受け継がれるハラスメント

今日は、久しぶりにハラスメントにあったので

記念に、今日あったことと、そこから考える「社会における真の老化」について書きたいと思います。


私は現在大学院博士課程にいます。

そして思えば修士課程から、ずっとある先生(A先生とする)からパワハラを受けていて、大変喜ばしいことに去年の春頃から完全に無視されています。

無視されてるお蔭で人格を否定されたり、理不尽に怒られたりしないので、大変喜ばしいのです。

この無視によって、わたしは少し心を取り戻し、

「A先生と会うくらいなら大学院やめます」と言って

周りの人たちは、私とA先生が直接会わないように配慮してくれるようになったわけです。

そんなところ、なぜか私の実験中に実験室にA先生が訪れたのです。

わたしは色々な事情でB先生と一緒に実験していたのですが、A先生が来てから適応障害が再発し、涙腺崩壊...

通り過ぎる瞬間、自分が怒られる未来が見えたくらいで特に何か嫌なことを思い出したわけではないのですが、涙が止まらない...

「ゴミを捨てておいで」とB先生が言ってくれたので、涙が止まるまで更衣室にいることにしたのですが、一時間以上経っても止まらない...

そこで、隣の研究室の先生の助けを借りて、なんとかB先生を呼び出し、説明しました。

するとB先生が...

「ゆかちゃん、すごい面白い顔してるか、君の携帯で写真とってあげようか??(^^」と...

え、マジサイコパスすぎません??

すかさず隣の研究室の先生が

「それ、なにしらのハラスメントになるよ」

と言ったのですが、B先生はへらへら笑っている...

受け継がれる伝統を見ましたね...


隣の研究室の先生2が以前、「君の研究室の先生には、まともな大人がいないよね」と言っていたのを思い出しました。


ここからは独断と偏見ですが、

研究室を変えること=新しい技術もしくは多様な手法を得ること だと思います。

それを、成長の見込めない、これまで居た場所に居続けようとしている人達は、人としての成長が止まっている可能性が高いです。

生まれてから月日が経過しているにもかかわらず、精神的な成長が止まったままの状態を真に「老化」と呼ぶのではないでしょうか。私はそれを「おじさん」と呼んでいます。

時代時代の正義についてこれない人達が、「むかしは良かったよ、」と嘆くのだと思うのです。






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