8月 雑感
会社まで歩いて通勤している。
ことを、妻の妹に話したところ、暑いだろとびっくりされた。
まあ、実際暑いのだけど、仕方ない。
ふと、この自分の仕方なさを支えるものに、「なんだかんだ暑い思いをしておかないと体がヤバそう」という不安があることに気づいた。
無根拠だ。
僕はそういう無根拠な観念にばかり突き動かされて生きていると思う。
8月の終わり、雨が続いたからか、家を出ると涼しく感じる。
それは日陰や風といった一時的なもので、歩いているうちに、いつもの暑い通勤に戻っていく。
イヤホンを耳に刺して、自分がいい曲だと思っている歌をかけながら進む。
先輩が課長に昇進していた。
その先輩は以前関西で同じ職場だったのが、どちらも転勤で散っている。
先輩の一つ下の歳であがっていたら最年少クラスだから、早い出世だと思う。
その先輩との思い出はいくつかあるが、最初に浮かんだのは、「そこ入ったらあかんやろ〜」の言葉だった。
会社の外部駐車場から、会社に戻るとき、生活道路の十字路を曲がるところがあって、その角は車が止まっていることがほとんどない私有の駐車場なのだった。
そこに、ショートカットするように入った社員に対する言葉だった。
それだけだ。
でも、僕は今までそれを言ったことはない。
先輩とは5つしか歳が離れておらず、自分の今の出世の速度は平均よりは少し速い。
あの駐車場が今も残っているのかは知らない。
残っているとは思う。
川沿いのカーブを歩いていると、小さくて黄色い花がまとまって咲いているのが見える。
そのほとんどが、太陽を向いているのだということに改めて気づいた。
カーブに生えているから、そういう咲き方になっている。
中には、あさっての方を向いているものもある。
そのことを、そのことを超えて、詩にするのはもうダサいなと思う。
ダサくはない。
でも僕はもうやらない。
あさっての方を向いている花の先には、これまたカーブした川がのんびり流れている。
のんびり?
イヤホンが、ワイヤレスイヤホンじゃないことは、かつて圧倒的に多数派だったはずなのだ。
もう違う。
僕はまだ使えるからアナログのイヤホンを使っているけれど、周りはどんどんそうじゃなくなっている。
はじめて、ワイヤレスイヤホンを耳にはめた人が、通話しながら歩いているのを見たのは、大学生の時だったと思う。
その時は、この人って周りから変な目で見られないだろうかと思ったものだ。
今じゃ、配信しながら歩いている人もいる。
その先にはそれを聴いている人がいる。
きっと、毀誉褒貶のコメントが連なっている。
あるいは誰も反応していない。
くらくらしてくる。
このイヤホンを買い換える時、僕もワイヤレスにするだろう。
買い換えるタイミングがなければ、そのままにするだろう。
そうだとして、意固地にこだわっている人のように見える時が来るのだろうか。
来たとして、そうではないというのに。
道端にマスクが落ちている。
これを、「もったいねー」と思ったことがあったコロナ禍だったな、と、思う。
これに、「もったいねー」と思ったことがあったコロナ禍だったということは、覚えておこう。
マスクは顔につける側が下になって落ちていた。
そう判断できたのは、そのように針金が曲げられていたからだ。
続柄 という言葉が、つづきがら と読むことを最近知った。
33歳である。
読めないことはいい。知らなければ読めない。
続柄という文字の並びは、これまで散々見てきた。
それを、読み方の確証がないまま放置してきたなということを思った。
子供の頃、「月極」の読み方がわからなくて、親に聞いた。
子供の頃は、聞くのだ。
「つきぎめ」と読むことは、予想外だった。
それがうれしかった。
自分の続柄が夫であることは僕のアイデンティティだ。
それと、続柄のちゃんとした読み方を知らないことは矛盾しない。
でも、ちょっと、変な気分にはなる。
急に雨が降り出してきた。
落ち着いてカバンから折り畳み傘を取り出す。
開くまでの数十秒、それなりに体は濡れてしまったが、落ち着いたものだ。
これが通り雨だという予感があることとは、また別物であるように思う。
落ち着きというよりは、麻痺に近い何か。
傘をさしながら歩いていると、後頭部にちらちらと触れるものを感じる。
なんだろうと思えば、折り畳み傘をまとめている細長い布の部分だ。
なんかこういうことってよくあるなあ。
そう感じて、そうか、この布の部分って無意識に視界に入らないように後ろに回しているのかもしれないと気づく。
あるあるだとしてもぜんぜん面白くないあるあるだけれど、ぴったりと脳裏に貼り付くようなあるあるだなあと思う。
天気雨だからか、朝日がまぶしいのではないかということが、傘越しに感じられる。
アルツハイマーの新薬がもうすぐ厚労省で承認されるという。
本当によかったなあと思う。
この「よかった」に含まれているニュアンスを言語化することは可能だが、あまりしたくない。
気づけば雨が上がっていた。
街路樹越しに見える小学校が、なんだか低く見える。
そういえば、この前久しぶりに投票に行ったら会場が小学校で、室内の何もかもを狭く低く感じた。
その積み重ねがあれなのかと思えば当然なのかもしれない。
会社に着いた。
改めて見たら、建屋は思ったより高くて大きい。
僕は今日、ここに何しにきたんだっけか。
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