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空の青と海のあを

※20歳になる直前の夏に書いた記事です。

つい先日、昔大好きで何周もしたゲームを買い直しました。「リトルバスターズ!」という、いわゆる美少女ゲーム


これは、本作の18禁化とシナリオの増訂がされたアッパーバージョンの「リトルバスターズ!エクスタシー」。一応エロゲのカテゴリですが、コンシューマー機への移植版で普及したり、のちにJ.C.STAF製作でアニメ化もされているので知っている方も多いかと思います。

ここから話す内容にはネタバレも含むので、悪しからず。


僕がこのゲームと出会ったのは中学二年のときでした。幼少期からインターネットを使っていたので、いわゆるオタクカルチャーに小学生ながら触れていました。そして以前ブログで書いたように、その虚構の世界にのめり込んでいくのですが。ただそれまではアニメを主に好んで観ており、ゲームも好んでいましたが、有名タイトルしかやったことがなかったのです。

そんな中、当時ニコニコ動画YouTubeでMADなどで、この曲が取り上げられているのをよく見かけていました。

曲と映像に惹かれ、この「リトルバスターズ!」をコンシューマー機移植版でプレイしました。

僕にとって初めての"ノベルゲーム"体験でした。ノベルゲームの特色といえば、自身が主人公の視点に立ち、選択肢を選びながら物語を進めていき、その自分の選択によって物語が変わっていくことかと思います。これはアニメや小説などと違い、当時の僕には新鮮で魅力的に感じました。

アニメや小説よりものめり込める。物語世界により意識を溶け込んでいける。その物語世界で何人かの女の子と恋に落ち、愛し、うれしいことやかなしいことをたくさん経験しました。

そしてこの「リトルバスターズ」は僕の今までの人生に大きな影響を与えてくれた作品だと思っています。僕の心の奥深くまで"ゼロ年代"への憧憬と衝撃を刻んだ、そんな物語です。それでいて、当時苦しみだらけの僕の世界に光を差した物語です。


ではなぜ今さらプレイし直そうとしたのか。

それは単純に今一度あの物語をみたかったから。更に言うなら、当時よりも大人になって、大きく人として変化した今プレイしたらどう感じるのか、それを知りたかったから。精神が崩れてしまった今、原点回帰をしたいという思いや、昔のような救済を求めていたこともあるのでしょう。とにかく強い欲求が湧いたゆえです。


話が少し脱線しますが、この「リトルバスターズ」という作品、強いては原作者の麻枝准によって、14歳思春期の僕の無意識に何か地図のようなものを植え付けられたな気がします。今思えばというだけですし、植え付けられたとしてそれが良いかどうかは分かりません。

ただ、運命というと大袈裟ですが、導かれてるのでは、無意識のうちに引き付けられているのでは、と思うことがあります。

前の記事でも書いた通り、僕は高校に入ると同時に音楽にのめり込み、ギターを練習し、バンドを組み、曲を作り、そして多くの音楽を摂取しました。その中で僕の心を掴んだ音楽の多くが、ゼロ年代のものでした。

僕はゼロ年代を体感するには遅すぎたし、言うほどゼロ年代カルチャーに触れたかと言うと自信を持って首を縦にふることはできません。なのでゼロ年代に対してなにか言及しても今は的外れなのでしょう。(だから今になってもゼロ年代の作品や社会を学ぼうとあれこれしているのですが、まだまだ未熟です)

それを分かったうえで言うなら、僕にとってのゼロ年代は"孤独"という概念のもとで成り立っている、もしくは"孤独"であることが、ゼロ年代から得られるエモーション、カタルシスの重要な要素のひとつであるのではと思っています。

僕の心を掴んだバンドの多くがゼロ年代のものだと言いましたが、それらのバンドには少なからず、そして何かしらの"孤独"を感じます。

音楽にハマる以前の僕は、ノベルゲーム(美少女ゲーム)はいわゆるオタクの文化で、音楽(とりわけバンドミュージック)はもっとオタクとは違って明るい、もしくは不良チックな文化だと思っていました。ですが、今になると、この2つのものは対立してなんかいない、むしろ関係性の強いものではないかと強く考えています。それは"孤独"という概念や、"ゼロ年代"という同じ舞台のうえに成り立っているカルチャーなのではないかと。

僕だけでなく、僕の周囲のいわゆるオタク(蔑称に聞こえたらすみません)さんたちに文学や映画、そして音楽を好んでいる人がとても多い。もともとアニメやノベルゲームをやっていて、何かの影響を受けて音楽をやりはじめたという人が多い。

たとえば、アニメ「けいおん!」から楽器を始めた人はよく聞きますし、アジカンやDOESなどアニメソングとしてタイアップされたバンドからバンドに興味を持った人も多いかと思います。

かくいう僕もそういった理由から音楽に興味を持った人間です。

先程も言ったように、「リトルバスターズ!」と麻枝准が僕に大きな影響を与えました。物語を好み、ちゃんと本を読みはじめ、文学部を志すきっかけでもありました。そして今「リトルバスターズ!」と麻枝准のせい?おかげ?で僕は文学部の文学科に入っています。

そして音楽を始めたきっかけもこの作品と作者です。麻枝准シナリオライターであると同時に作詞曲家でもありました。この作品をプレイしてから色々なノベルゲームをプレイし、そこのゲームソングを好んで聴くようになりました。そして麻枝准に憧れた僕は彼が影響を受けた音楽を聴きはじめました。

中学生の頃、なけなしのお小遣いをもってブックオフの500円以下のコーナーに行ってCDをよく買っていたものです。(当時はちょうど何周年か記念で500円以下のCDが半額になっていたのもラッキーでした)

最初に購入したのは、麻枝准が影響受けたという坂本龍一尾崎豊TM NETWORKZABADAKのCDと、よくMAD動画やフラッシュで耳にしていたBUMP OF CHICKENというバンドの『ユグドラシル』『orbital period』を買いました。このBUMPの2作は今でも聴き続けている大切な名盤です。(のちに知りましたが、BUMP OF CHICKEN麻枝准が影響を受けていたバンドのようです)

そして、テクノの方にはあまり関心が向かなかったものの、BUMP OF CHICKENからゼロ年代邦ロックを聞き漁り、それらバンドのルーツである洋楽もdigっては聞きました。(今でも続けています) そこで僕はシューゲイザーグランジ、インディーロック、そしてオルタナティブロックにハマっていったのです。

また麻枝准原作の「Angel Beats!」というアニメに出てくる岩沢さんというキャラクターに影響を受けて、ギターを始めました。そして演奏したり曲を作ったりする方でも僕は音楽にのめり込んでいきます。



オルタナティブロックと、ノベルゲームやアニメのような物語。このふたつに僕は救われたのです。そして何度もいいますけれども、(Angel Beats!は2010年のアニメですが)ゼロ年代においては特に、このふたつが無関係に思えない。


よく僕が記事やSNS等で話しているので知っている方もいるかと思いますが、僕が愛してやまないバンドに「ART-SCHOOL」というオルタナティブロックバンドがいます。孤独で現実を嫌ってたぼくに光を見せてくれたバンド。実はこのART-SCHOOL麻枝准に影響を与えたバンドでもあります。

ファンの間ではよく知られた話題になりますが、この「Angel Beats!」で岩沢さんが音楽を始めるきっかけとなったバンドで「SAD MACHINE」という架空のバンドがでてきます。

このバンド名はART-SCHOOLの楽曲「サッドマシーン」からとられたものです。

また他の登場人物の名前にも、ゼロ年代を中心としたロキノン系バンドマンの名前を彷彿とされるものばかりです(これに関しては確証はありません)

それに、2015年に麻枝准原作で製作された「Charlotte」というアニメのタイトルもART-SCHOOLの楽曲が由来ですし、また「リトルバスターズ!」の主人公、直江理樹の名前はART-SCHOOLのフロントマンである木下理樹から引用されたものだとされています。

(もっというと「リトルバスターズ!」というタイトル自体、僕の好きなthe pillowsの代表的アルバム『Little Busters』(同名曲収録)の引用です)

僕がこの事実を知ったのは麻枝准やその作品をプレイして何年も経ってからのことなのですが、何故か嬉しいような気持ちになりました。僕が漠然と感じてたものを少しだけ理解出来たようで。


そして、恐らく僕が感じていたエモーションやカタルシスはやはり"孤独"を認めたうえでのものかと思います。孤独であるゆえに誰かを求める、そして完全にひとつになれるわけではないのに、触れ合い、共有し合いながら、ほんの少しだけ分かり合おうとする。孤独だから手を差し伸べる。

以前書いたこの記事に通じる思想です。

話が長くなりましたが本題に入りましょう。いつも話が脱線して長くなるのは悪い癖ですね…苦笑


僕が「リトルバスターズ!」を今更買い直したのは、やっぱり今まで綴ってきた思想を再確認したい、あるいは見直ししたいという思いが強くなったからです。深淵でもがき、自己と向かい合っている今こそ、この物語をもう一度感じたい、感じるべきに思ったからです。


物語自体ももちろんですが、僕はどうしても会いたい女の子がいました。このゲームは恋愛ゲームであるので、様々な魅力的な女の子と恋に落ちていくのですが、未だに僕の心に残ってる、愛している女の子がいます。その子のルート、その子の物語をもう一度経験したかった。


その女の子の名前は西園美魚といいます。


メインヒロインではない女の子。いつも日傘を差している大人しい女の子。本が好きでいつも読書をしている女の子。


僕はこの女の子がとてもとても好きでした。恋に落ち、愛していました。痛いキモオタクです。普通の人は二次元の女の子に恋するなんて…と思うでしょうが、虚構に溺れてた14歳の僕は彼女の虜になってました。

ですが、14歳の僕には彼女を、彼女の物語を何にも理解していなかった。よく分からずに好意を抱いていた。そうすると愛ではないのかもしれませんね。

20歳を目前にプレイした今でも、完全に理解することはできたとは言えませんが、14歳のときよりもまた違ったものを見れた、違った捉え方をできたように思います。少なくとも14歳の子供のときよりかは得るものがあったかと。


物語の解釈は読者の自由だと思ってますし、色々な解釈や考察があって然るべき、むしろその方が面白いと思ってます。なので今から言うことは、あくまで未熟な人間の戯言に過ぎないと捉えてもらって構いません。


彼女、西園美魚は孤独ゆえに幼少期に美鳥という、イマジナリーフレンドのような女の子と出会います。(正確には姉妹と捉えられています)そこで彼女は美鳥と仲良く遊び続けます。親には内緒にしていましたが、小学生に上がっても美鳥と仲良くしていたのが親にバレ、病院へ連れていかされます。その後なんらかの治療をされていくうちに、彼女は美鳥のことを忘れてしまいます。のちに美鳥を忘れていたことに気がつき、罪悪感に苛まれます。そして彼女の影がなくなり、引き換えにもう一度美鳥が現れます。彼女は美鳥が西園美魚として日常を生きていくことを望み、自身は孤独な白鳥としてどこまでも飛んでいくことを望みました。


作中で何度も引用されているのが、この若山牧水の歌

白鳥は哀しからずや空の青

うみのあをにも染まず ただよふ

美魚はこの歌のように、海にも空にもどちらの青にも染まらず、孤独に飛び続ける白鳥になりたかったのです。

そして彼女の願いは叶い、美鳥は西園美魚として日常に溶け込んでいき、主人公(理樹)の周りの人も次第に美魚のことを忘れていきます。

それでも理樹は西園美魚を忘れることができず、なんとかして記憶から彼女が消えていくのに耐えていきます。

そして理樹は以前美魚の作ったひとつの歌を学内コンクールの展示教室で見つけます。これが契機となり、「終わりの始まる場所」とした海へ美魚を取り戻しにいきます。

そうして美鳥の実体は消えたものの、西園美魚の一部として無意識ではあるものの存在し続けることになります。影を取り戻すという形で。

僕は最近強く思うのですが、しばしば二項対立で表される物事は、決して対立、分離してはならない。

"愛と憎"も、"右と左"も、"生と死"も、"光と闇"も、そして"善と悪"も。

どちらか片方だけでは成り立たないし、どちらか片方によることもできないし、ましてや二つの事象が完全に交わりひとつになることはありえない、あってはいけない。二つあってこそ世界は成り立っているのでは無いかと。そして僕らはその二つを理解したうえで思考し、時に決断や選択をしなければならないように思います。

このルートで印象に残った主人公の言葉があります。




このセリフを心から言える人間になりたい。僕はそう強く感じました。

そして最終的に西園美魚と主人公の理樹は結ばれ、愛し合うことになるのですが、一番心に残ったシーンがあります。





これは以前僕が言った「縋るのではなく寄り添う」ことのひとつの結論なのではないでしょうか。

孤独であるから、誰かを求める。

孤独であるから、触れ合う。

孤独であるから、分かり合おうとする。

でも孤独であるから完全には交わらない。

でも孤独であるから、完全に交われないから、僕らが僕らでいられて、僕らが愛し合える。


僕は、僕の好きな人たちと寄り添って、愛し合って生きていきたい。抽象的だけれど、僕が僕であるために、僕の幸福のために、そうなりたい。

孤独だから手を取る、孤独だから手を差し伸べる。そういう世界にしたい、せめて僕の世界の中だけでも。

そのひとつの形が西園美魚との物語にあると感じました。それが最適解なのかも、そもそも正しいのかも分からない。

けれど、僕が"うみのあを"になり誰かが"空の青"になって水平線のようにどこまでもも交わることなくいられたら、どれだけ素敵でしょうか。

あるいは僕が"あお"になり、愛する人が"白鳥"となって、溶け合うことなく孤独のまま寄り添って、飛んでいけたら、きっと幸せになれるのではないでしょうか。

いつかその日がくることを、苦しみや悲しみの分だけ幸せが訪れることを信じながら、今日も眠りにつくのです。

おやすみなさい。さようなら、西園さん。

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