評bot 18
今回も始めます。趣旨は下のツイートをご参照ください。なお、ご利用者様は敬称略にて失礼いたします。
概念の話をしてと言つたのにきみは小箱に戻つてしまふ /朧
「きみ」が「小箱」に戻るというのが、「きみ」が故人であるかのような印象を受けます。あるいはもう会えない距離感の人の、思い出の小箱だったり。そういう意味で「きみ」自体が「概念」に読めますので、概念に対して概念の話をしてくれと言われたら、「きみ」が概念であることを突きつけるように消えてしまった、みたいな感慨に読めました。
この読み筋が作者の意図通りかどうかはさておき、理屈の通った読み筋だと思いますので、あ、これで腑に落ちてしまったんだけどこれでよかったかな、という感じがあるのは事実です。裏を返せば、もっと言いたいことあったのでは? 矮小化してすっきり読んでしまったのでは? と思っています。そしてこれ以上のことは読み取れないのです。
たとえこの歌に背景となる物語があったとしても、それを読むのは難しいと思いますが、シンプルにいい歌だなと思いました。ところで「小箱」の選択は、もっと具体的な具象にすることで歌が個別エピソード化するとは思います。それがこの歌にとっていい選択かはともかく、作者的に「小箱」はベストチョイスだったのかなとお節介を焼きたくなるところはちょっとありました。
ご利用ありがとうございました。
茎を引く 天に傾いで逆光の紫苑は折れた、墓参りにゆく /風見夕陽
てらいもなく書けば、紫苑の花を茎ごと折って墓参りにもっていく歌なのかなと思いました。「天に傾いで」という書き方が大仰で、それが「逆光」ということで・・・どう折れたんだ? と、景をスッとイメージするのが難しい部分があるなとは感じました。すみません。
なんとなくの所感ですが、景としてきっちり描きたかったというよりは、イメージをやっている歌なのかなあという印象です。紫苑というと忘れぬ草ということもあり、そういうものの「折れ方」をこう書くことで、お墓の下に眠っている人の「亡くなったんだよな」感をだそうとしている、みたいな。そんな気がしました。
自分がちゃんと読み切れなかった言い訳をしたいわけではないのですが、表現に振り回されているというか、作者自身にだけわかる言語形態の域にとどまっているようなところはあります。作者の意図はこの表現から十全に引き出せそうな気がするのですが、読み手にそこを伝えるにはもう少し表現の工夫があったほうがいいのかなあというのが正直なところです。
ご利用ありがとうございました。
ぞうのひざねずみのひざをかんがえてひじのかずだけなやみがおおい /袴田朱夏
なんでしょう、象やネズミの「ひざ」を考えたことがありませんでした。まあでもありますよね。「ひじ」は、多分ないんですよね。前足の「ひざ」になってしまうので。ということは、人間は四足歩行の動物に比べると肘が多い生き物なんですね。膝は少ないですが。
下句の、肘があるから悩む、というメチャクチャなつなげ方は、とはいえ四つん這いよりは立っているほうが知的だな、というある種野蛮な予感を引き寄せるものがあり、何言ってんだと完全にならないのが、意図かどうかはおいておいて、この歌の怖いところかなあと思います。我々は考えるんだぞ、というのって、人間至上主義といいますか、この歌がそれを主張しているわけではないんですが、そういう見方に立脚しないとこの発想って出ないんじゃないかなあと。
そのへんの怖さがひらがなと相まってあったのですが、どこか「ひじの数だけっていうけどひざは足りないしなあ」というつまらない反論が頭の片隅に残っているのも事実で、このあたりどうなのかなあというのがあるといえばあります。
ご利用ありがとうございました。
今回は以上です。
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