リベラルアーツ基礎 5月のテーマは「倫理」|授業レポート
※この記事は2020/05/28の投稿の再掲載です。
Loohcs高等学院(以下ルークス)では、毎月バカロレアのプログラムよりテーマを設定し、それに基づいたリベラルアーツの授業を行なっています。
今月はオンラインの環境で行いました!
久しぶりに学生全員が揃って行う授業で、学生たちは楽しく議論を交わしました。
その様子をお伝えします。
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こんにちは。ルークス常勤講師の内野です。
5/13に、リベラルアーツ基礎第1回として「倫理」をテーマに授業を行いました。
まずは「倫理とは何か?」という根本的な問題から。
ここではわかりやすく「倫理」と「道徳」を分けて考えます。
その違いから「倫理」とは、
「善いこと」と「善いこと」
「正しいこと」と「正しいこと」
の間でなされる人々の実践である
という結論に至りました。
その上で、今回は生命倫理に絞って、具体的な場面を想定した議論を行いました。
一つ目の議論は、脳死について。
人が脳死状態に陥った場合、その生死の判断は本人には不可能で、周囲が決定することになりますが、はたしてそれはそもそも可能なのか?生と死の境はどこにあるのか?
答えのない問いであるがゆえに、学生はさまざまな論点から検討を試みていました。
たとえば、
・ドナーカードなどがあれば本人の意思が事前に確認できること
・法律上の死の定義、
・延命にかかってくる金銭的な問題
・動物と人間での違い
など。
この議論をふまえた上で、生命倫理の議論が活発化した背景やインフォームド・コンセントの概念を学びました。
二つ目の議論は、安楽死について。
先ほどの議論では「周囲が」生死を決定する場面でしたが、今回は「本人が」死を決めた場合、周囲がそれをどのように受け止められるかという問題です。
先ほどの問いよりクリティカルに、「赤の他人」の場合と「近しい人」の場合が検討されました。
赤の他人であれば肯定できても、近しい人となると困難が生じる。
「死んでほしくない」というエゴとどう向き合うのか、そもそも赤の他人と近しい人を分け隔てるのは何なのか。
議論の後に、日本と諸外国での安楽死に対しての法律的観点の違いや、安楽死と自殺の違いについて学びました。
学生からは、
「重いテーマだから普段一人ではなかなか考えづらいが、みんなで考えることは楽しかったし、新たな視点を得られた」
「法律のことをもっと知りたくなった」
「自分の意見の脆さがわかった」
など、さまざまな感想をもらいました。
このような議論は、自分の「気持ち」だけで判断のできる問題ではありません。
法的な解釈や専門家の見解、自分と異なる意見の存在もふまえた上で考えなければなりません。
また、そもそも生きているとはどういう状態なのか、などのそもそもの定義問題は、なかなか学生一人で考えることは難しい内容です。各グループの教員が上手く場をファシリテートしながら、多角的な視点へ開くことを心がけました。
オンラインの議論ではなかなか議論の相手の表情まで読み取ることは難しいですが、議論のグループがはっきり分かれることによって、話者一人一人の意見に全員がしっかり傾聴できている印象を持ちました。
授業後、複数の学生から「ここについてもっと知りたい」など積極的な姿勢の見られるメッセージも届きました。
限られた授業時間内では考えきれなかったことについて、学生が問いを持ち帰ってくれるということは、ルークスの教員としては非常に理想的な状態を作り出せたと思っています。
学生間で、議論の参考になるような動画や記事のシェアなどもなされました。
このような動きが今後も活発になって、学びをより深めていけたらと思います。