不死身のガールフレンド
「私、死ねなくなっちゃった」
夕暮れ時の帰り道で久しぶりに会った彼女はそう言った。
僕は学校から帰る途中だった。でも何だかすぐ家に帰るのはもったいなく感じて、でも何か用事がある訳でもないから、手持ち無沙汰な感覚で駅の周辺を散歩していたところに、彼女と会った
「あのね、この前、学校の屋上から飛び降りたの」
「死にたくて死にたくてたまらなかったの。でもね、急に時間が止まって、最初は走馬灯ってやつなのかなって思ったんだけど、急に声が聞こえたの」
「『お前はまだ死んではいけないのに』って。多分神様なのかな。それでね、神様はまだこの世に残るべきだろって言ったんだ」
「それからとてつもない衝撃で私は地面に叩きつけられた。本当に本当に痛かった。でも生きてた」
「よく分かんなくて、帰ってから、今度は私の家のマンションの屋上から飛び降りてみたの。そしたら生きてるのはもちろん、痛みを感じることもなくなってた」
「それでようやく実感したの、ああ、私死ねないんだって。こんなに死にたいのに」
そう急に彼女に告白されて、僕は戸惑った。普通そんなことありえない。
「そんなの突然言われても信じられないよ」と僕が言うと、彼女は「じゃあ実際に見てみる?」と言った。
僕らが学校に戻る頃にはもう陽が落ちていて、街灯の明かりと月明かりだけが僕らを照らしていた。
「職員室にはまだ先生かな、誰かいるみたいだね」
校舎の2階の一角だけ電気がついていて、それ以外は真っ暗だった。
「それにしても学校は久しぶりだな〜」と彼女は言う。彼女とは同じクラスで席も隣だが、夏休みが終わってからここ1ヶ月くらい彼女は顔を出していなかった。夏休み中も会ってなかったので、結果2ヶ月ぶりに再会したというわけだ
「最近見なかったけど、何してたのさ。君がいないと話し相手いなくて退屈なんだけど」
「あはは、ごめんね。色々あってさ。そんな退屈なら、他に友達でも作ればいいのに」
「君ぐらいしか話し合うやついないんだよ」
「そっか、まあ私もなんだけどさ」
そして彼女は「今日はどうかな〜」と言って、校舎の1階の保健室の裏手の勝手口のドアに指をさして「開けてみて」と言う。まさかと思いつつもドアノブを回してみると、すんなりと空いた。鍵閉めてないのかよ。
「おっ、やっぱり空いてる。保健室の先生大雑把だから、よくここの鍵閉めないで帰っちゃうんだよね」
そう言って躊躇なく保健室から校舎に侵入した。おいおい、とは思いつつも、夜の校舎に忍び込むなんて初めてだし、どこかドキドキしつつ、ワクワクもしていた。
それからキョロキョロバレないか逐一確認しながら僕らは屋上まで階段を上る。そしてまた屋上のドアも鍵がかかってなかった。保健室にしろ、うちの学校の用心のなさというか、ガバガバさに呆れた。
夜の屋上は、夏が過ぎたこともあってか、心地よい温度で、街も見渡せてとても清々しかった。
「ここから、落下したんだよな」
「そう、夏休みの終わりに、なーんか全部嫌になっちゃって」
「あんま聞くもんじゃないかもだけど、そんなに悲しかったのか?」
そう聞くと彼女は少し間をあけてからこう言う。
「私のお父さんとお母さん、研究者でね、結婚してからも共同研究してたんだ。それでね、その研究が終わって、アメリカにね、研究結果を発表しに渡航したの。でも世界は残酷なんだね、最悪にもお父さんとお母さんが乗った飛行機が墜落しちゃったの。ニュースで夏休み中見たでしょ、あの事件。あれに乗ってたの。2人とも優しかったし、子供は私1人だけだったからすごく可愛がってくれた。客観的に見て幸せだったと思う。なのにそれを一瞬でなくしちゃった。正直今でも実感湧かないよ。悲しくもないし、寂しくもない。ひたすらに虚ろなの。空っぽなの。それって悲しいとか寂しいとか感じるより、ずっと辛いのよ。客観的とはいえ幸せを、大好きな両親を亡くしたことに負の感情を抱かない私自身にも嫌気がさしちゃった。だから全部終わらせたかったの」
「そうだったのか。知らなかった。なんていうか僕は何も言えない。君は大切な唯一の友人だし、本当は何か声をかけてあげるべきなのかもしれないけど、僕はなんも知らない17のガキだし、何を言っても無粋になる気がする。」
「ふふっ、優しいね。無知に思えて思慮深いというか、私は君のそういうとこ好きだよ」
彼女の思いや考えなんて僕には計り知れないし、聞いておいて何も言えない僕は無力だと思いつつ、好きだと言ってくれる彼女もまた優しいと感じた。
「まあ、辛気臭い話はやめにして、さっそくやるよ。また飛び降りる。見てて。私が空を飛ぶところ。飛ぶっていうか自由落下だけど。翼の生えた天使に見えちゃうかもね〜」
なんておどけて言う彼女に流されそうになるが、本当に大丈夫なのか?ここまでついてきてあれだけど、死ねないなんて戯言じゃないのか?これで実は死んじゃいましたなんて笑えないぞ。
「あ、君今すっごく心配してるでしょ。大丈夫だって。そもそもこれで死んでも君のせいじゃないし、それこそ本望だし、第一に君に見せたいんだ、私が飛ぶところ」
待って、心の準備が、と言おうとしたけれど、彼女は手馴れたようにフェンスを越えてヘリの部分に立ってしまった。くそ。
「ああ〜、もう信じるよ!僕の唯一の友達だからな!」
「嬉しいこと言ってくれるねえ。じゃあいくよ!」
そして彼女はカウントを始める。
スリー……。
ツー……。
ワン……!!!
彼女は飛んだ。手を広げて。まるで私が天使だと言わんばかりに。重力に委ねた彼女の身体は加速し、それは一瞬だったが、彼女は空中で笑っていた。
彼女が地面に直撃したとき、不思議にも衝撃音は聴こえず、夜の静寂が僕に一抹の不安感を覚えさせたが、それも一瞬だけだった。
彼女は笑みを浮かべながら、地面から僕を見上げて手を振ってきた。
「君もこっちに来なよ」と言ったが、さすがに僕は飛び降りるわけにはいかないので、屋上に来た時と同じように周りを警戒しながら、少し早足で階段を降り、保健室の勝手口から校舎を出て、彼女のもとに向かう。
「ほらね、なーんにもないでしょ」と彼女は言う。
陽気な自殺志願者がいたもんだ。いや空虚だからこそ、死ねない絶望があるからこそ、空元気で陽気に振舞ってるだけかもしれない。
「心臓に悪い。君と違って僕は心臓が止まるかもしれないんだから」
「さすがに生きたい人間には刺激が強すぎたかな」と彼女は茶化す。
「でもまあ、ちょっと天使みたいだった。びっくりしたけど、ちょっと綺麗だったかも」
僕が言うと、彼女は「そ、そうかな」と少し照れた顔を見せた。それを見た僕は自分が言ったことを恥じて、彼女もまた押し黙って何十秒間か、秋の夜の静けさだけが僕らを支配した。少し肌寒い季節、けれど月が一番煌びやかな季節。
彼女と初めてちゃんと話したのは去年の今頃で、きっかけは偶然だったけど、仲良くなるのは必然だったと思う。だって僕らは教室の隅が拠り所の似た者同士だったのだから。
僕は今も昔もあまり社交的ではない。別にそこまでコミュニケーションが下手ってわけでもないし、必要なら他者と会話を交わす。けれど自分から話しかけることはあまりなかった。なぜなら僕は流行りに疎いし、僕と同じ世代の人と話しても盛り上げられる自信がなかったからだ。趣味も音楽や読書にインターネット、たまに映画。全部一人で完結するものだった。それらは全部一人で楽しめばいいと思ってた。だって話す人いないし。でも心のどこかで同じ趣味趣向の人と話したいなって気持ちはあった。
そこを突いて来たのが彼女だった。
その日も僕は教室の一番隅の席で音楽を聴いて休み時間を費やしてた。聴いてたのはヒトリエというバンドのデビューアルバムだった。僕が一番好きなバンドの一番好きなアルバム。
そのときスマートフォンの画面を付けっぱなしで聴いてた。そこに突っかかってきたのが彼女だったのだ。
ちょうどTrack2が終わったところで、「…ねぇ!」って声が聞こえて、自分が呼ばれてることに気づいて再生を停止した。
「ねぇ!ねぇってば!」
「ごめん!最大音量で聴いてから気づかなかった。どうしたの。」
「あ、こっちこそごめんね、集中して聴いてるときに。でさ、今聴いてたのヒトリエだよね!」
「そうだけど……」
彼女のことは隣の席だから認知はしてたけど、僕と同じで、いつも一人で過ごしてる、友達らしき人と話してるところみたことがないやつだった。授業のグループワークとかペアワークで話すことはあったけど、そんな事務的な会話しかしたことがなかったから、急に、しかもお互い一人で過ごす休み時間に話しかけられたから、最初は戸惑った。
「私、ヒトリエすっごく好きなんだ!えっと、君も好きなの!?それ、1stの『ルームシック・ガールズエスケープ』だよね!私一番好きなアルバムなの!1stだけあってすごい初期衝動だよね!」
正直こんなお喋りなやつだとは思わなかったから、それに驚いたけど、どこか用意しておいたセリフを読み上げてるようにも感じた。多分僕がヒトリエ聴いてるのに気づいてから、話しかけようか迷って、勇気をだして声をかけてくれたのかもしれないと思った。僕でさえ、彼女がヒトリエ聴いてたら、初めてヒトリエ聴く人を見つけた喜びから、話しかけたいと思うだろうから。
「とりあえず落ち着いてよ。僕もヒトリエ聴く人初めて会ったから。君の言いたいこともすごく分かる、僕もこのアルバム好きだよ。特に最初の2曲。めちゃくちゃな音してるし、初っ端から殴りにかかってくる感じして気に入ってる」
「えっ、あっ、そうだよね!『SisterJudy』から『モンタージュガール』に繋がるのとかいいよね!」
ちょっとどぎまぎしてるところを見るに、やっぱり僕と同じように、日常の何気ない会話に慣れてないんだと分かった。でもそこに親近感を覚えた。共通の話題があるのももちろんだけれど、根がナードというか、自分の性格と似てる部分を感じたからだ。
それからというもの、徐々に話すことが多くなっていって、話していくうちにやっぱり趣味や趣向が似ていることが分かって、気づいたら唯一笑って話ができる友人になっていった。
僕のクラスは特別進学クラスだったから、クラス替えというものが3年間ないらしい。だから今年も彼女と同じ教室にいたし、担任が面倒だからという理由で席替えもしなかったから、ずっと隣の席に彼女がいた。唯一の友達が常に近くにいて、いつでも気軽に話せるというのは、僕にとっては初めてのことだったけれど、それはすごく安心することでもあった。また彼女も同じく帰宅部だったから、時折一緒に帰ることもあった。そうしていたら、最初のどぎまぎしたコミュニケーションが嘘だったかのように自然と会話をよくするようになった。
でも彼女と話すのはいつも音楽の話か、どうでもいい何気ない話ばかりで、彼女の奥深くまで知ることはなかったし、お互い深入りしようとはしなかった。多分僕らは根っこはどうせ同じだろうと、勝手に推測して、それで満足していたからだと思う。
彼女に死ねないんだと言われて、実際に飛び降りてそれを証明されたあの後、しばらく2人で空を見て時間を潰したあと、何事も無かった面をお互いして、帰宅した。
僕は帰り際にスーパーの半額になった弁当を買って、それで夕食を済ませて、シャワーを浴びてから自室のベットへ寝転がった。
僕の家庭は、僕が物心ついた時から両親が険悪な関係になっていて、中学にあがる頃には離婚して、今では父親に引き取られて一緒に暮らしていた。とは言っても父親は長期出張に出てることがほとんどだから、実質一人暮らしみたいなところがある。
たまに帰ってきても一言二言交わすぐらいで、あまり親子という感覚もなかった。それは小さい頃からも同じだったが、これでもマシな方だ。母親もいた頃は常に父親と喧嘩している声が家に響いてた。それに嫌気がさしていたから、僕は一人自室にこもって、一人で完結する趣味に夢中になるようにしてた。あまりにもその趣味に依存してたから、昔から友達を作る気も起きなかったのだと思う。
でもやっぱり心のどこかでは寂しさを感じていた。悲しいと感じていた。人を求めることを完全に諦めきれなかった。楽しく生きたいと思ってしまうこともあった。
ベットで寝転がりながら、同じ性格、似た者同士だと思っていた彼女のことを思っていた。彼女が不死身になってしまったことよりも、実は彼女は悲しさとか寂しさとかを感じない、空っぽな人間だったという事実が僕の心にわだかまりを残していた。
彼女が飛び降りた時、僕は天使だと感じたが、それは神に遣わされてる、自我のあるかどうか分からない天使と、空っぽの彼女が似てると思ったからなのかもしれない。神に反逆する天使もいるわけで、天使に感情がないとは言いきれないが。
ただ陽気に振舞ってはいるものの、その実、虚ろな瞳をしていた彼女が、飛び降りたとき、綺麗だと思ったのは本当だ。そして飛び降りているとき笑っていた彼女が不思議に思えたのも本当だ。
空っぽだと、空虚だと言いながら飛び降りたときに見せた笑顔は、どこか心の底から湧き出た感情の現れのように思えたからだ。
そんなことを、僕と彼女が本質的には違うのかもしれないという疑念を抱きつつ、おかしなことだらけの今日に終わりを告げるため、瞼を閉じたのだった。
翌日も彼女は学校に来なかった。僕の虚ろな気持ちを現すかのように、隣の席は空いたままだった。
正直、彼女に会いたかった。昨日再会したばかりで、あんなもの見せられたばかりだけど、この自分でもよく分からない感情をどうにかするには、彼女に会う他ないように思えた。
だから、放課後になって、また僕は駅の周りをぶらぶらしていた。適当に本屋やCDショップに立ち寄っては外を徘徊して、気づいた時には夕暮れ時になっていた。
そしてやはり夕暮れ時になると彼女は現れるのだった。
「もしかして、私を探してた?」とニヤつきながら聞いてくる。僕は正直に「そうだよ」と返す。
「ふふ、素直だね。ねえ、今日も屋上に行こうよ」
彼女はそう提案するが、また飛び降りるのかとも思う。でも駅の周りにいてもやることは無いし、日が落ちてからの屋上は、僕にとって魅力的な場所になっていた。
僕が「うん」と返すと、「じゃあ行こっか」と言う。
学校に着いたとき、昨日とは違ってまだ夕陽が顔を見せていた。
「少し早足だったかな。まだ生徒も残ってるし。今日は普通に玄関から入ろっか」
玄関から学校に入り、屋上までいく。その途中でクラスメイト数人とすれ違ったが、誰一人として僕らを気に留めてる様子はなかった。僕はともかく、彼女は久しく教室に顔を出していないのだから、珍しさみたいなものを感じてもいいのに。彼女も僕と同じく、教室では目立たない、空気のような立場とはいえ、あまりの無関心に少し腹が立つ。
「なに?機嫌悪いの?」
「いや、さっきクラスメイトとすれ違ったのに、みんな君のこと無視してるみたいで。なんか人情みたいなのが感じられないというか。久しぶりなんだから声くらいかけても良かったのに」
「まあ、私は君しか友達いないし、滅多に他の人と話しないからね。本当に空気みたいな存在なんだよ私」
「でも……」と言おうとすると、「早くしよ」と彼女が急かすので、屋上のドアを開ける。
「やっぱり学校の屋上ってそそるよね。なんか私たち"青春"してるみたいじゃない?」
「"青春"かあ。今がいわゆる青春時代ってやつなんだろうけど、全然考えたこともないなあ」
「多分だけどさ、そういうのって、過ぎ去ってから、思い出になってから、感じるものなんじゃない?そしてみんなその時を無駄にしてたんじゃないかって、後悔するんだと思う」
「そういうものなのかな。でもやっぱり僕は今を生きることを上手に感じられないんだ。なんかふわふわして、自分がどこにいるのか、自分が何を感じてるのかさえも分からなくなる。どこまでいっても曖昧なんだ」
「それは若さゆえだと思うよ。いや私も同い年だから気持ちは分かるよ。でも私は死ねないから。生きるしかないんだよ。いちいち気にしてたら絶望しておかしくなっちゃう。だからせめて君の前では空元気でもいいから、楽しく過ごしたいんだ」
落ちていく太陽が僕らを照らす。もう少しで今日が終わる。そのせいか、僕は焦燥を感じた。だから昨日のことを、僕が感じたことを今言葉にするべきだと思った。だから彼女に聞く。
「君は昨日、自分自身が虚ろだと、空っぽだと僕に言った。それがずっと引っかかってたんだ。僕は勝手だけど、君と似た者同士だと思ってた。僕は多分空っぽじゃない。どこかで寂しいと思う。心の片隅に人を求める気持ちがあるんだ。だからほとんどの他人と距離を置いても、君とだけは素直な気持ちで接していた。でも君が空虚だと聞いて、多分僕は悲しかったんだと思う。君が僕を友人として求めてくれて、僕と一緒に話したり過ごしたりする中で、楽しいとか嬉しいとか感じてくれてるんじゃないかって、これも身勝手だけど期待してたんだ」
夕陽が地平線に隠れていく。また一日が終わりを告げようとする一瞬がやってくるまで、彼女はこちらを見つめたまま黙っていた。多分返答を考えているのかもしれないし、虚ろのまま僕の問いを時間の流れに任せてうやむやにしようとしてるのかもしれない。そんな一抹の不安も夕陽が完全に隠れたときに吹いた、心地よい涼風が拭ってくれた。
「君の考え、半分あってるけど半分間違えてる」
そう彼女は言い、一呼吸ついたあとに続ける。
「私は確かに空っぽだよ。虚ろだよ。家庭にも学校にもなんにも不満がなかった。優しい家族、無関心だけど別に何か嫌なことをしてくるわけじゃないクラスメイトや先生たち。でもそれはマイナスじゃないだけで、プラスでもなかった。ただひたすらにゼロ。昨日両親が死んだから、幸せな家庭が失われたから、自殺を試みたような言い方をしたけど、それは少し間違ってる。それが契機になったのもあるにはあるけれど、多分死のうとするのが早まっただけ。遅かれ早かれ、私は自分の命を絶とうとしていたと思う。私は確かに空っぽだけど、いや、だったけど、満たしてくれる、埋めてくれる人がいたの。それはお父さんでもお母さんでもない、君なんだよ」
「そうなのか?僕は君の空虚さを少しでも埋めれていたのか」
「そうだよ。君といるとき、話しているときだけは、私を感じることができた。楽しいとか嬉しいとか、ときには悲しいとか思えることができた。客観的に見て幸せだったんじゃない。私の主観で幸せだと感じることができた。初めて生きてると思えた。多分空虚だと思ってた私もどこかで、誰かを求めてたんだと思う。寂しい気持ちが心の片隅にあって、それを埋めてくれる人を待ってたんだと思う。それが君の言ったことのうち、合ってること。私も君と似た者同士だと感じてたよ。でもね、一つ君の言ったことで間違ってるとこがある。私はね、友だちとして君を求めていたわけじゃない。」
彼女は夜の静寂に一瞬身を任せる。空を見て、街を見下ろして、そして僕の目を見て言う。
「好きだったのよ。君が。誰よりも。世界で一番」
「え…」
僕は照れるより先に驚いた。だって、多分僕もどこかで彼女のことを異性として意識していて、好きだったからだ。
「本当は恋人になりたかった。君は私の心の隙間を埋めてくれて、それが嬉しかっただけじゃない。私も君の心を埋めたいと思った。そしてお互いそんな風に心の隙間を埋めあっていければ、いつかは人並みに心のグラスに感情が注がれて、生きていくことが少しずつ楽しくなっていけるんじゃないかって。そんな関係になれたら幸せだなって思っちゃうようになったの」
「僕だって!君のこと好きだった。というか今も好きだ。でも僕は甲斐性なしの臆病者だから、君に告白できなかった。このまま友達のままでいいって無理やり納得させてたところがあった。僕がちゃんと思いを伝えて、君に好きだと告げていたら、君は自殺をしようとすることも、こんな身体になることもなかったのかな」
「いや、それは違うの。失うのが怖くなったのよ。両親が死んだとき、私は自分が誰かを失う恐怖が、存在しうることに気がついたの。だから飛び降りたの。傷つく前に傷つかない方法はそれしか思いつかなかった。だからあなたは何も悪くない」
「それで、死ねなくなって、自分の大切なものが失われていくのに傷つき続けなければいけなくなって。そんなのってないよ」
「それなんだけど」
彼女は思い詰めたような顔をしたあと告げる。
「死ねなくなったって真実でもあるし、同時に嘘でもあるの」
それってどういうことだ?僕は確かに昨日、彼女が4階建ての校舎から飛び降りても無事なところを見たぞ。夢じゃないよな。
「私、もう死んでるの」
その一言で全てが繋がった。彼女を無視するクラスメイトのこと、彼女が飛び降りても衝撃音が聴こえなかったこと、彼女が1度もドアを自分自身で開けなかったこと。今思えばおかしなところは多々あった。
「もう理解したと思うけど、私は幽霊。見事に死んじゃった。でもあなただけに見える幽霊」
「でもそれはおかしい。本当に死にたかったなら、本望だろ。この世に残る必要なんてないはずだ」
「そう、死ぬ前までは本当にそう思ってた。でも言ったでしょう。神様に『お前はまだ死んではいけないのに』って言われたって。そのとき気づいたの。飛び降りて空中に漂ってる瞬間、君のことが好きで、君とまだ一緒にいたいって思ってたことに。だから神様が許してくれたんだと思う。死んでも君のそばにいる権利をあたえてくれた」
「そんなのってないだろ。僕が君のことを理解してれば、君に好きだって、一緒にいてほしいって告白していれば、君の心臓は動いていて、君はもっと世界を楽しめる可能性があったわけじゃないか」
「だからさ、何度も言うけど君のせいじゃないよ。私が弱かっただけなの。それに、幽霊だけど、君とずっと一緒にいられる。話も沢山できる」
それはそうなのかもしれないけれど、本当にそれでいいのか。彼女は永遠に17歳のままで、僕だけ歳をとって。それに何だか幽霊になれたから、ずっと一緒にいられるというのは、ハッピーエンドと言うには歪みすぎてる気がする。
「本当はね、君にさよならを言えるだけで良かったんだと思う。君も私と同じように一緒にいたいって言うなら、私は天国か地獄か分からないけど、あの世にいくのはやめて、ここに残る。でもね、私は17歳のままだけど、君は歳をとるし、君は生き続けるわけで、他に好きな人ができるかもしれないし、私の知らない幸福を見つけるかもしれない。幽霊が恋人なんて普通はおかしいと思うし、君には君の人生を君なりに歩んで欲しいとも思うんだ」
「それもそうだけど。僕が君のことを好きなのもまた事実だ。正直今頭が混乱してる」
「そうだろうね、だから3日間あげる。たった3日間かもだけど、私とこれからもいるか、私とさよならして自分の人生を歩むか考えてほしい。それで3日後、また夕方、この屋上で待ってる。そこで答えを聞かせてほしい」
確かに僕には少し考える時間が必要だと思った。だから「分かった」と返事をすると、彼女は「じゃあ3日後、待ってるね」と言って、屋上のフェンスを乗り越え飛び降りた。
彼女は地上に落ちた瞬間どこかへ消えてしまったけど、やはり彼女が飛んでいるのは、どこか天使みたいで綺麗だと思うのであった。
翌日のホームルームで担任から、彼女が夏休み中に亡くなったことを知らされた。
やっぱり本当に幽霊になったんだと、改めて実感はするものの、昨日の彼女とのやり取りもあってか、見てくれは平然を保ててたとは思う。
けれどクラスメイトは「仲良かったもんな」と慰めてくれた。上っ面だけかもしれないけれど、クラスメイトたちも、同じ時間を共にした彼女の死に戸惑い、どこか悲壮感を漂わせていた。
僕と言えば悲しいという気持ちより、次会うときに出すべき答えに迷っていた。生きてる彼女にもう会えないのは悲しい。けれど、一緒に生涯を遂げることは僕にはできる。
僕は彼女を愛してる。以前も今も。だから幽霊のままでもいいから、彼女と歩んでいくことを選べばいいというわけでもない気がした。彼女の人生は終わり、僕の人生はまだ始まったばかりだ。僕はまだ17のガキで、何も知らない無力なガキで、これから何十年と人生は続いていく。一方で彼女は永遠の17歳で、彼女は僕という存在だけをたよりに、17の夏にとらわれ続けなければならない。その差異が僕をより惑わせた。
その日の夜、家に帰ると、玄関にいつの日かみた革靴がおいてあった。
父さんが帰ってきたのだった。
「おかえり、出張から帰ってきたんだ」と父さんは言う。そして食卓には出前で頼んだであろうピザやサラダが並んでいた。
「ごめんな、いつも寂しい思いをさせて。父さん、料理なんてしないから、手料理を振舞ってやれないけど、今日は話があって、ちゃんと食卓を囲みたいと思ってたんだ」
「いや、僕ももう高校生だし、ちゃんと生活できてたよ。毎月の生活費も多めにくれるから、貯金も出来てるし」
「そうか、見ないうちにお前も大人になっていってるんだな」
そして僕は久しぶりに父と食卓を囲む。最初は何気ない話。今まで全然話してこなかったから、お互いどぎまぎとした会話だけど、父親が頑張って話を広げようとしてるのが伝わって、どこか嬉しくもあった。
「それでさ、一番話しておきたいことって何?」
「それか、それなんだけど、父さん、再婚することになるかもしれない。今までお前に悲しい思いをさせておいて、自分だけ幸せになろうとしてるのが、傲慢なことだとは自覚してる。ほったらかしだったのも、申し訳ないとすごく感じてる。でも父さんは今一度やりなおしたいんだ。再婚したら今の仕事もやめて、新しい仕事に就く予定なんだ。今までみたいに出張することもないだろう。お前と家族をやりなおしたいんだ」
突然の告白だった。父さんはすごく申し訳なさそうに言う。
「俺は最低な父親だったと思う。でもだからこそ、今からでもお前を大切にしたいんだ。今交際している人はすごく優しいから、前の母さんみたいなことにはならないと思ってる」
父さんはとても真摯に言う。僕が大切だというのも心から思ってることだと分かる。そんな父さんの提案に僕はなるべく笑顔で「いいよ」と答えた。すると父さんは泣きながら「ごめん」と「ありがとう」を繰り返した。
父さんが再婚するのも転職するのも僕は構わないと思った。父さんというか、家族によって傷ついたこともあった。けれど、僕の倍以上生きていても、前を向いて生きようとしている姿がどこか胸にうたれる感覚があったからだ。もちろん、今の自分は彼女のことで、選択を迫られてる状況だから、ノーと答えて問題を増やしたくないというのもあったが、それ以上に、父さんの今まで見たことのない真摯さが心地よかったのも事実だ。
そしてひとしきり泣いた後、父さんは「お前を幸せにするから」と言った。まだ再婚相手の顔も見たことがないが、これから訪れる新しい日常に少し期待して、その日は眠りについた。
翌日学校に行くと、隣の席に花が添えられていた。どうやら誰かの提案というわけでなく、クラスメイトたちが偶然持ってきたらしい。
彼女は自分が僕と似て、空気のような存在と言っていたが、少なくとも悲しんでくれる人が何人もいるくらいには、ちゃんと生きて存在していたのだ。
そのときふと、思う。彼女と僕の立場がとても似ていたなら、僕が死んだときも花を添えてくれる人がいるんだろうかと。
隣の席の花たちは、悲しみと追悼の表れで、決して喜ばしくはないけれど、どこか慈愛のある風景でもあった。僕は彼女との時間を思い返す。
僕らの出会いはヒトリエというバンドだったし、何度も話すくらいにはそのヒトリエというバンドが、僕と彼女を繋ぐ重要な共通項だった。
しかし、ヒトリエというバンドを作り、フロントマンとして作詞作曲をして、ギターボーカルを務めていた、wowakaという人間は、若くして死んでしまった。
僕と彼女はwowakaに、wowakaの作って歌う楽曲に救われていたが、それ以上にフロントマンを失って3人体制になっても、音楽を続けたヒトリエに救われていたのだと思う。
「私ね、『HOWLS』のアルバム聴いたとき、1st聴いたときと同じくらい衝撃受けたの。1stほどの衝動はないけれど、洗練されてすごい希望にあふれたアルバムだなって。それで、これからのヒトリエどうなるんだろうって期待しちゃうアルバムだったの。だからwowakaの訃報を耳にしたときすごく悲しかった。でもシノダやイガラシやゆーまおが諦めないで、新しい曲作って、『REAMP』を出したとき、私『HOWLS』以上に希望を感じた。救われたとも思った。フロントマンを亡くしたんだよ?大切なリーダーを亡くしたんだよ?本当だったら解散するとこだよ?でも、3人はヒトリエを続けていくこと決めた。それってとてつもない希望で、ものすごいことじゃない?」
そう彼女は言っていた。僕もそれには同意だった。ガキの僕らでも理解出来るくらいすごいことで、でもガキの僕らには計り知れないほどの苦悩があったんだと思う。
そんなことを思い返しながら、帰ってから『REAMP』をリピートし続けて、彼女のこと、これからのことを考えた。
そして僕は答えを決めたのだった。
その日は雨予報だったのに、それが嘘みたいに一日中晴れ渡っていた。
3日前言われたとおり、夕暮れ時に屋上に足を運んだ。
彼女はフェンスにもたれかかりながら、僕に向かって、笑顔で手を振った。
「ちゃんと来てくれた。嬉しいよ」
「こう見えても約束は守るほうなんだ」
「本当に来てくれるだけでも嬉しい。実は答えも出さず、うやむやにして、会うことすらしてくれないんじゃないかって心配な部分もあったんだよ」
「素直と真摯と真面目が取り柄だからね」
「ふふっ、そういうところがやっぱり大好きだよ。それで答えは出た?」
「うん。この3日間考えて、自分で決めた」
「そう。君が自分自身で決めたならどんな答えでも受け入れるよ」
「ありがとう。そう言ってくれると助かるよ」
そして一呼吸いれて、夕陽が地平線に落ちる前に僕は答えを告げる。
「僕は君とさよならをしたい」
そう告げると、彼女は一瞬悲しい顔をしてから、またいつも通りの笑顔に戻る。
「そっか。悲しいけど、それが君の決めた答えなんだね」
「うん、そうだよ。」
そして思いの丈を吐き出す。
「僕は君のことが大好きだ。世界で一番愛してる。本当はずっと一緒にいたい。でもそれじゃあダメなんだ。君といつだか話したよね。wowakaが死んだあとのヒトリエの話。それと同じなんだ。死んでしまった物も人も元には戻らない。失ったものに縋り付く生者は、幽霊と同じだ。ずっとその時に縛られ続ける。今の僕の直感で言ったら、幽霊の君と生涯を遂げたいと強く思う。でも僕はまだ17のガキで、君は17歳のままだ。今だけみればそれでいいのかもしれない。でもね、人は前を見て生きていかなくちゃいけない。明日が今日より少しでも良くなると願って生きていかなくちゃいけない。僕は17のガキで、衝動的で無知で今さえも見失ってしまいそうなほど危うい存在だけど、それだけは分かるんだ。僕は前に進んだ方がいいと思うし、君とお別れするのは悲しい、何にも変え難いほど苦しいけど、明日を見据えなくちゃいけないと強く思うんだ。だから、この寂しさは一生僕の心に残り続けるだろうけど、誰よりも愛しているけど、さよならを言いたいんだ」
「そう。それが君の答えなんだね。私も悲しいし、寂しいけど、きっと君の答えは正しいんだと思う。それでいて、強い人間だと思うな」
寂しい、悲しい、辛い、苦しい。この世はそんなんばっかだけど、わずかな幸せを求めて生きていくのが、生きている人間の宿命なんだと思う。
「さよならは悲しい。でも僕はまだ何十年も生きる。これからも僕は僕自身の物語を紡いでいく。それを空から見ててほしいんだ。君が飛び降りるのを見たとき天使に見えた。だからきっと、あの世へ行ったら君は天使に、世界で一番美しい天使になる。そう信じてる。だからそんな天使になって、僕を見守っていてほしい。絶対面白い人生を送って、絶対幸せな人生を送って、君を笑顔にし続けるって約束するから」
「うん。楽しみにしてるね」と彼女はとびきりの、今までで一番の笑顔で応えてくれた。
「最後にさ、お願いがあるんだ。ヒトリエの1st一緒に聴こうよ。こんな綺麗な秋の夜に聴いたら、絶対気持ちいいよ」
「それいいね」と僕は言って、スマートフォンのスピーカーからヒトリエの『ルームシック・ガールズエスケープ』を流す。
トラック1。「SisterJudy」
wowakaは歌う。「その先に見えている像を照らし続けた終いの今日だ」
トラック2。「モンタージュガール」
wowakaは歌う。「隣の席に舞い込んだ灯りをし舞い込んでるんだ」
トラック3。「アレとコレと、女の子」
wowakaは歌う。「心は今もぐしょ濡れだ。頼りきっても、今はいないよ」
トラック4。「るらるら」
wowakaは歌う。「灯す明日に見蕩れただけ、ああ僕は、僕は、僕は」
トラック5。「サブリミナル・ワンステップ」
wowakaは歌う。「散々も閑散も泣いている今日も、その実態を見て笑え笑え」
トラック6。「カラノワレモノ」
wowakaは歌う。「掴みかけた淡い情も、それは、転げ落ちた今日だ」
トラック7。 「泡色の街」
wowakaは歌う。「見蕩れていたんだあなたの心に」
そしてまるで僕らの過ごした街を現したかのような最後の曲が終わると、どちらからともなく、僕らはキスをした。
秋の夜の静寂が、心地よい夜風が僕らを包み込む。
それは何よりも優しい一瞬だった。
唇を離すと、彼女は決心したような面持ちで、立ち上がる。
「それじゃあ、私は先にいくね」
「ああ、約束守るから、君も見守っていて」
「うん」と彼女は頷き、フェンスを越える。
「またいつか、天国で、笑って話そう!」
彼女はカウントを始める。
ワン……。
ツー……。
スリー……!!!
そして天使のように飛び立った彼女は、優しい秋の夜の涼風に消えていった。
さようなら、不死身のガールフレンド。
そして僕は立ち上がる。明日を生きるために。
いつか彼女に笑顔で再会できるように。
「僕は頑張るよ、幸福に生きるよ」そう呟く。
天国の君にも幸あれと祈りを込めて。
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