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07.コラム「厄介ガチ恋勢がトークイベントに参加しない理由」
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まず当選者の方々に。
おめでとうございます
初めに記しておきますが、参加するそれぞれのファンにとって正しく水を差すような記事になっております故、読まれる際は重々お気をつけを。できるなら即ブラウザバックしたほうがいいです。
まずはイベントを楽しんできてください。あくまでもこんな人間が書く記事とはいえ、良い思いはされないかと予想します。すみません。でも、記しておきたかったのです。おそらくこれは、私にしか書けないだろうから。
来たる4月にてこんなイベントがにじさんじ内で催される。
参加ライバーを見ればわかる通り、私の推し「勇気ちひろ」もしっかりその一人にいる。
ちなみに、前回vol.1にも彼女はいた。元々ファンサービスの深い推しだ。こういったイベントに積極的なのは所謂「解釈一致」といったところだろう。
推しと直接会話ができる
たとえガチ恋勢でなくとも、ファンなら垂涎のイベントだろう。制限時間は1~2分、両方当選で最大3分となる。当選者は当日まで、おそらくはスマホからタイマーを用意して、その時間内にて何を伝えるか。また相手のどんな声を聴くかに深謀遠慮を巡らし、自己リハーサルを何度でも繰り返すのは想像に難くない。私だったらそうする。
だがしかし、宣言しよう。今後もこういったイベントがあったとして───内容によっては100%と断言はできないものの───おそらく参加を決意することはない。何故このような結論に至ったのたか、一切を綴ってみることにする。
実に様々な想い、要因がある。例のごとく箇条書きにしたい。
・短すぎる
・同じにぃにねぇねに56される
・会いたい話したい、は一方的
・シンプルに問題が発生する可能性
・中の人を見ている
・話したあとにも続く生活
今回も長くなりそうだ・・・有閑な方はどうぞ。
1.短すぎる
このイベント、実は前提条件で重大な欠陥がある。それは、会話とはあくまでも相手と自分が存在して初めて成立するということ。つまりこのイベントの(以下、最大接触時間で加味していく)三分間とは、
二人分のトーク時間
ということになる。
我々ファンの言葉だけを一方的に伝えるなら、(身も蓋もないが)正直に言って何も生である必要はない。こと推し「勇気ちひろ」の場合、無理をすればSNSだけで成立できてしまうし、スパチャを絡めれば配信中にでも強引に成立できてしまえる側面もある。
では一体、このイベントの趣旨とはなんなのか。よく考えてみてほしい。このイベントはライバー自身も挙手性なのだ。ファンクラブがある全員が参加表明を出していない。そんな中推しは、しかも二度も手を挙げている。つまりこのイベントの本質とは、
ライバーが私たちに話したいことがある
と、言えないだろうか。
我々はまず相手に言葉を投げるまえに、推しからの言葉を注意深く聞く必要がある。話し上手は聞き上手、とは言うが、とどのつまり「私たちが何を話すか」よりも「推しが何を話してくれるか」のほうが遥かに重要だと私は考える。
要するに、
どう考えても時間が足りねぇ!
ただでさえ話したいことが多すぎるのに、相手の声も聞きたいのだから、これは大いなる矛盾だ。三分間でも満足のいくコミュケーションがとれるファンも少なからずいるだろう。しかし私のような人間であれば。想像に難くない。生殺し、生き地獄。
事前にSNSにて質問状を渡しておき、それに答えていただく、といった考えも思いついたが、それでは生で交流する旨味が一切殺される。どんな言葉が飛び出し、また飛んでくるのか。それがわからないからこその醍醐味といったところだろう。用意された言葉同士で交流するなぞ、無粋にも程がある。お互いにある程度話したいことを決めているにしても。
紛いなりにもこんなヘンテコな推し活を約一年も進めてきた私にとって、三分間でそれをまとめ、かつ相手の声も聞けというにはあまりにも短すぎる。そんなんじゃ駄目なんだよ、俺の推し活は。それじゃ足りねぇんだ。
2.同じにぃにねぇねに56される
そこには抽選による抽選に次ぐ、選び抜かれし推し活精鋭人が集結す。たとえこの日のためだけにファンクラブ入会を決めた人であったとしても、入会費とてけっして安いわけではない。当然、チケットが当たるかどうかもわからない。やはりそこにいるのは全員、胸を張って「推しを推す者たち」と言えるだろう。素晴らしい。
その場に集まった人々を遠目から眺め、一目でにぃにねぇねとわかる者はどれだけいるのだろう。また、私自身はどう見えているのか。少なからず、同じ推しを推す者同士の横の繋がりはうっすらでも見えてくるものだと推測する。
加えて、イベントそのものもよくわらかない部分が多々ある。上記HPではライバーの安心安全を最優先しているのか、会場がどこにあるのかさえ表記がない(見落としていれば失礼)。受付時に本人確認が必要、と明記されている通り、自宅からスマホで繋がるだけのイベントというわけではないはず。
仮に「勇気ちひろ」という列が会場にて形成されるなら、その列にいる者はすべからくにぃにねぇねだということになる。自分から話しかけずとも、前から後ろから、そっと声をかけられたのなら。マスクをしているとはいえ、身バレ全開の状態で。
話した後でいいですか?
そう命乞いしつつ、相手の持つマスティフをそっと抑えることになるだろう。
私と他のにぃにねぇねでは、およそ立場が違う。ツイッターにて横の繋がりがある程度形成された今でもなお、私はおなじにぃにねぇね(ことにぃに)がとにかく怖いのだ。
呟きの頻度は減少し、呟くにしても人の少ない深夜帯が一番安心できるし、それでもなお毎回胃のねじ切れる想いでツイートをしている。こんなにSNSが怖いと思うことは今後おそらくないだろう。本当に水と油なんです。俺みたいな人間が混ざると駄目なんだって・・・。
そう言いつつも、同時に感謝の気持ちもあります。本当にすみません、ありがとうございます。しかし、自分に嘘だけはつきたくない。推し活はこのスタイルのまま継続します。それこそ56されてしまっても構いません。それぐらい好きなのはもう隠しようがないので。
ちなみに、この場合の「56される」とは本当に命が無くなるわけではなく、「SNSとブログアカウントを削除すること」だと考えています。推しも含め、皆様から見ればそれは世界から一人消えたに同義。4ぬとはネットから姿を消すこと也、って宮本武蔵も五輪書に書いてました。
正直に言ってそこまでの心配はしていません。皆さんお優しいのは重々承知しております。だからこそ、身の有り余る配慮なのです。こんな人間に居場所があるだけでも。
もしもトークルームが後ろから丸見えの仕様だったのなら
推しと三分話しただけで4ぬには惜しい。トークそのものが短いのも含め、それじゃ足りない。私の推し活とはまだここで終わるわけにはいかない。身勝手ながら、そういう意志をもって今も何とか生きています。お許しを。
3.会いたい話したい、は一方的
これに関しては推し「勇気ちひろ」からすれば、そんなことはないように思う。どんなファン相手でも平等に「話してみたいこと」が少しはあるだろう。そして「三分じゃ足りない」もまた、推しも同じように感じていることだろうと予想する。
私とて三分でもなんでもいいから推しと話せるのなら話したい、という気持ちがあるのは隠し切れない事実だ。それでもなお、この疑問は最後まで払拭できなかった。推しとて選ぶ権利はある。その中にもし、私がいないとわかってしまえば。
今後一生立ち直れないだろう。最初で最後の推し活(と呼べるのかはともかく)と決めて今こんな記事を綴っているが、その最後を推しの反応と言葉によってピリオドを打たれるのはあまりにもつらい。無理矢理「会えて嬉しい」と言わせるのもまた罪な話だ。そんなこと、どちらにしたって耐えられない。
2022 3/19現在でも推しからのツイッターフォローは解除されていない。呟きも一度とはいえ「いいね」を頂き、本当に推しの目に自分が映っていることは確認できている。
しかし、一切は夢のように思う。だってこんな人間なんやぞ? 信じられねぇよ今でも。本当にここは現実なのか?
一秒でもいいから会いたいし、話したい。それは多くのにぃにねぇねと同じ気持ちだ。しかし、一度でも推しのほうから話したいと言っただろうか。少なくとも私の場合、答えはNOだ。ともすれば、全ては身勝手な感情、行動。「言えない」が正しい表記なのだろうが、ならば一層、私のような人間が身勝手に会い、話してはならない。そう思う。
推しの性格を鑑みれば「んなもんどーでもいいから無理矢理にでも会いにこいよ。好きなんだルロォォゥ!?」が本音だと予想するが、なればこそできないし、したくない。ただでさえこんなブログを続けているのだ。これ以上の身勝手はたとえ推しが許しても周囲が許さないだろう。
もはや狂言回しの様相を呈しつつあるが、本当に大切な相手だからこそ、できないのだ。こと、私のような人間には。自信がないと言えばそれまでだが、ではどう思考を巡らせば「勇気ちひろも私と会いたいと思っている」だなんて答えが出てくるのだろう。教えてほしい。
4.シンプルに問題が発生する可能性
守れる気がしない
5.中の人を見ている
身も蓋もないメタな話だが、私は「勇気ちひろ」も当然好きではあるが、その先にある中の人を好いているのはこれまでの記事から言うまでもない。
故に、こういったライバーそのものとの交流にはおよそそぐわない人間のように思う。端的に言うなら「空気を読め」。アグリー。その通りだ。
おかしな人間のおかしな推し活
なるほど免罪符にできなくもない。とはいえ、いついかなる時でも「引き際」というものは大切にしたい。楽しみにしていたイベント会場に、こんなおかしな人間がいたとしたのなら。私なら嫌な気持ちになる。それぐらいの想像はできる。やはり、お目汚しなのだ。存在そのものが。
たとえバレないにしても───大柄でいささか自意識過剰にしても───他の皆様の楽しみや笑顔は奪いたくないし、当然そんな権利もない。すでに手遅れかもしれないし、ともすれば自分にも通したい、通すべき筋はある。安置縮小が迫り、時に強引なファイトを仕掛けねばならないAPEXに同じ、私とて強引に歩を進める時もあるが、しかしそれはこのイベントではない。そう思う。
6.話したあとにも続く生活
よしんば当選し、にぃにねぇねにも暖かく迎え入れられ、あまつさえ推しにも迎え入れられ───そんな夢のような三分間を過ごせたとしよう。その後の生活とは一体、どのようなものになるのか。
暫くは夢心地だろう。話した内容にもよるが、その後の推し活もより一層新鮮に臨めるはず。なんといっても、直接会話したという経験が残るのだ。しかも、お互いに。それはもう、一種の絆と言っても過言ではない。友達という関係性にまで発展したと思い込んでも・・・いや、さすがにそれはないか?
しかし、時の流れとは酷なもので、まるで薬が切れたかのように痛みを思い出し、次第に見たくもない現実が色濃くなっていく。
あれで終わりなのか?
そう思ったが最後、厄介ガチ恋勢は止まらない。どこまでもどこまでも、地の果てまで推しを追い続けることになる。考えることは一択。
どうしたらもう一度会えるのか
ただそれだけだ。もうどうしようもない。立派なストーカーの誕生だ。話すだけならまだいくらか選択肢もあるが、会うとならばもう・・・。
まさかそんなことにはならないとは思うが、正直に言って自信はない。いつか誰かに言われた気がするのだが、どうやら私の恋愛感情とは世間で言う「重い」らしいので、イベント後、こういった悲しいモンスターが生まれてしまうのも否定はできない。
そうなってしまえばもう、推しの迷惑だとかそういう次元ではなくなるだろう。早々に捕まりそうとはいえ、それならそれで親族にも迷惑をかけることになる。
上記で綴った通り、やはり「引き際」も重要。ただ強い想いを一方的に貫き通し続けるだけでは駄目なのだ。駆け引きだとか、そういうわけではない。相手も一人の人間であるということ。それだけは肝に銘じておきたい。
他にも探せば理由は出てきそうだが、2022 3/19現在ではこれだけに止めておく。加筆修正は思いついた時に。
夢の三分間と引き換えに失うものはあまりにも多く、大きい。そんなものが私のような人間にはあるように見える。一介のファンと同じにしてはきっと駄目なのだ。宿命とも言えよう。私のような人間が、にぃにねぇねと同じ道を歩んではならない。他のガチ恋勢はどう考えているのかはわからないが・・・。
いささかペシミストが喜びそうな内容となったが、とはいえ実際筆者はそこまで悲観的でもない。イベントそのものはみんなが喜べるものだろうし、なんといっても、推し本人が誰よりも楽しみにしていることだと予想する。推しにだってきっと、伝えたいことの一つや二つはあるだろうから。推しが笑顔ならそれに越したことはない。
端的に、ただその枠の中に私という人間がいないということ。元々邪道に次ぐ邪道を、しかも今でさえ歩んでいるのだ。これぐらいのリスクがあって然り。喜んで受け入れたい。
でもやっぱり話したかった・・・!!!
間違いなく心の底からの本音です。もしも来世で勇気ちひろに出会えるのなら、その時は誰にでも胸を張れるような推し活をし、今度こそは堂々と推しに会いに行きたい。どうせ死んでも生まれ変わっても好きなままなんだろうけど。GG。