして。ええ、ずっと、かれこれ何年になりますかね。

またしても新曲をだされ、そして奇しくもまた胸ぐらを掴まれたという話をしていこうと、思います。

さて、まずは昔の話を少しだけ失礼。

覚悟を決めろシンガーソングライター
浴びるほど罵倒 もう消えない

という歌詞から私が囚われていることを指しているのではないかと そういう考察が多くなされていおり、そして自分もそうではないかと考えている。これが自分の中で酷く、とても酷く苦しく聞こえたのだ。良い意味でも悪い意味でも。

だって私が初めてリアタイしたのは彼の謝罪会見だった。そこからずーっと囚われて「自分は批判する人の声はきっとたくさん目にするだろうから肯定的な話だけを投げよう。」というnoteも綴った。

はて、さて、
あれから幾分か時が経ち
自分も幾分かではあるが、大人になった。

考えはさして変わっていない。しかし、以前と比較して彼が努力してきた軌跡は、あるのだ。

赦せとは言わないし、そう簡単に赦したってたまるかとも思う。そう。赦すべきかそうでないかはその人個人が決めることだ。
だが認めてほしさもある。

夢追翔という男が、あの時から紡いできたもの。
轍を認めてと、ただの追っ翔(夢追翔のファン呼称)は思ってしまう。良くないと分かっていても。本当に良くないね。

そういえば誰かによれば夢追翔のファンはとても盲目的だそうだ。そして、厄介で面倒で常識がなくて、とてもじゃないが擁護できない存在らしい。

はてそんな夢追翔のファンが紡ぐ言葉にどれほどの効力があるか、知らないのだが。

夢追翔が好きだから、こう思ってしまう。そしてそんな夢追翔の努力に打ち抜かれた人もいたはずではと考えるのだ。夢追翔が紡いだ旋律が刺さった人もきっといたはずだという勝手な願望を、ここに綴っておこう。

誰を見にきたか知らないがこのステージは俺のものだと叫ぶ姿に射抜かれた人がいたのではないか?

もう一つ自分語りを。
私は色々経てこの文章を書いているわけだが。
まぁ平たく言えばめちゃくちゃメンタルぐちゃぐちゃになったあとに金がないけどやる事があって稼ぐにも時間がないと言った状況でしてね。

寄せ集めじゃ 主役を奪えない

そう謳う夢追翔をみて君は何を思った?

私は負けてたまるかと思ったのだ。なんて傲慢な。

わたしのnoteだ、わたしの話をさせて欲しい。

私は今所謂がんばりどきというやつに直面している。どんな想像をしてもらってもいい、兎に角やらねばならぬのだ。

誰でもないこのnoteは夢追翔、あんたにかこつけて自分を鼓舞するものだ。

どんな状況からでも認めさせてやる。
自分に自分を。これだけやれたって言わせてやりたい。

推しの名前まで借りてこれで失敗したらなんで滑稽な。そうなるだろうけれど。その時は大声で笑えばいい。

夢追翔、待ってろよ、
くしゃくしゃの地図を以てして
虹の在り処を見つけてみせる

主役はわたしだ

欠如音優/倫理欠陥 2024.12.26

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