それでも教育支援ボランティアをする理由
私は、発展途上国の教育支援をするボランティア団体に所属しています。学生団体です。
しかし、ボランティアというのは、案外冷たい目を感じるものです。私は、友達にこんなことを言われています。
「偽善者」
と。
それでも、私には、ボランティアをする理由があります。それは、「子どもたちの笑顔」がみたいからです。私が、ボランティアをする理由はここに限ります。「子どもたちの笑顔」。これほどパワーがあって、これほど希望に溢れたものを見ることはありません。
しかし、支援をする難しいさはまだあります。それは、学生団体であるということです。世間の目は、どうせ遊びなんでしょ?といったことが多いです。実際に、社会人ボランティア団体に学生団体をどう思っているか聞いたことがあります。そしたら、
「学生団体は、支援先に渡航してもはしゃいでるイメージがある。」
と言われました。確かに、そういう団体が多いことも事実でしょう。おそらくボランティアをしている自分に満足しているのでしょう。私は、そんな風に思われるのが悔しいと思いながらも、それが現実だと感じました。
また、ある人にこんなことを言われました。
「学生団体がやれることなんてないに等しい。大きな団体がやれば解決する。」
と。
私も、そう思っていました。学校を私たちが作るくらいなら、政府がやれば簡単に作れるだろう。と。
しかし、これは違うのだと思っています。日本には、ホームレスがいます。なぜなのでしょう。こんなに恵まれている国なのです。生活保護制度はあります。就労支援をしてくれる機関もあります。政府は支援をしてくれています。でも、ホームレスや浮浪者はいるのです。ネットカフェ難民というのも話題になりました。
私が思う答えはこうです。いくら、政府などの大きな機関が支援をしても、こぼれ落ちる人は必ずいる。その一人一人に向き合えるのが、小さな支援の強みである。
教育支援も同じだと思います。どんだけ政府が学校を作っていても、どんだけ大きな団体が設備を整えたとしても、そこから漏れてしまう人がいると思うんです。だからこそ、小さな学生団体でも支援をしなければならないと思っています。小さな団体が小さな支援をし続けると、それを全体からみたとき、大きな支援になっていると思います。
・子どもたちの笑顔
・小さな団体でも支援を続けることに意味がある
だから、私は、何を言われようが、それでも教育支援ボランティアをしています。
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