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無とマーガリン

最近、かなり懐かしい知り合いのXアカウントをうっかり発見してしまってつい気になって過去の投稿を見ていたら、自分の知らない世界線をあまりにもハッキリクッキリ確認してしまって、何故か分からないけれどその日の夜ちょっと泣きながら寝た。それは相手にとっての私の人生にも存在する世界線であるので、お互い様なのに何だろうこの取り残された感覚は。

当たり前だけれど人と人との関わりの外には、お互いが知らない日々の営みが存在していて、そこに自分が関連していない限りは間接的に知るほかないし、別に知らなくたって構わない。構わないはずなのに、何故か感じる敗北感というか無知感というか得体のしれない負の感情があって、これは一体何なんだろうと最近ずっと考えています。

お互いの知らない日々の営みが実は本筋だから。そこにその人らしさが一番あるはずだから。それは、他者が、現時点での本筋から外れた人間が横から覗き見ようとしても完全には把握できない領域だから。その尊さのようなものにある種の嫉妬心/執着心があるからなのか。そして、そんな気色の悪い感情を抱いている自分を許せないのかもしれないなぁと、今日お弁当食べている途中にふと思いました。

話はそのお弁当食べているときの話に移りますが、某コンビニエンスストアのエビマヨおにぎりがほぼ無味で驚きました。マヨネーズもマヨネーズというよりもマーガリンみたいな感じで、エビもエビの形をした無でした。お弁当は美味しかったです。でもあのエビマヨは無とマーガリンでした。

無とマーガリンとお弁当を食べていると、靴の底をわざとジャスッ!ジャスッ!と床にぶつけながら歩く男性を発見し、何で彼はあんなに偉そうな態度で歩くのだろう、見た目は普通オブ普通なのに、なんて思ってしまい、普通オブ普通な見た目の人は偉そうにしてはいけないみたいな自分の考えにきづいてしまい、ここでも不必要な落ち込みをしました。

例えば、金髪ブタ野郎的な見た目(金髪ブタ野郎の皆様ごめんなさい)であれば、靴の底をわざとジャスッ!ジャスッ!と床にぶつけながら歩いても良いのかというと、絶対そんなことは無い。だがしかし、仮に金髪ブタ野郎な人がとても綺麗なモデルウォークで歩いてきたらギャップで加点してしまいかねない。ここで、普通オブ普通と金髪ブタ野郎との間に、私の中での採点における差別や不平等が生じてしまいました。

「気づきましたか?しょせん平等なんてものはまやかしなんですよ」

金髪ブタ野郎が私に近づきそう告げて、ますます頭がこんがらがってしまう。そうゆう台詞はどちらかというとあちらにいる普通オブ普通の人が放つべきものなのではないでしょうかと言いかけて、いかんいかんこれもまた一つの差別のようなものだと口を閉じました。

気づいたか。この数行文の間にそこに本来いないはずの金髪ブタ野郎が具現化して私に話しかけてきたこの違和感。

恐怖!具現化金髪ブタ野郎!

地獄島、マタンゴやガス人間第一号のポスターみたいなイメージが頭の中にパッと浮かんできて、経験していないはずのそのレトロみに脳が溶けそうになる。それは筋肉少女帯の楽曲における大槻ケンヂ氏の語りパートを聴いている際の感覚とよく似ていた。通過していない道のはずであるが、さも通ってきたかのように共感し、懐かしみ、感嘆する。家の何処かに金髪ブタ野郎のソフトビニール人形が眠っているような感覚を抱く。

「無いです」

ハッ!!!として周りを見るとそこはコンビニエンスストアのイートスペースだった。他のお客さんはもうみんな帰ってしまっていて、お昼の忙しい時間はどうやら一旦過ぎたらしい。

私の手元には無とマーガリンがまだ半分も残っている。

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