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◇Twitterを去った(Twitterを辞めた)

ゴールデンウィーク明け、私はTwitterを去ることにした。

辞める理由


 主な理由は、「人生の時間を溶かしてしまう」という事にあります。
私は意思が弱いので、「皆どうしているかな?」と数分に一度は気になりTwitterを見てしまい、自分の時間を溶かしていました。
他者の呟きを読み、何が流行りかを追いかけていき、リプや通話機能などで交流し、人々の関わり合いの目まぐるしい移り代わりを見ていく感覚。
自分の呟きに対しての通知・反応がいちいち気になり、人に嫌われていないように、なるべく多くの人に好かれるように配慮したり、他者から見た自分のアカウントを気にしたりする感覚。
そういった感覚から誰よりも早く逃れたかったのです。

→人生を奪われる感覚とは
自分の人生が奪われる感覚というのは、自分が実家に帰った時にも感じた感覚だ。
実家だと人が多いので、自由に水回りを利用できず、外にも行けず、飲食も出来ず…。それよりも、生活音に10年以上かなり悩まされて生きてきました。
Twitterでも、ネガティブなワードを多く含んだ呟き、日常の何気ない呟きが多くを占め、自分にいい影響を与えるわけでもないのに見ている意味が分からなくなりました。
どちらも脳に影響する「ノイズ」です。

私は3年かけてスルースキルを強化することが出来たので、他の人が良く上げている「馬鹿な呟き」や「ネガティブな呟き」などに落ち込みを覚えたり、影響されたりすることは人よりは少なかったと思います。
仲のいいFFの方が今どのFFの方と話しているのか、界隈で何が話題となっているのか、自分の言いたいことをFFの方に聴いてもらいたい、FFの方と話して楽しい気持ちになりたい、FFの方と話して新しい視点を聞きたい…等、私は交流に枯渇しているのと孤独感が強いので常々思いながら活動していました。その人と関わりたいという想いは、日常生活においてかなり自分の集中力を妨げる雑音なのです。

それに、20代も後半になれば辞めたいと思っていました。それは、22歳の4月にも呟きで宣言はしていました。
その理由は、「Twitterをやるような20代後半にはなりたくないから」。
Twitterはどんな人も何歳の人もいつ始めてもやっていても良いと思います。ですが、21~22、23歳の頃の私の感覚としては、20代後半になってまで日常で何か事あるごとに呟いている姿を客観的に見た時に、“スマホに取りつかれた痛々しい人物”にはならないか?と思ったのです。

20代後半に差し掛かっている現段階では、20代後半であればまだ客観的に見て痛々しくならないくらいのギリギリをいけるのだろうな、とは思いました。(きっと20代後半になったら30代でもギリギリ大丈夫と言っているのでしょうかね(笑))

さて、タイトルでは“Twitterを去った“と表現しましたが、何故Twitterを辞めたでは無いのか?と言いますと、私の中で「界隈を去りたい」という気持ちがかなり強かったのです。
界隈については、Twitterを始めたことによるメリット・歴史についてまた別の記事に致します。

みんなで和気あいあいあと、それぞれが人に言えないようなことから日常的な事まで言いたいことを話すような、私が去る直前はかなり温かい界隈となっていました。
でもやはりずっと数か月に一度よぎるのです、「温かなぬるま湯につかっていては、結婚も出来ずやりたいこともやれずに終わってしまうだろう」と。特に私は意思が強いわけでもないので、スマートフォンを持ち始めてから日常生活に支障をきたすくらいSNS依存を繰り返す人間でした。
Twitterにいる方々それぞれが良い影響を与え合っていると思いましたし、私自身もこの3年間Twitterに助けられて生きてきました。
だけど、私はいつかは去らなければならないのです。

現段階で、私は「Twitterを去る」決断ができる位の精神的余裕がありますが、これから精神的余裕が今よりもなくなりそうな状況になった時が怖いです。
そのことを考えたら、去って初日は少し過呼吸気味になってしまいました。

・Twitterを辞めて3日目…
何か月も辞めたい辞めたいと言っていたので、辛いながらも依存していたTwitterから去れた瞬間は、「もう不特定多数の人と仲良くしなくても大丈夫」と、本当にスッキリしました。

しかし、数時間後、色んな思い出が蘇ってきて情緒が不安定になりました。
「この気持ちを誰に話せばいいの?いつも私の話を聴いてくれるのは、Twitterにいる方々だった。悩みはそんなに人には話さなかったけど、仕事で落ち込んでいる時も気分転換をしてくれたり、前向きな未来を提示してくれたりしたのはTwitterにいる方々だった。落ち込んだ時、悩みがある時、それを誰に話せばいいの?友達、恋人、家族がいるけれど、どうやって相談したらいいか分からないよ…」と、頭の中は弱音だらけ、不安だらけ、孤独だらけでした。

今の精神状態は良く分かりません(笑)、ですが、Twitterを去ってパチンコのようにドーパミンを増幅させるSNSから逃れられてすこしはゆっくりできているのではないかな、と思っています。
私は惰性でTwitterが出来ないので、このままやり続けていると本当に人生が崩壊しそうです。

Twitterはいわば恋人のような存在でした。辛い時も支えてくれ、私にポジティブな影響を与えてくれた人が数多くいらっしゃいました。今でも未練が無いわけではありませんが、このTwitterを去るという決断が、良い選択であったと振り返ることができるようにしたいです。

読んでいただきありがとうございます。

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