評bot 3
今回もはじめます。趣旨は下のツイートをご参照ください。
ご利用者様は敬称略にて失礼いたします。
水滴のひとつひとつで朝がいま夢から覚めた瞬きをする /なな
朝の擬人化、で、読んでいます。「朝」が、「瞬きをする」で、その手段というかきっかけとして「水滴のひとつひとつ」がある、みたいな。「朝」のほうが「目覚める」の、把握、面白いです。それを把握しようと思ったら自分がめちゃくちゃ目覚める必要がありそうで。瞬きの「ぱちぱち」が「水滴」なんですかね。
というのを、もうちょっとかっちり読みに行けたらな~と思います。こういう読みを提示しながら、自信がないんですよね。「これが正解」を探す気はないんですが、「私はこう読めて私にはこれでいい」って感覚をもらえる方が読んでいて楽しくて、その辺が手さぐりになってしまいます。
「水滴のひとつひとつ」がもし具象由来であるのなら、そこは具象としてしっかり示していただいた方が、擬人化の効果が高まる気がします。あとは、「いま」の位置もそこでいいのかな、という思いも。どことなく語順で韻律をがたつかせてしまっているような印象です。「夢」も「眠り」程度でよかったのか「夢」じゃないとだめなのかとか。個人的には伝えたい景をもっと整理できるようには思いました。
ご利用ありがとうございました。
寝た痛み見失おうと窓べりへ 戸惑う 同じ海みたいだね /久方
まずは回文短歌としての技巧に敬意を表したいと思います。清濁の不一致はありますが、むしろそれが回文感を低減させているかもしれません。
回文という縛りをもとに景を紡ぐことは、どこか自動筆記的であり、奇跡との出会いなのではないかと考えています。そこでいくと、「窓べり」という単語に対して見える景に「同じ海みたい」がもってこれたこと、よかったなあと思います。「同じ海見たい」の裏を走る「寝た痛み見失おうと」も、性行為的な文脈で拾っていくこともでき、歌全体の心象のトーンが揃っています。
回文的な限界として、「痛み」を「見失う」というのはレトリックだとしてもそんなに効いていないようにも思いますが、そこから先の示し方が視覚に全振りされているので回収できている感じも。よい回文短歌は言葉を手繰り寄せてくるときにトーンをそろえられるので、なんかすっと解釈できると思っているのですが、そういう一首だと思っています。
ご利用ありがとうございました。
ごめんね金魚、雨が降ってしまったの、それから夜になってしまったの /抹茶金魚
二句三句が字足らず気味で下句が字余りなので、伸び縮みするような韻律を感じました。初句も余っているので字足らずの違和感がそんなになかったです。
結論、「金魚」にどこまで託せるかになってくる歌だと思います。「雨が降ってしまった」「それから夜になってしまった」という二つの事象をもってして「ごめんね」といえるもの、は、詩ではかなりたくさん持ってこれると予感しています。外への置き去りのイメージがあるからです。この「金魚」は動くと思いますので、作者にとって一番ハマったのがこれなんだろう、という印象です。
とはいえ「金魚」のハマりかたは分かります。あまり広い空間だったり外に出ることはない印象ですし。そこの、「分かるな~」が、「うん私も絶対にこれだと思う」までいってない、のは、事実です。
評者がこれを述べると卑怯ですが、読み手次第なところがあるように感じています。この歌から受け取れるものは多いですが、受け取った景から「金魚」をはずして残った骨組みを眺めてしまうことができて、それはそんなにポジティブなことではないのかもしれません。
ご利用ありがとうございました。
切れ切れの木漏れ日覗くお天道さん見逃してくれ僕の罪をば /唐草もみじ
「お天道さん」に対して「見逃してくれ僕の罪をば」の感情がわくのは自然ですし、天網恢恢疎にして漏らさずと言いますが、小さな日光でもそういう感情になってしまう、というのもわかります。木漏れ日のことを「切れ切れの」と描こうとする、そこが短歌なのかなあと感じます。
一方で、「木漏れ日」と「お天道さん」は同じ「太陽」のイメージが被るので、31文字にはもったいないと思いました。最初の方はもっとひかりひかりしていていいんじゃないでしょうか。あと、「切れ切れの木漏れ日覗く」が連体詞として「お天道さん」にかかるように読めてしまうと文法的に変な感じもしまして、あえて一字あけてもいいような気も。
これは余計かもしれませんが、個人的には「僕の罪」はもうちょっと深く提示できると思います。もちろん罪全体の話をしたいんだといわれればそれまでなんですが、どういう罪なのか、「罪」の質感を修辞で表現して読み手の心に迫らせるのも、また短歌だと思いますし、そういうドラマチックな語りが似合うくらいには大構えな主体だと感じています。
ご利用ありがとうございました。
文学夜 君に思いを馳せながら ページを開く 明日を覗く /らりるれ論理
これが絶対ダメと言うわけではないですが、短歌は句の切れ目すべてにスペースを入れる必要はありません。というのは、スペースが有効にはたらくことがあるからです。
「文学夜」というとありそうでなさそうな言葉ですが、「星月夜」みたいなカッコよさをまとってますね。とはいえ「君に思いを馳せながら」読んでいるってことはそこまで本に集中しているわけではないのかも。結句で「明日を覗く」と飛躍するのも、この人が今読んでいる本ってなんなんだと突っ込みたくなりました。冗談です。
「文学夜」で言いたいことと、「君に思いを」で言いたいことと、「明日を覗く」で言いたいことが、それぞれふわふわしちゃってる印象です。もうちょっと言いたいことを絞ってみてもよい気がしました。ただ、下句の「ページを開く」と「明日を覗く」の「間」は、いい呼吸に思えました。それぞれの句のスペースをやめたとしても、ここは残してよいかもですね。
ご利用ありがとうございました。
今回は以上です。
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