短歌連作サークル「あみもの 第三十八号」を読む


いつものようにやっていきたいと思います。ちなみに、次号で終わりだそうなので、なんとなく次号はやらないと思います。


目の前で転んだ人が振り返る俺は何にも悪くないのに/青山祐己

転んだ人が振り返るときって、後ろに原因があるからというよりは、照れからくる後ろの確認だと思うので、そりゃ主体は悪くないでしょ、なんだけど、その視線の先に居合わせることもばつが悪いことではあるな、と感じて、そこまで含めての下句として読んで好きでした。

一瞬で目覚めるような思い出が駆けめぐるとき木馬はおそい/のつちえこ

ここで木馬をもってこられたのはなんかやられた。木馬は遅い。遅いけど、トロイの木馬のように進軍するイメージはあって、動かないアイテムじゃあない。むしろデカくて遅く動くもの。この歌の結句に入る言葉として、動くようでいて、ワンオブザモスト適切な感じ。

お互いのごめんとごめんの空白を舞っていたあの雪がたべたい/杉谷麻衣

思い出、に、雪が降っていて、それを「たべたい」は「思い出してる今」なんだろうな。この思い出は部分的に動く写真のように思えて、人物は動かずに雪だけが動いている印象。だから、「今」手を伸ばせるのって「雪のほう」なんだよな、って想像力がはたらきます。

研修所ビル4Fの窓で見る富士山そして世界の広さ/屋上エデン

窓から見てるのはどこまでなんだろう?「富士山」は確定として、「世界の広さ」はどこから? という読めなさが、「研修所」という場所のおかげでいろいろ考えることができる。研修所ってなんか「世界」見えそうじゃないですか? 

コーヒーを濃いめにいれる 濃いめとはティースプーンで四杯のこと/春原シオン

そこまで言う?ってくらい見事な自己紹介。言わないと確かに伝わらない。これを、伝えるぞってところがこの人の心なのかなと思います。自己アピール強めと言えばネガティブだけど、そうしたいときってあるし、むしろ教えてくれて嬉しくなる時もある。そんな情報の出し方。

車窓から物干しが見えるその服でいつかでかけるその家の人/榎本ユミ

微妙な省略があって、見えたのは「物干し」であって「服」ではない。服も見えてるだろうけどね。服ってすべてが「出かける用」じゃないだろうから、物干しにかかってた服はわりかしそういうのだったんだろうなあが推測できて、そこを書いてないのがリアルな思考って感じがします。

自失したわたしの耳はお湯の沸く音を大きなままで聞きます/くろだたけし

すごく認識がねじれていて、確かに自失していたら入ってくる音量の意識の調節はできないんだろうなあと納得はできつつ、「聞きます」のしっかり意識のある感じ。でもやっぱりお湯の沸く音を止めにいかない感じ。頭が無事だけど無事じゃない、両立がある感じです。

友達のおいでのポーズほんとかな、って思ったけど、本当だった/田中はる

人と人との距離感を明確に切り取れているなあと思います。赤の他人のポーズだったら「ほんとかな」とまでも思えなさそうで。親友だったら「ほんとかな」もなさそうで。その距離感なんだよなー、友達って。それと「おいで」の動きの若干の多義性と、バランスがいいです。

新宿に行きたい暮れのウインドウズ売り場の列に並んでいたい/小泉夜雨

時事 は当然いろんなものを過去にしていくけれど、「ウインドウズ」はまだあるけど「過去」だなあ、この歌では、というのを強烈に感じた。わざわざ新宿まで買いに出て並んでいたことが、この人にとっての過去。しかも並んでるから動かない。ある意味、永遠。

沈黙の隙間を縫ってライターに本来はない相槌の役/千仗千紘

ライターも、相槌くらいやるやろ・・・と思ってしまったが、だからこそほかに聞き手がいて、ライターはほんとに書いてさえいればいいような情景が浮かびました。するとなんかこの大仰な書き方が面白くなってきてしまった。何があったんだろう。

ナプキンとトイレットペーパーだけは食事を抜いてでも買わなくちゃ/澪那本気子

いや、そうなんだけど。食事を抜くくらいならなんかで代用できないか。という話じゃなくて、食事を抜くというのもグレードの話であって、食事を辞めるわけじゃなくて。なんかそのへんの優先度、順番というか濃さの差みたいなものをひしひしと感じてしまいました。

Lの字にテレビ画面は分けられて知った地名の断水情報/宮下倖

あー、あのテレビのテロップを「Lの字」と考えたことはなかった、のは、横倒しのL字であることが多いからかもしれないけれど、とにかく「分けられて」の把握はみんなやってるけどそういう言語化はあんまり見ないなー、という感じでよいです。分けると断水も縁語的。

インスタでセンスを試す風潮が一生続くと思うと死にたい/青藤木葉

なんだろう、一生は続かないんだよ、インスタは・・・と、ツッコめるのは簡単なんだけど、「風潮」のほうはどうだろう? これは分かんないぞ・・・という気持ちになりました。刹那的なものをダシに使う(や、今の主体からしたら重要なんだろうけど)技かもです。

味覇を入れたらだいたい美味くなるみたいな評価をされる そうすね/戸似田一郎

具体的なんだけど「みたいな」が気になってくる。要約なだけかもしれないけど。もし料理のことを言われてて、それがこの人からしたら「味覇式」なんだとしたら、その「味覇」がぐんぐん近くなるし、「そうすね」だから。「美味い」とだけ言ってほしかったんだろうなあという心。

出勤の前に見ている猫動画ちょうだい穏やかな日をちょうだい/大橋春人

下句は主体の心の発話でいいんだけど、動画を見ているから、猫に言わせているようにも思えてくる。自分も言っているし、猫動画の猫は言ってないんだけど、見ながら言っていることにして、一緒になっているような。狂ってるかもしれないけど逃避として共感できるライン。

担任が激落ちくんを呼び捨てにしながら配る一学期末/尼崎武

歌の通りだと、「激落ち」って発話してるわけで、それは歌にそのまま出てくるわけではない。この歌からは景だけが手渡されて、そこの音声は読み手が自分で再生する感じ。そこの面白さが、マジでそれだけなんだけど、この人のなかでこういう形で残っていることが結構好きです。

コンビニのビールはすこし高い分すこし美味しくないとおかしい/長井めも

商流と利幅のことを考えたらおかしくないことなんて明瞭だから、これを心から言ってるんだとしたらちょっとノレないんだけど、連作で立ち上がる主体の文句言いたいぞって心、があって、ただの愚痴として読めてくると、「美味しく」のほうも律義に「すこし」なのがよいです。

内輪差みたいなものの危うさを冬に奪われそうでこわいよ/街田青々

具体的に何なんだい、は置いておいて、確かに冬ってだけで寒くて、寒さがくらませるものを抽象的に思ったときに、この「内輪差みたいなもの」、あるかも。どちらかというと運転者的な目線での内輪差。知らず知らずに自分がやらかしそうな自分の制御外。冬だから。

コンビニの駐車場には猫がいてときどき誰かにツイートされる/西淳子

あみもの、堂々の最多回数掲載歌。いまだにコンビニ通った時に猫がいないか見てしまうんだよなあ。写真にとってツイートしたくて。

変身を二回残していた魔王なんてのは僕にもあるだろう/枡英児

ここで急に魔王を自分で引き受けるか! ってはっとして、ただ意外とあるのかもしれない。ラスボス的な存在に「なんてのは」ってつけるのが意外だったけど、つけたからこそそういう構図自体はありえるって気づくのは逆説的かも、それが面白かったです。


って感じでしょうか。ありがとうございました。


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