短歌連作サークル誌「あみもの 第三十一号」を読む
僕が(ほぼ)毎月参加している短歌連作サークル誌「あみもの」の、第三十一号から、個人的に好きだった歌についてゆるゆる書いていきたい。好みの偏りは上等である。
倍速で伸びする苗を映写して巻き戻してはまた砂嵐/八重柏誉一
「また」砂嵐、だから、映像は砂嵐からはじまるのか、の、「ハッ」があって、適当なところで巻き戻し、止めないんだな、、、という気分になる。現実にあり得る景だけれど、そこに執念がないとこうはならないような、ぐわっつかまれたような気分。
水ようかん残り一個を食べられてまあいいけれどあなたは破門/のつちえこ
「破門」が壊すものは人間関係ではないんだな、ということに気づけて嬉しくなった。「同門関係」が終わるだけなのだ。まあ普通はそこが終わると人間関係も終わりそうだけれど、「まあいいけれど」がそれを救っていて、主体と「あなた」の、なんでもなさそうな「同門」が見えてくる。
最近はバランスボールを買ったので、そう、良いですよ世界が揺れて/さはらや
あ~~~なんだろう、バランスボールに乗りながら言ってる感じがした。これ、ぎりぎり他人に言えるセリフかな~~~というのが面白くて、このセリフがいいというか、これを言える相手がいるんならそれは良いことというか、いい息抜きになれている歌。
もしきみの運転がうまくなってたら違う誰かのおかげだろうね/街田青々
つまり、「きみが自力で運転うまくなることはない」ってことなんだろうけど、それくらい「私はきみを分かっている」が言いたそうで、でも「きみ」と会えてないから、「きみが違う誰かに運転を教わる」景を優先してでも守る、「きみを分かってたさ」がつらい。
友達は電話のとき笑ってて文字のとき笑をつけてくれた/田中はる
これを、友達に感じられちゃう「関係」はおそらく「萌え」に近いよさを持ってきていると思う。電話の方は「笑ってくれて」じゃないのは、それが自然に笑ってくれてるんだろうなと。「つけてくれた」の、句点のあとにつけてくれた感が面白い。あるあるだが、拾えるのが関係の力。
八月の地球は滅びろ全力でラジオ体操に遅れそう/久藤さえ
「ラジオ体操」と「地球」、結びつかんやろ、、、ってくらいローカルな話だと思うんだけど、このスケールを異常におっきくしている感じが共感できなくてそれが無性におもしろい。マジでこう考えてラジオ体操に走っている人がいたら友達になりたい。
無印の店員さんは私にも無印の店員さんでいてくれる/朝田おきる
じゃあ、どこの店員さんがそこの店員さんでいてくれないんだよ、ってツッコミと、無印に対する信頼感すごいな、ってツッコミの両方があって、これが白けないのは「無印」という言葉のパワーなんだなあって感じがあって好き。これは完全に言霊の勝利。
こんな感じです。来月も出すぞー。
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