見出し画像

ナードな化学の先生の話

 僕は基本的に、学校というものが苦手なところがあって、同級生となかなか馴染めないのはもちろん、"先生"という存在に対して嫌悪というか穿った見方をしてしまいがちだった。
 大人になった今は、教師という職業の立ち回りの難しさや、大人と子供が根本的に価値観が違うことも何となく理解できるから、「まあ先生も先生で大変だったんだろうな」と同情というか納得はしている。
 とは言っても出会った先生のほとんどは苦手だったし、嫌いすぎて思い出したくもない先生もいるのも事実だ。
 ただ全員が全員そうだったわけではなく、僕にも恩師と言える人はいて、ふと思い出しては暖かい気持ちを抱く先生もいる。

 高校の化学の担当の先生がその1人だ。
 恩師とは少し違うけれど、何故か今でも思い出してしまう人。
 その先生は同じ学年ではあるものの、別のクラスの担任で、僕は文系だったから関わることが多かったわけじゃない。ただ化学基礎をとっていたから、1年次と3年次に授業を受けることはあった。
 その先生は、サッカー部の顧問のひとりで、学生時代もサッカーをやっていたようだけれど、色白で体育会系とは真逆な雰囲気で、どこか自信なさげでナヨナヨとしていた。いわゆるナードみたいな人だった。若くて教師経験がまだ浅かったからかもしれないが、授業や集会で生徒相手に話すときも、おどおどした感じを拭いきれない口調だった。威厳というものを全く感じられなかった。
 とは言っても、ちゃんと教師としての責務を果たそうと頑張っているのは、僕から見ても感じ取れたし、僕が課題を何回も提出しなかった時は、一度叱られたことがある。
 そんなナヨナヨとした化学の先生とは、関わる機会は少なかったけれど、印象に残っている思い出は多い。
 僕は周りと反りが合わず、半年で幽霊部員になったものの、軽音部に所属していて、放課後に部室練習の前に、誰もいない教室で一人、小型のアンプで音を鳴らしながらギターを練習していた。そのとき部活でやることのない曲も演奏していた。
 当時はまだエレキギターを始めたてだったから、簡単な曲しか弾けなかったけれど、Green DayやNirvanaを弾いていた。American IdiotやSmells Like Teen Spiritsとかは僕でも簡単に弾けたし、何より大好きなバンドの曲だったから当時よく弾いていた。
 誰もいない教室でギターを練習してたときもそうだ。
 そしたら、ガラガラと教室の戸を開ける音がして、振り返るとその化学の先生が立っていた。その教室だけでなく、周辺の教室も人がいなかったし、校舎の角の教室だったからそれなりに音を出して弾いていたが、もしかしたら騒音で注意しにきたのかもしれないなと思った。
 お叱りを受ける体制をとっていると、その先生はナヨナヨした雰囲気とは一変して、ワクワクと目を輝かせながら「今弾いてたのNirvanaだよね!?」と言ってきた。僕が「そうですけど……」と言うと、立て続けに「てかさっきはGreen Day弾いてたでしょ!俺めっちゃ好きなんだよね〜!柏原くんもそういう洋楽聴くの!?」と言ってきた。この人授業の時よりハキハキ喋るじゃんと思いつつ、数分くらいその先生と話をした。
 話を聞くと、その先生は洋楽、ひいてはロックミュージックが好きだったようで、学生の頃からなかなか音楽の趣味が合う人がおらず、ましてや生徒でNirvanaを好んで聴くやつがいるとは思わなくて思い切って話しかけたそうな。
 洋楽や少し古いバンドミュージックだからといって、マイナーだとは思わないし、ましてやNirvanaやGreen Dayなんて有名なバンドを好んで聴く人は腐るほどいるだろうけど、ガキの現実のコミュニティの規模なんてたかがしれてて、あまつさえ僕らがいたのは田舎もいいとこの、廃れかけの公立高校だったんだ。
 今はインターネット上でも、現実でも似た趣味を持つ友人知人はたくさんいて、「俺みたいな好んでNirvana聴いてる野郎、他に、いますかっていねーか、はは」とは流石にならないが、当時はNirvanaを筆頭に、音楽の趣味が合う人なんて、現実でほぼいなかった。しかも軽音部では「NUMBER GIRL聴いてないやつとは仲良くしません」とか言ったり、諸々馴れ合わねーぞみたいな振る舞いをしてたがために周りと反りが合わなくなって、半年後幽霊部員なるわけで。(まあそれは僕が痛い野郎で、気持ち悪いマイオナしてたからなので、今は反省と後悔をしているところもあるけど)
だから僕も、先生とはいえ、誰かと音楽の話で盛り上がれるのは純粋に嬉しかった。もっとたくさんの話をしたかったけれど、生徒と教師の関係には変わりないし、そもそも関わる機会の少ない人だったので、それ以降も学校で勉強以外の話を交わすのは、ごくわずかだった。2年次は化学基礎の授業が無かったので1度たりとも言葉を交わすことがなかった。
 ただ3年次は、そこまで多くはないものの話す機会が増えた。受験対策用にまた化学基礎の授業を受けることになったからだ。
僕は昔から勉強嫌いだったけれど、流石に大学受験を間近にすると、否が応でもある程度の勉強はするようになる。ただギターを弾くのを一旦辞めただけで、音楽趣味は続いたし、むしろ聴くことに専念できたうえに、受験勉強の捌け口としても、音楽を聴くのがより習慣化してたと思う。というか勉強中にも流していたくらいだ。
 そして化学の先生とも、何故か音楽の話をすることが増えた。と言うか、受験や勉強のことは一切話さず、授業後に時折、「最近は何聴いてるのか」とか、「先生は最近このバンド聴いてるよ」とか話をした。クラス担任でもなかったし、化学基礎を受験で使うとは言っても、点数的にもほとんど受験に影響しないからこそ、ラフな感覚でコミュニケーションできたのだと思う。それにその先生が好きだったのと化学基礎レベルなら得意だったこともあって、模試も学内の成績も化学基礎は何故か良かった。それを褒めてもくれたのもすごく嬉しかった。
 特に印象に残ってるその先生との会話が2つある。
 ひとつは授業後のことで、そのときも何かあるわけでもなく、同じタイミングで教室から廊下に出たとき、先生から「柏原くん最近何ハマってるの?」と声をかけられて、「最近はBloc Party聴いてます。『Silent Alarm』とか初期の2枚くらいだけですけど……」と言うと、先生は急にテンションが高くなって「Bloc Party好きなの!?俺Bloc Party聴いてる人と初めて会ったよ!!」とその階の廊下中に響き渡る声量で返してきて、何人かの生徒はこっちを向いてクスクスしてた。それがとても可笑しくて、でもどこかとても嬉しくて、今でもその光景を思い出せる。
 ふたつめは夏になる前の季節に、文化祭でライブをしたあとのことだった。
 僕は軽音部を半年で幽霊部員になったと言ったけれど、文化祭では有志でバンド演奏をすることができたのだ。2年次も有志で演奏したことがあって、ドラムとキーボードに吹奏楽部の知り合いを、ベースと1曲だけの女性ボーカルには、唯一軽音部で交友があった同級生を誘って、何故か3年次のときは生徒会長がバイオリン弾かせてくれ!と言われて、ほとんど関わったことはなかったし、バイオリン入れるのは少し難しかったけれど、性格の良い人ではあると知ってたから、こちらこそと言って一緒にライブをすることになった。僕はギターとボーカルで、1曲はスピッツのカバー、2曲は僕が作った曲を演奏した。
 ありがたいことに、それなりに聴いてくれる人もいて身内ノリみたいな小さな盛り上がりを見せたので楽しかったけれど、「もうちょっと上手くできたなぁ」とか「オリジナルじゃなくて全部盛り上がりそうな曲のカバーにすればよかったかな」とか反省しながら舞台を降りると、同級生でも担任でもなく、真っ先に化学の先生が駆け寄ってきて声をかけてくれた。
 そのときはインディーロックやドリームポップにハマっていて、そんな感じの曲を作って演奏したのだけれど、化学の先生もインディーロックが好きだったので「あれ柏原くんが作ったんでしょ!良かったよ〜!」と笑顔で言ってくれて、なんだか恥ずかしかったけど、やっぱりすごく嬉しかった。
 そして会話の最後に「ちょっと言いづらいんだけど、言ってもいいかな?」と言われ、断る気も無かったし、悪い評価だとしてもありがたいし、何よりそんな前置きされたら気になって仕方がないから「言ってくださいよ」と返した。
 すると、少し申し訳なさそうにしながら、
 「前から思ってたんだけど、柏原くんってDeath Cab for Cutieのベン・ギバードに超似てるよね!!すげー顔似てるなぁと思ってたけど、歌声も似てるんだね!!」と言ってきた。
 身構えてた分、少し拍子抜けをしてしまった。
 ただインディーロックとかにハマってたと言ってもほとんど聴いてたのは国内バンドばかりだったし、インディーロックに手を出したばかりだったので、恥ずかしながらDeath Cab for Cutieをそのときは知らなかった。
 「はぁ、そうですか……ありがたいことなんでしょうけど、Death Cab for Cutie聴いたことなくて、ベン・ギバードも分からないんです……。おすすめのアルバムありますか?」と返すと、「『Transatlanticism』と『Plans』がいいかも!あと帰ってからベン・ギバードの顔調べてね……」と言う。
 帰ってからDeath Cab for Cutieのライブ映像を観たり、画像検索でベン・ギバードの写真を色々調べたりしたけど、「別に似てるか?似てなくね?歌声似てるのはまずないだろ……」と思った。
 文化祭ではないけれど、高校生当時の僕のバンドやってた動画がこれ。(真ん中のギタボ)

ベン・ギバードのライブ映像がこれ。

 少なくとも歌声は似てないだろ。
 ベン・ギバードは今は痩せているけど、昔はぽっちゃりしててこの写真だとメガネをしてて、かろうじて似ていると言えなくもないかもしれない。
僕↓


 多分、田舎の学校でぽっちゃりしてて、髪の毛長くて、メガネしてたからだと思う。先生の性格とか言われた状況考えると、お世辞とか社交辞令とかではなかったと思う。
 当時は「有名なバンドのフロントマンに似てると言われてありがたい」くらいだったけど、今思うとすごく嬉しい宝物みたいな言葉に感じる。
 化学の先生にDeath Cab for Cutieを勧められた翌日に、『Transatlanticism』と『Plans』をTSUTAYAで借りて聴いて以降、その2つは大好きなアルバムになってDeath Cab for Cutieも大好きなバンドになった。
 今でもよく聴く。「I Will Follow You Into The Dark」は青春の1曲になってるし、年越しのときは必ず「The New Year」を聴く。
 そんな感じで、化学の先生とはなんやかんや音楽を通じて、時折仲良く話すくらいの交友を持ちつつ、他に何かある訳でもなく、卒業式を迎えた。
 もちろん、式のあと化学の先生とも話をした。第一志望では無いものの、何とか受験を乗りきって東京の大学に行けるようになったこと、先生との音楽談義だけじゃなくて授業も好きだったことなど、軽く話した後、先生から連絡を交換しようと切り出された。
 僕もそれは嬉しい話だったから、LINEを教えると、先生はこう言う。
 「正直、柏原くんみたいに音楽の話ができる人今までほとんどいなかったから、仲良くなりたかったけど、立場上教師と生徒なわけで、あんまり踏み込めなかったんだよね。でも卒業したわけだから、いいかなって。ずっと柏原くんとドライブ行きたかったんだよ。お互いの好きな音楽流しながらさ、話してさ。俺が車出すから大学生活落ち着いたら行こうよ」
 僕としても、その提案はとても嬉しいものだった。音楽の話ができる人はいなかったわけじゃない。高校の時からバンドやってくうちに色んな音楽好きな人に出会ってたわけで。それに東京の大学に行けばもっと趣味が似てる人はたくさんいるだろうし、現にたくさんの話の合う人がいた。
 けれど、化学のその先生に対しての好感は、ただ音楽の話が盛り上がれるとか趣味が似てるとかそういうものだけではなかった。先生としても好きだったし、立場とか関係なくいち人間として興味がもてる人だったんだ。
 だから一緒にドライブに行くというのは、とても素敵で魅力的で、誘ってもらえたのが嬉しかった。
 実際に、大学1年生のゴールデンウィークに静岡に帰ったから、そのときにドライブ行った。
 その先生はちょうど、僕らが卒業するのを境に別の高校へ転勤になったらしく、地元とは別の少し遠い都市部の駅で待ち合わせると、白い車から手を振る先生の姿が見えた。
 少し緊張しつつ車内へ乗り込むと、どこか疲れているような面持ちに変わっていて、最初はお互いの近況を話す。
 僕はなんとかやれてて、東京は知らないところだけど大学も街も退屈しなくて楽しいと言うと、先生は良かったと返す。
 先生の話を聞くと、新しい赴任先はやんちゃな生徒が多い、悪く言えば治安が良くない学校らしい。担任のベテランだった先生も言っていたが、若い教師は経験を積む意味もこめて、治安の良くない学校や苦労をするような現場に赴任されることが少なくないそうな。
 前の高校、僕の母校は偏差値的には50ちょいの普通の学校で、田舎でのどかなのもあって不良生徒なんてのはいなかったし、クラスの担任だった先生いわく超進学校のような緊張感とか大変さもなく、経験してきた中で一番穏やかで自由に仕事できる学校らしい。
 だからその分、その化学の先生は大変だそうだった。大学生なりたての子供の僕には推し量れない苦労があるのだろう。
 ただ話をしているうちに、以前のように(と言っても2ヶ月くらいしか経ってないけれど)音楽の話で盛り上がる。カーステレオに僕のスマートフォンを接続して、好きな音楽、先生に勧めたい音楽を流しながら話をする。
 先生はどうやら学生時代、一時期ギターをやっていたようで、ギターの話や僕が高校の時やってたバンドの話もしたし、先生が曲作りを趣味にしたいなと言ったので、参考にはならないかもしれないが、「僕はこんな感じで作ってます。今はパソコン上で誰でも気軽に音楽作れるんですよ」とか話した。
 そして車が向かうのは東の方向で、ドライブの目的地は朝霧高原だった。
 山を登っていき、道の駅のようなところに着くと、見渡す限りに青空と緑の山々が広がっていて、澄んだ空気を肺に入れるだけで気分が爽快になる、そんな場所だった。
 先生はソフトクリームを奢ってくれて、景色を見ながらそれを一緒に食べる。先生はそのとき20代だったから、僕らは元生徒と教師ではなく、仲の良い兄弟に見えてたかもしれない。
 朝霧高原をあとにすると、次は先生が好きなバンドやアーティストを流しながら、嬉しそうに僕に話してくれた。パンクやポストハードコアのようなバンドから、やはりインディーロックの音楽も勧めてくれて、今思えばそれが大学時代インディーロックやドリームポップにハマるきっかけになってたのかもしれない。西の待ち合わせ場所だった街ではなく、そのまま東の方へ車を進ませて、僕の地元の実家のマンションまで送ってくれた。今先生が住んでいるのは西の方で、同じ県内でもそれなりに離れているのにも関わらず。それに日が暮れたので途中、地元のラーメン屋に寄って、そこでも夕食を奢ってくれた。僕は兄弟も姉妹も、親族に歳の近い若い人間なんていなかったから、そういうのはよく分からないけれど、なんだか友人というより、仲の良い兄さんがいたのなら、こんな感じなのかもな、なんて思ったりした。
 
 ただ、その先生とは、それ以降会うことも、連絡を取ることさえもなかった。
 先生はナヨナヨしてて、オドオドしてるのが隠しきれなくて、いわゆるナードみたいな人だと言ったが、実際メンタルも強い方には思えなかった。それに若くて、大変な環境に急に転勤させられて、きっと余裕がなくなったのだろう。
 かくいう僕も大学生活に追われたり没頭したりしていって、あげく精神病になって今に至るまで色々あったから、先生と会おうとか連絡しようかとか考える余裕があるはずがなかった。
 けれど今、5年ぶりに静岡に戻ってきて、なんとか少しづつ前へ向けれるようになって、東京にいたときに比べて落ち着いた生活にはなってはいる。
 それに静岡とはいっても、地元の東部ではなく、先生が転勤した方の地域にいる。もしかしたら街で偶然会うことがあるかもしれない。まあ流石に5年経ったらまた別の所へ異動になってるかもしれないけれど。
 ただ教師という職業は続けていたらいいなと思う。大変な職業だろうし、あの人にとって教職というのがベストな職業かどうかは分かりかねるけど、僕は先生としても、あの人が好きだったのだ。僕が先生という存在に対して好意的な感情を持つことはほとんどなくて、好きだった先生の中でも、上手く言語化できないけれど、不思議な感情を抱かせる人だったのだ。きっと、高校時代の僕みたいな、周りと馴染むのが下手で、斜に構えて、教室で俯いてNirvanaを聴くような、そんな限定的だけれど決していないわけではない子どもたちの救いというか、変だけど悪くないなって思える大人になりうる人だと思うから。
 もしあの先生が、もう先生じゃないとしても、今もどこかでロックミュージックを聴き続けてたらすごく嬉しい。
 同じナードとして、立ち回りが下手でも、ナヨナヨしてても、Nirvanaのような歪みきったギターの音や、Green Dayのような器用じゃない人間の疾走するビートや、Death Cab for Cutieの「I Will Follow You Into The Dark」のような感覚に、都度救われながら、人生を歩んでいってくれたのなら、僕の少しだけ先を歩いているのなら、それだけで僕もやっていける気がするんだ。
 
 そしていつかどこかのライブバーみたいなところで、ばったり会ったりしたら、話したいことたくさんあるんだよ。

 僕もなんとかやれてるよって。
 あれからも音楽聴き続けてきたんだよって。
 かっこいいバンドとか美しい曲とかたくさん見つけたんだって。

 絶対先生このバンド好きだと思うよって。
 勧めたいバンドもたくさんあるんだよ。
 先生の聴いてる音楽もっと教えてくれよ。

 そんなふうにいつか、話ができたなら、それはとても素敵なことなんだろうね。

 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?