10月 雑感
8
Weezerというバンドの、最初のアルバムの、一曲目に収録されている、"My Name Is Jonas" という曲が本当に好きだ。
適当に対訳をつけるなら、
WeezerにJonasというメンバーはいないはずだし、名前になんのモチーフがあるかはわからない。ただ、パワーのあるギターのインパクトと、これから「語り」が始まりますよという感じがよい。
まだ話のつかみだけど、車のくだりからしても、自分たちって大したことないんすよ、みたいな雰囲気がかもしだされている。実際Weezerはそうやって売れたバンドだと思う。
4
社会人二年目の頃の10月、営業車の中で社会人に打ちひしがれていた。
仕事の出来不出来というより、今までは苦手だから避けていたタイプの人でも関わらざるを得ない、という当たり前のことがしんどかったと思う。毎日がつらかった。
このしんどさは、翌年くらいから、自虐で笑いをとるという術を覚えて和らいで行くし、そのころはそれが安心につながっていたのだけれど、振り返って思えば、防衛反応に過ぎなかったように思う。
高校生、大学生、社会人ときて、どんどん自分の大したことなさが自覚できていく毎日で、そのころ流行り出した異世界転生ものに共感していた。コンテンツの中身ではなくて、それが流行るということに。
スピード違反で警察に指紋を取られた。
確かあの時、へらへらしていた。
9
"My Name Is Jonas" の続き。
1番のBメロにあたるところかな。
モラトリアムが終わったけどそれを引きずっているような懐古が刺さる。歌い手は巣立った。でも車でぶらついているだけなのかもしれない。そのことを歌っている。
2
大学二年生の頃の10月、法曹になることをあきらめた。
結局、法学部に進学して、一年生の頃は一般教養をとり、専門科目を学び始めてすぐのことだった。
なんせ周囲が賢い。全く勝てる気がしなかった。高校生の頃はそれなりに勝っていたのだろうけど、それは自分の頭がいいというよりは受験勉強が得意だったにすぎないことがわかった。
曲がりなりにつけた教養から、裁判が生業になるのもやだなという価値観が芽生え、こうしてあきらめはあっさり訪れた。
勝負すべき、すべきでないという価値観があり、また勝負したい、したくないという意識があり、さらに勝負しなければならない、しなくてもよいという環境があるとして。
大学時代は、勝負すべき価値観と勝負しなくてもよい環境のもと、負けるから勝負したくない意識でいた。
僕はあらゆる「勝ち負けなんてどうでもいい」類の言説に共感しがちだが、そうなるに至った自分の降り癖は好きではない。
来年の今頃は就活考えないとなあ、なんて考えていた当時の僕は、巣立ちの時が迫っていることを知ってはいたが、わかっていなかったと思う。
10
"My Name Is Jonas" の続き。
1番のサビが訪れる。
最後の"Of course we willing to pay" でシャウトっぽくなりテンションが上がる。比喩がわかりやすすぎる。
高校時代や大学時代に、この汽車は僕の周りにもあったなと思う。
3
大学四年生の頃の10月、就職することをゼミの恩師に伝えたら、「君も俗物になっちゃうのかぁ」と笑いながら言われた。
とはいえ就職が決まったことにはホッとしていた。
就活はそれなりに苦労した。エンタメ本が好きだったので出版社を中心に受けていたらそこそこうまく行った後に全滅し、気づけば無い内定、NNTの状態だった。NNTって今も言うのかしら。
たまたま、僕の資質というよりは大学のバリューでとってもらえた会社があってすべりこんだ。人は焦ると時間通りに汽車に乗ることをとにかく重視するのだろう。
とはいえ、当時の自分の面接の受け答えを思い起こせば、こんな就活生いらないなと思う。
それは当時の僕が悪いというよりは、企業が求めるものを就活生がすでに持っている方がおかしいのだと感じる。
僕が就活生にアドバイスできることって今もない。なぜなら就活生にはコントロールしようのない、企業側の要員計画やら偉い人の気分やらが噛んでくるからだ。
新卒採用というシステムって、なんとなくクリアできちゃう人もたくさん出るだろう中で、すごく社会の溝だなと思う。こんなのつまづく人が出て当然だ。
入ってからつまづく人が出まくるのも当然だ。
この冬はたくさん小説を読もうと思っていた。
「小説を読もう」だったんだなお前は、という気持ちと、そうしておいてよかったよという気持ちがいま両方ある。
11
"My Name Is Jonas" の続き。
2番のAメロだ。
また違う人がでてきたがこっちもよくわからない。
ただ、おもちゃは子供の象徴で、そのバッテリーが切れたのにまだうるさいあたりが、断ち切れていなさをありありと感じさせる。
6
社会人六年目の頃の10月、抜け殻になって転職のことを考えていた。
一番は、自分の希望するキャリアパスが白紙になったこと。二番は、仕事の壁にまたぶつかったこと。三番は、年齢だった。
もともと転職自体は若い頃から考えていたけれど、自分のオプションの一つとしてしか考えておらず、でも今こうやって真剣に考え出すと、そのエネルギーが切れかけってことを思う。よくできているなと一般論にすり替えるようにして自分を保っていた記憶がある。
なんでこうなっちゃったんだろうなぁ、と思い返せば、自分が今まで逃げてきた勝負所が思い起こされて、そこに因果関係があるかどうかもわからないのに自己嫌悪に陥ってしまっていた。どうすればよかったんだろう。
営業車で軽い事故を起こしてしまい、原因を「疲れていた」と書いたら、そんなこと書くなと周囲から責められた。
当然だと思う。体調管理含めてこちらが整えるべきだし、あまりにも他責すぎる。
でも、あのときは、本当に降りたくて仕方なかったのだ。そういう人の気持ちはわかるようになったのかもしれない。
12
"My Name Is Jonas" の続き。
2番のBメロだ。
あっけらかんと力尽きそうな、自分は周りと比べても遅れているんだ、という自意識が感じられる。
英語では、弟と言いたければlittleをつける必要があって、つけたんだな、ということを思う。
5
社会人四年目の頃の10月、もしかしたら自分はこのまま行くのかなと思った。
なんやかやで仕事に慣れた。できる社員ではなかったが、入りたての失敗続きは回復し、成長したなとは思われていただろう。
ちょうど、昔の友達も大学院を修了したり、研修医になったりでほとんどが社会に出たころだった。みんなそれなりにうまくいったりつまづいたりしていて、社会を受け入れる体制が整ってきたのだと思う。
なにより、入社時に自分が思い描いてきたキャリアパスを踏めそうな感じがしてきたのもよかった。なんだかんだで毎日に希望があった。
僕には弟がいて、その弟もなんやかやうまくいきそうな感じがしていた。将来的には僕より稼ぎそうだったし、現時点ではその予想通り抜かれているのだけれど、自分に希望があればそれでよかった。
筆名を使って短歌を始めた年だったけど、このときやめていた。
人生に目がくらんでいたからだ。
13
"My Name Is Jonas" の続き。
2番のサビだ。
道(path)と数学(math)は踏まれている。
なんかこう、使えない大卒みたいな存在をイメージしてしまう。
1
高校一年生の頃の10月、なんとなく文系に行く選択をしたけれど、今思えばその理由はプライドだったように思う。
ありがたいことにテストで点を取ることの得意な学生だったから、進学の幅は広くとれたのだろうけど、唯一点数が悪かったのが物理だったのだ。
反対に数学は得意だったから、文系に行けば無双できるなと感じたというのもあった。
こういう、できる範囲から選ぶ性格はこの頃から変わっていない。
医者の子供が多い私立高校に通っていたので、文系を選んだことで彼らとは道を分かつことになった。
そのあとに仲良くなった友達とは今も続いているし、文系だからというよりは部活を引退したから読み出した色々な本が今の自分を作っているし、良かったことも多かった。
でも、たくさんいる医者の同級生との今の収入差はえらいことなのだ。
もし自分が医者になっていたらということを考える。
わりかし器用だから、手技のほうもなんとかなったのかもしれないし、黙々と打ち込むタイプだから、研究もよかったのかもしれない。
反対に、患者さんをよい方向に持っていけなくて病んでしまったり、激務に体をもっていかれたりしたかもしれない。
とりあえず、お金は今よりあるだろう。
部活帰りのバスで電車で、たくさんの働き人たちを見てきたはずだ。僕はそれをどんな目線で見ていたのだろう。
間違いなく、見ていなかったのだ。
何も。
14
"My Name Is Jonas" の続き。
Cメロになるのかな。対訳はいらないか。
歌い手は車でそのへんをぶらついているとして、でも働いている人は家に帰っていく。
じゃあこの歌い手の帰る先ってどこなんだろう。イエー。
7
社会人七年目の頃の10月、妻になる彼女の実家にご挨拶に行った。かなりのスピード婚だったと思う。
ご両親に結婚の意思を伝えること自体は、そこそこの緊張で済んだけれど、なぜか彼女の妹さんが(複数)立ち会っておりすごく恥ずかしかった。
お許しをいただいて、お寿司もいただいて、結婚するんだなということをしっかり思ったとき、もし自分が結婚できていなかったらということを考えた。
そのことが、よかった。あんまり今まで、「もし◯◯じゃなかったら」ということを考えてこなかったから。「◯◯だったら」ばかりで。
この年はもう自分の仕事も変わって落ち着いていて、余裕のあるときだったことは間違いない。しっかりこの10年で人生の波は実感したつもりで、それはこれからもまだくるだろう。
それを乗り切れるだけの予感がこの結婚にはあって、今も続いている。
15
"My Name Is Jonas" の続き。
といっても、さっきの繰り返し。
ヤケクソのようにイエーの数は増える。
ギターに加えてハモニカもうるさくなる。
で、最後に名前を言って曲は静かに終わるのだ。
僕にもJonasはいた。
でも今は、まっすぐ家に帰っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?