私にとってそれは "アレ" でも、あなたにとってそれは "アレ" ではなくて"コレ"だったりする件・・・ウーマンラッシュアワー村本大輔氏の独演会に行ったことをうまくまとめれない脳内お花畑な精神破綻者の手記(1)
全部個人的見解であります
去年、THE MANZAIにウーマンラッシュアワーが出演し、結構な感じで叩かれてた(と思う)
でも、面白い!と言う人もいた
実は、私も面白いなと思ったうちの一人だ
THE MANZAIのスタジオは、村本氏の発する言葉に共感しない"敵"と、共感する"味方"の判別ができない渾沌の場だった
そこで村本氏は終始、原発や民族問題…メディアではタブー扱いされる言葉を使い、まくしたてる
村本氏の内には、不安や恐怖が全く過ぎらなかっただろうか?
そのような、村本氏にしかわからないことについて考えながら私は、村本氏が漫才の間中、パラダイス氏の肩に手を充て、喋りまくっている姿を見ていた
その様子はさながら、敵味方の渾沌としたスタジオで唯一、パラダイス氏だけは確固たる自分の味方であり同士だと確認し、心の支えにしながら奮い、舞台に立っている ということの体現のように私には思えた
THE MANZAIの後、「村本天才、パラダイスは不要」なんて言葉をネットで見かけた
確かに、あの喋りは圧巻だった
ある人からみれば喋りまくる人物は天才に見え、横に立つツッコミ役は、居ても居なくてもどうでもいい存在に感じられたのだろう
だけど、パラダイス氏が隣に居て、村本氏に対し微笑み返したり、ツッコミをいれたりしていたから、会場を沸かせていたのだと私は思っている
どちらか一人だけではなく、ウーマンラッシュアワー二人だったからあんなに笑いが起こっていたのだと、二人でとった笑いであり、どちらか一人ではありえなかったと私は決めつけている
THE MANZAIの件から、村本氏のnoteやSNSを読んだり、活動を検索するようになった
村本氏に、共感できたり感心したりする部分、反対に「は?」と思う部分もある
ただ、私の角度からみた世界上では、村本氏を熱烈に応援している人々よりも、叩き気味の人々のほうがやや多い(あくまで私の角度から見た世界での景色だ)
そんな村本氏の賛否両論ぶりを生で感じてみようと
また、一部の熱狂的ファンとアンチを揺るがす話術がどんなものか
ウーマンラッシュアワーではなく、村本大輔という人間の芸を見てみたくて
実(じつ)は、と改まって記すことではないけれど、村本氏のお笑いを聞きに行ってきた(独演会である)
行ってみて私は、「何も考えず安心して笑えるエンターテインメントではなく、さぁ考えろ!と聴衆にきっかけを与えるもの。同時に村本氏の思想と正義を聞く会」だと思った
(最初にも書いた通り、このnoteは私の個人的見解である)
ウーマンラッシュアワーの漫才?村本氏の目指すところ?は、おそらくスタンドアップコメディのような、俗世、思想、宗教、政治など…我々のすぐ側にあるものを皮肉るスタイルの芸なのだろうと考える
私の感じる限りでは、このスタイルは日本人には馴染みが薄い
日本では、深い意味など無い感覚的な快楽として"お笑い"を受け取っている人が多いと思う
だからこそ、村本氏のような "この現実についてさぁ考えろ" という芸は受け入れ難かったり、叩かれたりするのだと思う
私自身、 村本氏のような "この現実についてさぁ考えろ" と、投げかけてくる芸を、お笑いだと認めていないふしがある
現実世界を忘れるほどの世界観を持ち、「しょーもないな」と笑えるもの
散々笑って、あとで思えば、その瞬間だけでも嫌なことを忘れていたり、暗澹たる気持ちが薄まったりしている
また、一過性ではあるが興奮に似た幸福をもたらしてくれる
そういう、シンプルかつ、ひととき人々を幸せな気持ちにしてくれるものをお笑いだと決めつけている
だから、"(現実世界で重大なテーマについて)さぁ考えろ" という思いをお笑いに託す という信念は不要であり、不適切だと私は思っている。乱暴だけれど…
その人の、自己主張をするための手段として笑いを利用しているように思えるからだ
(まだ独演会にたどり着かないまま笑…続く)