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日本人の魂ーサムライは生きているのかー

割引あり

こんにちは。今日は「日本人の魂」の第一回目、武士道は生きているのについて書いていきたいと思います。海外に行き、日本人だと言うと「コンニチハ!アリガトウ!」の次に、「サムライ!」と言われることが多々あります。世界で有名なサムライですが、外国人の中には武士道、つまり侍ソウルに憧れている人々が大勢います。日本人のダイさんは、現在ロシアに行って戦っています。ジャーナリストのインタビューで、「あなたはサムライ魂を持っていますか?」という質問をされました。大さんは自分がサムライ魂を持っているとは言いませんでしたが、「自分は日本で文句を言う人々のようにはなりたくない。自分は死ぬなら戦場で死にたい」と答えました。彼がサムライ魂を持っているのか、皆さんはどう思われるでしょう?
私が彼の全インタビューを見て感じたのは、彼は武士道を重んじているということです。しかし、本当のサムライ魂ではないと思いました。なぜなら、侍魂とは君主を持ってこそ存在し得るものだと思っていたからです。

侍魂とは何か

外国人まで魅了する侍魂、つまり武士道ですが、それは剣の道を究めるという技術的なものだけではなく、精神性も含めた、いわゆる文武両道であることは知られています。しかし、その精神性とは一体どのようなものなのでしょうか?よく言われる「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」ですが、儒教の五条の徳「仁」「義」「礼」「智」「信」が元々の精神性で、「名誉」は後の時代、海外へ武士道を宣伝した本「Bushido: The Soul of Japan」(1900年発行)に出てくるものです。これらは江戸時代に普及したもののようです。戦国時代の侍こそ、外国人が想像する「サムライ」ですが、彼らは傭兵のようなもので、その時の流れを見て、どちらにつこうかを計算していたわけです。ですので、戦国時代の侍は全体的に見れば、君主に対して無心の忠誠を尽くすことに興味は無かったのです。天下に名のある武将になる人物か、十分の報酬を与えてくれるのか、そのように打算的に考えて行動していたのが戦国時代の侍だったのです。実際、下剋上があったことからしても、少なくともそこに、私たちの思う、「義」「仁」「礼」「誠」は時と場合に依存しており、在るようで無い、無いようで在るといった、臨機応変なものであったことが伺えます。それは、戦国時代という生死が激しくぶつかり合い火花を散らしていた時代に、生き残るうえで、名を揚げるうえで、必要だったと想像できます。上に登り詰めるために、政略結婚をして、その家に入り込み、家族を毒殺したケースもあることなどからも、そのことが伺えます。なので、私たちが思う侍魂は江戸時代に作り挙げられたものなのです。また、海外の人々が想像するサムライは、合成のサムライ、つまり、江戸時代の武士道精神と戦国時代の生き残りバトルを生死をかけて戦う侍をミックスした「サムライ」なのでしょう。ですから、侍魂とは時代によって移り変わるものであることが分かります。いわゆる臨機応変な道徳基準だったのです。

サムライは死んだ

明治以降、侍の時代は終わったと言われています。確かに、髷を結って、腰に刀を差した侍はいなくなりましたが、武士道というものは重んじられていました。それは日本人の魂となっていたのです。約300年の平和な時代を惜しんだ日本人が、江戸時代に作り出された精神性を重んじていたとも捉えられます。明治以降、日本は戦国時代に逆戻りします。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、大東亜戦争と、今度は世界の戦争に参戦していくわけです。実は、この時こそ、海外の人がイメージする「サムライ」の像になっていました。江戸時代で作り出された武士道精神を持ち、戦国時代のように、生死を賭けたバトルに命を委ねるサムライです。そして、天皇という日本の神的存在を主として忠誠を尽くすという、あるべき形のサムライになりました。勿論、そのような形になったのは、新政府が天皇という神的存在を利用して前政権である徳川を倒しクーデターを成功させるためであり、その後も天皇の基に国民をまとめるという計算があったわけです。そして、そのサムライたちは大東亜戦争に命を散らし、生き残っても、賊軍として非難され、主であった天皇は神はから人間になり、忠義を示す対象が消滅し、ここに日本のサムライが死んだのです。

サムライを殺して、日本人を生かす。

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