2024 アルバムベスト30
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初めに
今年は音楽欲が爆発。旧譜約1200曲、新譜約660曲拝聴。ランキングはあくまで2024リリースに絞るが、アルバムで数えると約50枚以上拝聴。要するに、聴きこむ時間がいつもより短かった。
いつもながら、ただでさえ音楽に順位付けなぞナンセンスというに、精度も怪しい結果に。加えて、ここ数年で強く感じている「どれも平均点以上だが突き抜けた作品少なく横並び」が、ここへきてさらに極まりつつあるように思う。みんな違ってみんなよすぎ。
とはいえ、やはり例年通り「これ聴いてへんのマジ?」といった作品もきっとある。私自身ですら購入タイミングにエラーがあり、頭に浮かぶだけで4、5枚はある。耳が寄るのは結局、「自分好み」という心地良い音が中心。今年はより趣味に偏ったランキングになったように思う。
それでもやりたくなる。あとあと見てもきっと面白い、はず。去年に続いて、あくまで個人の趣味程度にて。
最終更新日
12/1、12/3、12/6、12/8、12/11、12/14(5~1)、12/17(選外傑作)
30~26
30.折坂悠太「呪文」(お気に入り②、③、⑧)
ジャケットからしてもそうだが、彼の音はいつも我々市井の視点から覗き込んだ先の原風景が見える。まるで数十年も前から届けられた風のような楽曲は、彼がよく着用する少しオーバーサイズな服のように、どこか緩い。
冒頭「スペル」の歌詞にもわざわざ「でぃだばでぃ」といった表記があるのは、アルバムタイトルが示すに同じ。彼はひっそりと呪文を唱えては、こんな日常にもこっそりと魔法を忍ばせてゆく。
比較的聴きやすい楽曲が並ぶが、元より和のテイストの強い部分もあり、こと今作なら⑥「努努」なんてプログレ的イントロから、いかにも彼らしいサウンドを展開している。
当初はランク外の予定で、それは最終楽曲「ハチス」にて確信的な朗読ののち、彼があまりにも楽観的に「ふー」と歌う、そのワンフレーズがどうにも受け入れられなかったから。
しかし、呪文とはその字の通り、そもそもが呪い。彼が日常に忍ばせるは、なにも薬だけではない。毒だってきっとある。そう捉えた時、このアルバムがこんな島国の令和六年に落とされたことの意味を、私はこの先も考えてゆきたいのです。
29.Jessica Pratt「Here in the Pitch」(お気に入り①、③)
彼女のアルバムはこれが4作目となるが、私自身が聴くのはこれがファースト。アコギ一本と歌声だけの楽曲も多い中、どこか奥深く、まるで多重奏のように響いてくる不思議。
歌詞は暗示的で、奇しくも上記に同じ呪文のような、ある種催眠、念仏のようでもある。音像はイージーかつ楽観的な空気もあるものの、言葉のほとんどが暗く、重い。文化の違いなのだろうが、海外楽曲はどうもメジャーキーで暗いことを歌う曲が多い。これもまた不思議。
それでも最終楽曲は音像通りのポジティブさがある。「きっと大丈夫」といった歌詞も力強い。アルバムの締め括りにこんなナンバーがあることもまた、作品としての奥行が感じられる。
楽曲だけならもっと順位は上でも良かったのだが、個人的どうしてもトータルタイムが30分にも満たないものを、私はアルバムとして換算したくない思いがあり・・・このストリーミング全盛期に戯言も甚だしいのだが、しかしさすがにアルバムとしての強度は低い。そう判断せざるを得ないがための、29位です。間違いなく名作ではあるけどもね。
28.envy「Eunoia」(お気に入り②、⑦、⑧)
ギリシャ語で「美しい考え」という意味をもつタイトルからもわかる通り、彼らはけっしてただ野蛮に叫び声をあげているわけではない。そこには知性があり、陽の光でさえ差し込んでくる。
いつになくストレートな詩が並ぶが、歌にするは徹頭徹尾いつも同じ。白も、黒も、光も、影も。清濁一切を合わせこんで、彼らはどこまでも希望を歌う。
フロントマンである深川さんは一時期、喉の不調から実際にバンドを脱退している。以降、再加入からはスクリーモよりポエトリーが増えたが、それはそれでまた違う良さがある。
彼らを紹介するときいつも同じ言葉で申し訳ないが、私の「スクリーモ」というジャンルの既成概念をぶち壊してくれた、今でも大切なバンドの一つ。こんな音楽がこの島国で生まれたことが、私は誇らしいです。
と、お膳立てしておいて28位という低めの位置なのは、これもまた上記に同じ、アルバムというフォーマットに対し強度が弱いと感じてしまうから・・・全8曲約30分。うち二曲はほとんどインタールードのようなもの。実質6曲作品。加えて、彼らは長尺楽曲もまた強力な武器の一つ。今回はその歯ごたえも弱い。
全曲むちゃくちゃいいのに、もう少し他の楽曲が揃うまでリリースを待てなかったものか・・・気持ちだけならあわやTOP5内ぐらいにはねじ込めるぐらいに、好きな作品ではあります。くぅ。
27.Hannah Frances「Keeper of the Shepherd」(お気に入り③、⑥)
シンガーソングライターの紡ぐ歌とは日記や(自己の)告白といったものが多い。今作もまた、彼女の父の死から溢れ出た言葉、音が製作の発端だったとか。その前提を知ると、ジャケットはまるで父の墓地の上で再開を懇願するかのような・・・
全7曲約37分と、あたかも70年代以前かのようなコンパクトさがあるが、冒頭と終盤2曲ずつ計4曲はバンドサウンド、真ん中3曲は語り弾き+アレンジといった、明白なコンセプトある並び順となっている。
やや複雑な変拍子のある(ナイスアレンジ)バンドサウンドナンバーからは、比例して歌詞もどこか哲学的。相反して真ん中三曲は、まず頭である「Woolgathering」=ウールギャザリング、「空想にふける」といった意味合いのある楽曲から始まるに、歌詞も自然と調和しながら、合わせて音もまるで青空に浮かぶ雲のように牧歌的。
最終楽曲ではタイトルと同じ歌詞「幽霊の出る風景、響き渡る洞窟」というフレーズを反復したのち、「私は去ってゆく」と、シンプルにさよならを告げるのもまた印象的。あるいは、彼女もいつか父と同じ跡を辿る、つまり生まれながらにして死が決定していることを詩に紡いだのかもしれない。
日々の生活からこぼれる想いを言葉にし、そこにメロディーを乗せる。そんな普遍的なシンガーソングライターとしての在り方を彼女、いやアルバムタイトルにあるような「羊飼いの番人」による力強い声を通して耳にするとき、私の生活もまた音楽とともに在る。そんなごく自然なことを、青空の下で空想とともにふけってみたい。
26.Floating Points「Cascade」(お気に入り①、⑤)
直近では宇多田ヒカル「BADモード」の数曲を共作したことでも有名だが、今回は逆に宇多田が今作の⑧、⑨にて共作。耳を凝らすと彼女の声が聴こえてくるが、ほとんど添え物のようなもの。
それはともかくとして、過去にこういったダンスナンバーがなかったわけではなく、特にBandcampなんかにある各EPやシングルはほとんどそう。それでも今作のようにBPMの速く、かつストレートでシンプルな楽曲ばかりが収録された、純粋なダンスアルバムはこれが初。
クラブでリスナーを躍らせることに特化した今作とは、製作過程も相応に真っすぐ。彼自身スタジオを所有しているにも関わらず、ほとんどをヘッドフォンとノーパソで作り上げたとのこと。そのためか、個人的ビートの音色はあまりにシンプルすぎて、もはやわざと粗野にしているのでは、とまで考えてしまう始末。
正直にいえば、私は過去作のダンスナンバーのほうが好きだったりする(たとえばこれなんて最高)
よくあるリリース前情報の「新作は原点回帰」という謳い文句ほど、肩透かしを食らった経験も少なくない。
とはいえここまでの力押しをアルバム全編通してかまされると、いつの間にか腰は浮き出し、くねりだすというもの。ラスト二曲で少しずつ平熱を取り戻したとき、ふと「このアルバムなんて名前だっけ」と思い出すまでがワンセンテンス。
時には考察だとか、裏のテーマだとか、んなもん何も考えずに聴けるアルバムがあったっていい。昨年に引き続き、2024もまだまだ「踊るということ」を純粋に求めるリスナーがいる。彼はただ、そんなフロアの声に解答したまで。
25~21
25.Underworld「Strawberry Hotel」(お気に入り②、③、④)
「私たちは一人じゃない 火を点けろ」
アンセムのような一曲目から始まる歌詞には、おそらくはコロナ渦も明けたライブ会場(あるいはクラブでも)にてひしめきあう人々へ向けたような、そんな力強いメッセージがある。
二曲目でも火は続くかのように「一人じゃない」と同じ歌詞があり、あとはもう、彼らのシグネチャー・サウンドがフロアに鳴り響かんばかり。
前作「Drift」シリーズでは一年間、毎週一曲ずつ新曲をリリースするというとんでもない実験的作業を完遂したわけだが、この長いキャリアでもそんなクリエイティビティを忘れぬまま、Underworldとしか言いようのない畳みかけるカール・ハイドの歌と、リック・スミスの変わらない、しかし深化はあるサウンドから、実に11枚目となるアルバムがリリースされたこと自体、本当に素晴らしい事実である。
日本では今も一定の人気を誇っているが、しかし新作リリースでもあまり騒がれている印象はない。Bandcampにあるステートメントも「Please don't shuffle...」の一文のみ。タイトルと同じサイトはあるが、関連性があるのかも不明。
だからといって、「またアンダーワールドがアンダーワールドなアルバム出してる」でほっとくに勿体ない。苺のホテルでは騒音も気にせず踊っていい。何も考えず、ただ音に身体を揺らす。一曲目の歌詞を引用するなら、「そんな貴方は、美しい」
24.OGRE YOU ASSHOLE「自然とコンピューター」(お気に入り①、⑥)
のっけから申し訳ないが、アルバムの全容を言葉で知りたいなら、下記対談記事で一切事足りるだろう。
徹底してこの世界に謎のオブジェクトを音としてドロップさせていく彼らだが、アルバムタイトル通り、天然でもあり人工的でもあるかのような、そんな境目ですらもないような場所に、彼らはいつもいる。今作だけでなく。
そんな彼らだからこそ、今作もまた音が「やってくる」といった表現にて制作を進行させたと記事にある。間違いなく何かしら別の音楽の影響下にあり、またこの世に完全なオリジナルなどどこにも存在しない。
しかし、もはやそんな考えすらも自然なのか人工的なのか判別不能。上下左右の感覚があやふやになるも、けして宇宙空間にいるわけでない。正しくも間違いでもなく、何かしらの指針でもない。
これは一体、なんなのだろう。心地良さと不気味さを同居させながら、しかしただの音楽であることに変わりなく、だからこそ音楽を聴くこと以上の体験を提供してくれる。ただの音楽とは言い切れない今作もまた、一定の評価を下さざるを得ない。それが言葉で語るに無駄だと知りながらも。
23.Kelly Lee Owens「Dreamstate」(お気に入り②、③、⑩)
デビュー当時から陰鬱なダーク・サウンドが彼女の持ち味であり、それは様々に形変えど3rdアルバムまでは一貫していた。
して、どうだろう。この四枚目にして突如翼でも生えたかのように、彼女は太陽の下へと飛び出し、青空へと高く昇ってゆく。こうしてただ言葉にするだけで曲名のほとんどを網羅してしまえるほどにストレート。アルバムタイトルも「夢心地」。え、自分でもちょっとこわい。今時ここまで真っすぐな作品ある?
ただ踊れるのみならず、後半にあるバラードナンバー(これもまた曲名そのもの)もアルバムの流れとして素晴らしく、最後までお手本のようにしっとり閉めるのまた好印象。
歌詞もまたほぼすべての楽曲に「愛」の言葉あり。よく音楽家が結婚して子が産まれた際、途端に作風が明るくなることが多くあるが、彼女もまた同じように、人生における大切なパートナーとの出逢いでもあったのかもしれない。ただの邪推。
というわけで、ここ数年でより四つ打ち、ダンスビート沼にいる私の個人的ランキングの一つがこれ。今までの暗いアルバムからのギャップもあって、とにかくしてやられました。ブレないコンセプトある作品が結局良いんだから。
22.Jon Hopkins「RITUAL」(お気に入り 連作のため全部で一曲)
元々はアンビエント+ダンスビートが彼のシグネチャーであったが、確かヨガのBGMとしてより深い催眠作用を呼び起こすために制作された前作は完全アンビエント作品で、今作とほぼ同じ、全曲を通して一つの楽曲となるような形を成していた。
して、今作はビートこそ帰ってきたが、彼はまだ深い催眠の中にいる。かつて「素敵な宇宙船地球号」というテレビ放送を、小さい頃よくわからないまま夜も深い時間にぼーっと眺めていたことを思い出す。
導入こそ暖かみあるサウンド(①~③)がリスナーを包むが、やがて隕石でも降り注ぐかのように試聴環境は熾烈を極めていく(④~⑥)。ひとしきり破壊の限りを尽くしたのち、あたかも新たな生命が地表から芽生えるかのような再生の音を鳴らし(⑦~⑧)、約41分の宇宙遊泳は終了する。
まるで生命の営み、サイクルを一つにしたかのようなこのサウンドはアルバムを通して聴かなければ、ほとんどていを成さないだろう。「儀式」と名付けられた作品だが、彼自身も何かしら特定の儀式を指してサウンドトラックとしたわけでなく、この音を聴き、何を解放していくのかは、一人一人のリスナー次第。
正直にいえば、またバキバキのダンスナンバーが聴きたいのは隠せない本音である。彼は宇宙に旅立ったが、しかし制作時は多くの仲間(共作者)に助けられ、またその体験は、今まで孤独に製作しては障害が発生した際、解決するまでスタジオの壁に頭を打ち続けるようなこともなくなったとか。
ともすればこの作品を制作したそのプロセスこそ、彼にとっての儀式だったのかもしれない。気持ちよさから、一度聴き始めると不思議と全曲通して没入してしまう力あり。
21.Friko「Where We've Been, Where We Go From Here」(お気に入り①、⑤、⑥、⑧)
前評判からデビューアルバムの期待値はとにかくでかく、それはこの島国でも同じで、今年リリースにも関わらず早速かのフジロックに招かれるほど(その後は単独来日公演も)
インディから彗星のごとく飛来した今作とは、冒頭からまるで大団円。大作映画のハッピーエンドで流れていそうなほど、エモーショナルかつ多幸感がある。この一曲目のシングルカットからSNSでよく見かけたのが、「アーケード・ファイア」、その名である。んー確かに。
だからまぁ、正直に言えば期待値は大きすぎたようにも思う。1stらしい粗削りさはあるし、生で観ていないとはいえ、フジロック配信の際のライブも同じく粗さがあり、逆にそれもまたインディ、若さゆえのエネルギーでもあり。
それもまたタイトル通り、「これまでとこれから」の一端に過ぎないのだろう。未だヒットチャートはラップの勢い衰え知らずといったところだが(勿論それはそれでグッド)、ここ数年にて、各地からまたインディ、バンド再興の兆しは着実に見られる。
その旗手の一つに、Frikoは間違いなく存在している。インディとバンドサウンドのおいしい部分を見事にアウトプットしつつ、さらにはすでにシンガロング可能なアンセムの一つは完成した。自ら打ち立てたその壁を、二人はどう超えてゆくのか。今からでもその「これから」が、私は楽しみでならない。
20~16
20.toe「NOW I SEE THE LIGHT」(お気に入り①、②、⑩)
国内のみならず海外でも(のほうが?)認知度の高いポスト・ロックバンド。メンバー全員が兼業であり、バンドのほうがどちらかというと副業。
だからこそ(合間にEPリリースもあったとはいえ)約9年ぶりのアルバムリリースという事実だけで大変ありがたい。別記事でもちらほら名は出しているぐらいには好き。また、個人的ジャケットが素晴らしい。桃色をチョイスしたフォントや、フィジカルでしか成し得ない凝った構造もクール(買った人のお楽しみ)
前作はその当時のトレンドでもあったゲストボーカル形式が多かったが、以降も飛躍的にVo楽曲が増えた。歌詞の言葉選び、癖のある押韻も健在(個人的好きポイント)。メインであるインストナンバーもさほど派手な展開はなく、しかしライブでは化けそうな楽曲もちらほらと。
正直に言えば、1stや2ndの頃にあった、野心的というか、インディらしい貪欲さみたいなものは欠け、落ち着くところに落ち着いたサウンドに変化したように思う。引き算の美学も感じられるが、個人的Dr柏倉さんにはもっと暴れてほしい気持ちはある。彼のドラミングきっかけで聴き始めたこともあり(これはこれで悪くはないものの)
それでもこの順位に位置するはただの思い入れに留まらず、聴き始めるとどこか心地良く、冒頭楽曲タイトルのように、優しくも物憂げな風が通り抜けていくような感覚に、純粋に何度も浸りたくなってしまうからだ。
言葉はつらくて、でも音にはどこか希望がある。それはアルバムタイトル通りで、確かに今、私にも光が見える。未来へ向かう勇み足は、時に悲しみから始まるもの。影を奏でて、逆説的に光があることを知らせてくれる作品とは、ジャケットのような希望への道しるべに他ならない。さぁ、ここではないどこかへ。
19.Cassandra Jenkins「My Light, My Destroyer」(お気に入り③、⑦、⑫)
前作2ndにて一躍時の人となった彼女の新譜は、路線でいうならそっくりそのままの継続に。13曲と収録数は増えたが、合間にフィールドレコーディングに詩の朗読を加えたインタールード的トラックが多数あり、全体としてはコンパクトかつ統一感のあるものに。
アルバムタイトルは光の神アポロンの語源から影響があるようで、ともすれば二頂対立となるような「光と破壊」という言葉の中に、夜空から希望を見つけようとする、そんな夜明けのサウンドトラックとなっている。ジャケットもよく見れば夜明け前、夜と朝が一つにあるように見える。7曲目の日本語タイトル楽曲にアルバムタイトルと同じ歌詞が登場するが、どういった由来なのかは不明。
響く音は前作同様どこまでも優しく、それだけで時の流れが弛緩していくような甘さがある。しかし歌詞はそうでもなく、そこかしこに現る孤独を嫌う言葉とともに、「あなた」を探している、といった願いもある。
最終楽曲はインストであり、事実上のラスト12曲目では、「愛していたのはあなただけ」といった、「Only You」の曲タイトル通りごくシンプルなラブソングで締め括られる。
相反するものを一つに掛け合わせる矛盾こそ、我々生物がパートナーを見つけては愛し合う、そんな普遍的な日々の営みに深く根差しているようにも思う。そうでなくとも、どこまでもムーディーな音像が私は好きです。
18.Godspeed You! Black Emperor 「"NO TITLE AS OF 13 FEBRUARY 2024 28,340 DEAD"」(お気に入り①~②)
一切はタイトルが物語っている。あまり言葉にしたくないが補足すると、
以前から彼らの奏でる音はポリティカルなものを包括している。この島国では今なお「そんなものを歌にするな」と口にする人が少なからずいるが、その糾弾そのものがなによりも政治的であることに、未だ気づかぬ人も多い。この目も覆いたくなる避け難い現実を、彼らはいつも真正面から睨みつけ、その一切を音に変えてしまう。
一貫して変わらぬスタイルを貫き通すその雄姿たるや、素晴らしいの一言。暗澹たるリアルを映し出すかのように音は重く、ともすれば冒頭の雄々しいマーチかのような音は、我々市井の勇気を奮いだたせるのではなく、これから戦場へと向かう悪魔の戦士たちのマーチを皮肉に表現したものなのかもしれない。
しかし、それだっていい。なにがあったって、いつも私たちはただ黙ってうなだれている時間はない。恐怖にうずくまるだけでない、絶望だからこそ少しでもその場から足を踏み出すこと。ただ逃げるだけでもいい。多くは語らず、それでも戦うことを諦めないこと。
タイトルとはおよそ対照的な、何よりも大きな希望を、彼らのようなバンドが奏でるその一歩こそ、我々が真に必要な感情なのかもしれない。彼らはそんな大切な想いを、いつも巧みに、鮮烈に音にして表現してみせる。
この時代に、彼らが音というフラッグをはためかせること。その意味の大きさとともに、私もまた同じ時代に生きていることを、とても誇らしく思う。
17.Julia Holter「Something in the Room She Moves」(お気に入り③、⑥、⑨)
アルバムタイトルはビートルズのとある歌詞を反転させた視点から、らしい。レコーディング期に愛する人の死と娘の誕生を通過し、またサウンドは「水の中にいるかのような」音を目指したという。その着想とは、かのジブリ映画「崖の上のポニョ」より。
前作は二枚組の大作から非常にエクスペリエンスな方向に飛び、何度聴いても「なんだこれは・・・」と、それまでのメロウな路線とのギャップもあって、正直置いてけぼりを食らわされたことは否めない。
一体どこへ行ってしまうのか。そう感じていた約6年後にリリースされた今作は、前作の宇宙交信的サウンドは踏襲しつつも(特に5曲目)、再び歌に普遍的なメロディが帰ってきた。
彼女が目指そうとした「水の中」という表現もよくわかるように、ほぼすべての曲に大きな動きがなく、緩慢なBPMとともに、体を包み込むかのような印象が強い。
「太陽」に始まり、「回転」して、「夕方」に陽が沈んでゆき、最後の楽曲には「眠る」といった歌詞もある。アルバム全体で一日の始まりから終わりまでを通して表現されているのもまた魅力の一つ。
本音を言えばそこまでのインパクトはないのだが、アルバム全体としての統一感が素晴らしく、浮遊しているようでその実水の中にいる感覚は、あたかも母胎の中にもう一度回帰したかのような感覚がある。その不思議な没入感に、私はしてやられました。気持ちいいんですわ、とにかく。
16.The Smile「Wall of Eyes」(お気に入り①、⑦、⑧)
今更説明不要ではあるが、かのRadioheadからトム・ヨークとジョニー・グリーンウッド、解散してしまったがそれまで目覚ましい活躍のあったSons of KemetからDrのトム・スキナーによる三名が手を組んだ、比較的ミニマルなスリーピースバンド、その2ndである。
1stでは三人組だからこその変拍子、ポリリズムの絡んだ複雑なアンサンブルを展開。Radiohead印的アンビエントなバラードもあったりと、ミニマルながら前衛的でもあり、また思いの外フィジカル・サウンドでもある。
うってかわってこの二枚目はさらに音が削ぎ落され、変拍子、ポリリズム健在もそこまでの存在感はなく、比較的シンプルなリズムアレンジに。アンビエンスと引き算が強調される中、後半5曲目以降は一転オーケストラ・アレンジが加わり、ミニマルは音像は優美に厚くなっていく。
歌詞はRadioheadと変わらず、風刺の効いたものになっている・・・と思われるが、この辺りは教養のない私には、具体的に何を指しているかはわからず。とはいえ随所からぶつけずにはいられない、神経質な苛立ちのようなものは感じられる。「目の壁」という、常になにかの監視下にあるかのようなタイトルからもそれはよくわかる。
月並みな言葉となるが、たった三人でここまでの表現をシンプルに、かつ富んだリズム、様々なアレンジを、あたかも容易にこなしてしまうバンドなんてそういないだろう。これだけの作品をリリースしておいて同年にもう一枚アルバム出してくんだから、本当に彼らの創作の泉はとめどなく溢れんばかり。およそサブプロジェクトとは思えない。
音もそうだけど、もう存在そのものが評価せざるをえない次元にいる。ある意味でランキングキラー。でも本当に、曲も良い。遠くない未来、AIによる脳構造の解析でも始まったのなら、是非にその頭の中を覗いてみたい。きっと本人はそんなのごめんだろうけど。
15~11
15.Mount Eerie「Night Palace」(お気に入り どの曲でも)
今も山奥の自宅兼スタジオで愛娘とともにひっそりと暮らすフィル・エルヴェラム。彼は数年前、癌によって愛すべきパートナーを失っている。
その深い悲しみの中でも彼は歌うことをやめず、パートナーへの深い愛を綴った二枚のアルバムをMount Eerie名義でリリースした。そのうちの一枚「A Crow Looked at Me」はそのタイトルからもわかるが、一匹の烏を他界したパートナーと感じ、「彼女は今もそこにいる」と彼は信じている。
その悲しみから遂に一歩を踏み出したアルバムが、今作となる。禅の瞑想に影響を受けたとされる静謐かつ緻密な言葉もさることながら、山に住んでいることのよくわかる、元々の自然由来な歌詞―――風や水、川、光、月といったもの―――がまた紡がれており、今作にて原点回帰していることがよくわかる。
あたかも詩、短編小説かのような歌詞に、フォークを基調としつつ、時にノイズ、メタルにも近い轟音ギターが鳴り響く。ちぐはぐに聴こえるドラムもまた彼特有のスタイルであり、それもまた無類の音を響かせている。愛娘に対する歌詞もあり、また彼女自身も④のスクリームで参加しているだとか。
また今作でも「烏」について触れる瞬間もある。傍目からでもどれだけ愛していたかがよくわかり、比例してその悲しみも生半可なものではなかったことがよくわかる。
私が彼と同じ状況に陥ったとして、その悲しみを音にし、ましてや歌うだなんてことは到底できないだろう。自然の中で彼は自らの現状と感情に注意深く向き合い、それを音に変えた。さらにその先へと歩む、彼の飽くなき自己の探求と表現、その素晴らしさ。全26曲、約1時間20分という曲数、長さもまた圧倒される。
黄昏から踏み出した先に待っていたのは、何事にも代え難き静かな夜。一本のアコースティックギターから紡がれる音は、耳を澄ますと、今もあの山の奥から風とともに聴こえてくる。愛する娘と、一匹の烏に見守られながら。
14.Fontaines D.C.「Romance」(お気に入り②、⑤、⑨)
以前から一定の人気はあったが、今作にて頭一つ抜けた評価を得たバンド、その最新作。かくいう私も気にはしていたが、今作以前の三作には一度も触れず、この四枚目にしてようやくの初聴きである。
アルバム=世界への招待状のような一曲目は、そのタイトルに名前は同じ。その中でフロントマンのグリアンは「ロマンスとは居場所」と歌う。
「世界の終末で恋に落ちる展開に惹かれた」と、映画「AKIRA」からの影響もあるとされる今作はその通りで、どの楽曲からもどこか陰があり、それは彼らのシグネチャーでもあるのだろう闇、黒を表現しているように思う。
その代表曲ともいえるような毒毒しい②「Starburster」では、まるで悪魔が深呼吸をするかのような呻き声も聴こえてくる。これは実際にグリアンがパニック障害となった体験によるものだとか。
同時に、ロマンスというタイトルからもあるように随所に儚く、今にも崩壊しそうな、しかし確かな「愛」というテーマがある。彼らは今にも終わる世界の中で、もう他にすがりつくようなものはない、そう言わんばかりに美しい愛を奏でる。④、⑤、⑨に、それは顕著だ。
その愛は最後に光となって結実する。ラストナンバーである「Favorite」は、あたかもこの荒廃した世界の最後にたった一つの風が流れてくるような、まるで今作に似つかわしい颯爽とした一曲となっている。
全11曲37分という比較的コンパクトにまとめられた楽曲たちはいずれもどこかキャッチーで、万人を惹きこめるポップまで感じられる。
世界の終末と愛。11曲すべてにその通奏低音を響かせつつも、彼らは素晴らしい表現力をもって一枚のアルバムにまとめあげた。本当はロマンスと呼ばれる場所なんてなく、しかし愛さえあればどこにだってできてしまえるもの。時に絶望からでしか見出せない景色がある。これはそのうちの、きっときれいな風景の一つ。
13.Four Tet「Three」(お気に入り①、④、⑥、⑧ いや全部)
UKが誇るベテラン電子ミュージシャンの、実に12作目ともなる作品。合間に細々としたシングル、EPのリリースも少なくない中、今作にて彼が選んだスタイルとはほとんど原点回帰(というかいつも通り?)。ダウンテンポと呼ばれるジャンルがあるが、ゆったりとしたビートに、ややダウナーな音像はまさにそれ。
しかしそれだけでなく、②のようなビートのない美しいアンビエント楽曲もあれば、彼のシグネチャーである④、⑥のようなフロア向けダンスサウンドも健在。ラスト⑧ではそれらに合わせシューゲイズ的ウォール・オブ・サウンドも展開。煌めく光の中でアルバムは幕を閉じる。
彼の別作(むちゃくちゃ良い)「There Is Love in You」のジャケットにもあった通り、あたかも七色のビー玉がころころと転がっていく、ただそれだけで良かったと思えた童心に帰らせてくれるかのような、そんな暖かくもどこか切ない音が、今作にも随所から聴こえてくる。
とにかく気持ちよくて、つい何度もリピートしちゃう。多分これから先もそうで、つまりは、個人的思い入れがとても強い一枚。もうね、すんごい好きですこれね。
12.Crumb「AMAMA」(お気に入り②、③)
アメリカのサイケ・バンド、その三作目。1st、2ndは未聴だが(急いでCDは集めた)、これは試聴して即決。
フロントマンであるリラ・ラマニ曰く、「このアルバムは祖母に捧げられたもの」だそう。タイトルがそのまま祖母という意味合いを持っているのは、ママ、という言葉からもよくわかる。
サビのない楽曲は海外ではよくあるものだが、Crumbはこと顕著。もはやサビに親を56されたかのように、それらしきフレーズは最初から最後まで一切現れない。全曲サビなし。その辺の日本人が聴いたらクエスチョンマークを浮かべたまま側頭しそうな・・・言い過ぎ?
だからこそ際立つサイケとしての音像の在りよう。定番のコード半音上げはシンプルながら刺さるアレンジだし、サビのない構成は、ともすればどの歌詞のどのフレーズも決定的。同時に、どの言葉もただ流れてゆくだけ。
執拗に反復される言葉はサイケによる催眠、あくまで麻薬的反応を音にしただけ。と思いきや、⑨なんて曲中急なリズム転換から「起きろよ」と連呼してきたりして、それはそれで面白い。
立ち振る舞いから前作タイトルが「Ice Melt」だったことも合わせ、私が彼らに抱くイメージは、およそサイケ=夏のくらくらする太陽ではなく、とかく冷たいもの。
サビがないこと含む、どこまでもリスナーを突き放すかのようなクールなサウンドは、さしづめ真夜中にしか昇らない青い太陽。今年新たに発見した音楽の中で一番好きになったものがこのバンドです。最高。
11.Zamboa「未来」(お気に入り①、⑦、⑧)
一切はメンバー本人が言葉にした下記note記事にて。てかBandcampのアルバムお値段安すぎ!
前作「Milk」、さらにその前作「Klan Aileen」(いずれも傑作!)から、基本的にデュオという最低人数の形態を維持。音もスタイルも大きな変化はないように思う。
つまり今作も傑作と呼ぶに疑いの余地はない。どこをどう切り取ったってこんな音、J-Popという括りで聴かれる「未来」だなんて、私にはおよそ想像がつかない。このアルバムを聴いていると、この島国にあるメインストリートを練り歩く音が一切陳腐に響いてくる。「本当に、それでいいの?」
生々しいドラムの上をギターがへばりつくように進んでゆくが、今作にて今までとの違いにフォーカスするならやはり、「声と和」、だろう。
今までもけして歌を蔑ろにしていたわけではないが、しかし時に和定食にある漬物のように、ただ添え物でいい。しかし、なくてはならない。そう思える瞬間は数多くあった。
とはいえ漬物だってうまい。特に、特徴通りこしてもはや棘すら感じる歌詞の押韻(彼らの好きなポイント)は今作だって健在。聴いていて快感すらある。音源にシンガロングすると、それは限りなくラップを口ずさむに近い。本当に気持ちが良い。そういった意味では、彼らのサイケ・サウンドはこういった歌にも宿っているように思う。押韻の麻薬。
もう一つの「和」についてだが、アレンジ、オーバーダブとして、明らかに和のテイストある音が増えたということ。
元々「おはら節」なるカバーをよくライブで歌っていたようで(ライブ音源はあるが正式音源はなし)、思えばジャケットにも和テイストのものが散見された。種は以前から蒔かれてあり、むしろ芽を出すのは遅すぎたくらい。
節々で和アレンジが聴かれる瞬間はあるが、楽曲全体に顕著なのが⑦「ひばりの朝」だろう。まるでロックバンドが奏でる能。私がお寺を経営する日がくれば是非に、この曲をBGMとしてループ再生させたい。上記note記事でも歌詞が読めるのだが、シンプルな三行が本当に素晴らしい。
また個人的外したくないのが、⑧「この世でもあの世でも」のような長尺ナンバー。サイケの酩酊感を味わうにある程度の長さは必須。歌詞だってやっぱり奇天烈。しかしただ押韻したいがための言葉遊びに留まらず、痛烈なメッセージがあることも察知できる寛容さがある。「涙も 眠る頃には思い出」だなんて、彼らが歌うからこそよく響く。
ラストナンバー「旋回」もタイトル通り、アウトロにて三拍子のワルツとなるのがタイトル通りの「回」を示していて・・・他、すべての楽曲にフォーカスしたいほど、こんなアルバムがこの国から生まれ、しかし正当な評価を得られていない現状には本当に、憎しみすべて叩きつけたい所存ではある。
そんな鬱屈とした狭苦しいリアルもここまで。きっといつの日かすべてがひっくり返る、そんな美しくも真っ黒な未来が待っている。Zamboaという音がこの島国から発するこの2024と同じ時を生きていることに、私は改めて感謝したい。
10~6
10.MJ Lenderman「Manning Fireworks」(お気に入り⑤、⑨)
2023ランキングにもINしたWednesdayのメンバー、マーク・ジェイコブ・レンダーマンのソロ作品。バンドメンバーもまた今作に多数参加している。
もはや本家よりも人気なのではないか。そう思えるぐらいの賛辞が前々作、前作ぐらいからあったのだが、今作も負けず劣らずの人気っぷり。恥ずかしながら、私は今作が彼の初聴きとなる。
角の取れた丸いサウンドと間延びした歌は空気や時を緩く流してくれるが、フォーク、カントリーの潮流に避け難きシニカルな歌詞も同居。けして甘いだけのサウンドに留まらない、深い知己や批判も含まれている。
のだが、筆者のただ翻訳サイトに歌詞をぶち込んだだけの知識、教養では、海の向こうのウェットに富んだ鋭い言葉のナイフはまるでわからず・・・「クラリネットは孤独なアヒルの散歩を歌う」、なんて素敵なフレーズなんだけど、これなんなんでしょ。あと「ヒンボ・ドーム」ってなに?
とはいえ、彼が優れたシンガー・ソングライターであることに変わりはなく。サウンドも大きな独自性はなくこれでもかと普遍的だが、一切が丁寧。
最終楽曲⑨では実際にあるオジー・オズボーンの同名楽曲を歌詞にしつつ、本来の意味である「月に吠えろ」から、本当に吠えるような歌詞もある。アウトロもさながら犬の遠吠え。これでもかと間延びきったながーいドローンサウンドで幕を閉じるのまた素敵。
言葉の意味がわかればより理解も深まり、順位もまたもう少し上になったのだろうが・・・ここは逆に、音像だけでもここまでの順位となる素晴らしい作品、といった解釈にて。2024に生きるインディ好きなら外したくない一枚。
9.Arooj Aftab「Night Reign」(お気に入り①、⑦、⑨)
前作「Vulture Prince」でパキスタン人初のグラミー賞を受賞。その後のプレッシャーを克服しながら製作されたのが今作。
私はこのアルバムからファーストコンタクトとなるが、一聴して本当に脱帽した。(英語詞もあるが)音楽にてウルドゥー語を耳にすることはこれが初で、ジャズを基調としながらも、彼女の出身であるパキスタンの民謡音楽とも高次元で融合し、それが歌へと調和されている―――この音がきちんと評価され、世に広まるという事実。一切が素晴らしい。
敬愛する弟や親友の死が色濃く反映された前作から、その大きな成功から一躍時の人、多忙の身となったとき、彼女は「時間」に改めて目を向けた。それが今作「夜の支配」というタイトルに反映されている。TURNでのインタビューから彼女の素敵な言葉を見つけたので、そちらを丸々引用したい。
一言一句共感できる。本当に、私たちはいつも夜の支配下にあると思う。大切な時間はいつだって、夜にある。
歌詞もまた上記インタビューにあるように、詩人の言葉を引用しながらも、夜というテーマにて避けては通れない月、酒、慕情、その先の官能的な部分まで。特に大きなギミックはないが、だからこそ音と言葉によるストレートな印象が強く響く。この作品はこれでいい。これがいい。
もし目の見えない人に「夜ってなに?」と訊かれたのなら、ウイスキーでも片手に無言でそっとこのアルバムを手渡してみたい。お酒飲めないんですけども。
8.Nala Sinephro「Endlessness」(お気に入り①、② どれでも)
来日公演も満員御礼。ここ日本でも前作のデビューアルバムにて一躍有名となった、今やアンビエント・ジャズシーンを牽引する一人、その彼女待望の二作目。
ちなみに、のちに紹介するがここにもblack midiからドラマーであるモーガン・シンプソンが数曲参加している。
それもあってか、前作の優美な空間性は維持しつつも、今作はビートもより聴こえてくるのがまずポイントだろう。当然、彼女のシグネチャーであるシンセ、ハープも健在。あくまで電子音にもかかわらず、こんなに優しくて暖かみのあるシンセを奏でられる人なんてそう多くはいまい。
アルバムタイトルは「終わりのない」、とあり、すべての楽曲が「連続体」と名付けられ、それはまるで作品全体で一曲とみなす趣がある。拡大解釈ともなるが、それは生命の循環のように捉えられる。
ドラムによる生命=フィジカルが前面に表現された音も必要だったことは想像に難くない。ポリリズムで反復するフレーズや、幾何学模様なジャケットからしても、そこかしこで終わりのない=輪、循環が感じられる。それは最終楽曲のアウトロがイントロのフレーズと繋がっていることにも同じ。本当に、終わりがない。
ただでさえジャズというあまりメインストリームに出ないジャンルにアンビエントを掛け合わせ、そこに独自性、アート、何よりも果てしなく心地良い音を掛け合わせた彼女のサウンドがこうも広く評価されている事実。それ自体がまず素晴らしいことのように思う。
その飽くなき探求心はアルバムタイトル通り、終わりなくどこまでも続く。さる紹介記事には「聴く入浴」といった表現もあった。なるほど確かに私もその音楽の温泉旅行に、どこまでもついてゆきたい。というか、そんなの行くしかないでしょ。本当に、それぐらい気持ちがいい。
7.Kamasi Washington「Fearless Movement」(お気に入り①、⑩、⑫)
断続的に作品の発表やゲスト参加等あったが、アルバムリリースとしては約6年ぶりの3rd。今作は比較的コンパクトな仕上がりとなったが、それでも全12曲約1時間半。その風貌に同じ、ビッグ・バンドらしいデカさ健在。
基本的なスタイルやバンドメンバー陣もほぼ変わらないが、今までと圧倒的に違う点が、多数のゲストが参加していること。こと前半は歌にラップと、ある種のお祭りのような喧噪さえ感じられる。
制作に関して「愛する娘が誕生したこと」の影響があり、それはジャケットからも一目でわかる。また、その女の子は今にも動き出しそうで、少なくとも大人しくはない。彼なりの「ダンス・ミュージックを目指した」という発言もあり、さらにタイトルは「恐いもの知らずの運動」。騒がしいも当然といったところ。
地上でカマシ祭を開催するのみならず、直近フルートによるアンビエント作品をリリースしたAndre 3000が参加した⑥「Dream State」のような、今までにもあった宇宙交信的スピリチュアルサウンドも健在。8曲目から始まる後半では見事にゲスト参加楽曲が消え、アルバム構成もあからさまなものに。
子どもはただ無邪気に動き回るだけでなく、時に長い人生経験がある大人たちでさえも不意を突かれるような今までにない視点をもってして、とても鋭い言葉をこの世界に解き放つ瞬間がある。
あたかもそんなわんぱく運動を表現するかのように、アルバムは最終楽曲にて突如最高速度の盛り上がりを見せ、またそのタイトルもエピローグではなく「プロローグ」。
作品を聴き終えたその瞬間こそ「次は貴方のダンス=人生の始まりだ」、そういわんばかりに強く背中を押してくれる。我々は行動するために恐怖を消すのではない。たとえ恐かろうと動き出すことによって、恐怖を置き去りにさえできるのだ。
6.Adrianne Lenker「Bright Future」(お気に入り①、②、⑦、⑫)
今やインディー・バンドの重鎮となりつつあるBig Thiefからは、フロントマンである彼女のソロ作品。バンドと同じくして今作品でもグラミー賞を獲得。名実ともに素晴らしい実績を残している。
当初はアルバム制作をするつもりはなく、ただ仲の良い友人と森の中にあるアナログ・スタジオ(築150年!)に入っただけ。いうなれば、音楽で一緒に遊んだ程度のこと。
わずか数日間のレコーディングはほとんど一発録りのようなものだったことが楽曲からもよくわかる。8トラックのアナログテープレコーダーで収録された音は、ミックス、マスタリングでさえもアナログで、誰も最後までPCの画面を見なかったそう。
「どんなものになるか想像できなかった。結果は魔法のようだった」とは彼女の言葉で、実際に聴いてみればそれはすぐにわかる。ともすれば粗削りなサウンドだが、しかしこれこそが真に音楽。整ったスタジオに、豪華でレアな機材たち。ただそれでは捉えきれない音、拾われるべきだった音が、ここにはある。
暖かいトラックとは裏腹に歌詞は冷たく、過ぎ去ってしまった恋人や、同じくらい愛していた大切な誰かへ向けたものが多くを占めている。⑪は気候変動という、現代を生きる人々にとって目をつむれない題材も含みつつ、アルバム一曲目や、レコードならばB面の一曲目ともなる⑦、そして最終楽曲⑫では「あなたを思い出すと私はダメになる」というフレーズが反復されたりもして、始まりと終わりが物悲しい作品となっている。
それでも彼女は、このアルバムに「輝かしい未来」と名付けた。すべて物事に光と影があるように、希望もまた時に悲しみから生まれるもの。
どんなにつらく苦しい今であったとして、それより暗い未来なんてない。たとえ確信はなくとも、希望はある。そんな魔法のような未来があることを、彼女は信じている。この素晴らしい作品が様々な困難を乗り越えた先、想像もしなかった未来から生まれたように。
5~1
5.Geordie Greep「The New Sound」(お気に入り①、②、③、⑩)
かのblack midiから(ほぼ)フロントマンであったジョーディ・グリープのソロ・デビューアルバム。レコーディングはblack midiが活動休止宣言する二年前から始まっていたとのこと。精力的。
始まりのレコーディングは①、⑤、⑧で、いずれもblack midiからドラマーであるモーガン・シンプソンが参加。この三曲を聴くと、この時点ではソロもほとんどblack midiの延長線上にあったように響く。さらには上記含む、ほとんどの楽曲にサポートとしてツアーにも同行していたセス・エヴァンスも参加。⑧に至ってはメインVoまで務めている。
しかしblack midiツアー中の2023年、ジョーディがエヴァンスとともにブラジルはサンパウロにて、今作のシングルカットともなった「Holy, Holy」を現地のミュージシャンとレコーディングしたその時から、いよいよその新しい音はblack midiから大きく変化を遂げることとなる。
②、④、⑦辺りに顕著だが、それもそのはず。ジョーディがここ三年で聴いた音楽の大半がfrom南米。ブラジル、サルサがキーワードにあることがよくわかる。
とはいえ、②レコーディング中スタジオに集まったブラジルのミュージシャンはサルサを知らなかったとか。つまりこれ、なんちゃってなのである。それでも成立させてしまう、ジョーディも驚きの現地ミュージシャンのテクニックと音楽的素養。
佐伯俊夫の素晴らしいジャケットと、エネルギーに満ち溢れまくった楽曲。まるでヤクでもきめたのち、その幻覚から必死に逃げ出そうとしているかのように強迫観念の強いまくしたてるボーカリング。その歌詞はそこはかとなくナンセンスだが、村上龍的エログロ世界観が感じられなくもない。
一切がシニカルに聴こえてくるのに、どうしても耳から離れない。もはや聴く精力剤、全マシ次郎。こんなにも馬鹿馬鹿しくて洗練された、あな素晴らしき楽曲たちよ!
black midiだけでもスケールのでかいキャリアを送ってきたというに、彼はまだ20代前半。ただただそのテンションの高さ、強さに圧倒される。若さだけの勢い任せではない巧みな構成と、シニカルだけでない時に真っすぐかつポジティブな力だってある。
当初はもっと下に順位していたが、聴けば聴くほど「評価せざるをえない」という気持ちに。もはや人間賛歌と言い切ってしまえるほどに、なんでもかんでもこじ開けてしまえる圧倒的な生命力が、この一枚にはある。
4.Beth Gibbons「Lives Outgrown」(お気に入り②、④、⑦、⑩)
Rustin Manとともに共作となった彼女のアルバムがリリースされたのは2002年、メンバーであるPortisheadが最後にアルバムをリリースしたのは2008年。それからおよそ10年の歳月を経て作られたのが、今作となる。下手すればもう二度と聴こえなかったであろうこの声。リリースされただけでも音楽史に一石を投じる出来事である、
十年の歳月がかかった理由の一つとして、ビートの音作りがある。スネアの音を中心に、「多くのビートが私をイライラさせる。使い古されてダサいから」とは解説書からベス・ギボンス本人の弁。
そのサウンドの真髄は、スタジオ内にて偶然にも段ボールを蹴飛ばした、その音がトリガーとなったそう。すべての楽曲ではないにせよ、たとえば一つのドラム・キットとして、パエリア皿、金属板、ミキシング・デスクの一部、スネアは牛革の水筒、キックはカーテンの詰まった箱で、それらをティンパニのバチでしばいたとか。
完成したビートはまるで民謡音楽かのようなビートで、およそまともな8ビートなんて聴こえてこない。ローがメインの音はひたすらに重く、それは今までの彼女のキャリアにも通じ、何よりもアルバムのテーマとなった「母性、不安、更年期障害、死」とも密接にリンクしている。
比例して歌詞も重く、通奏低音として、齢60も近い彼女の人生経験から「今はもう取り返せないもの」に対する言葉が多い。「若い時は何とかなると思う でもいくつかの結末は受け入れがたいものもある」という言葉は、その最たる例の一つ。
自分自身の老いからくる衰えや、今はいなくなってしまった人のこと。それはきっと、誰の人生でも必ずしも一度はあること。誰しも死から逃れられないように。
アルバムタイトル「成長の終えた人生」からも、彼女がいかに深い悲しみの中にいるかがよくわかる。それでも最後には救いがある。そう言い聞かせるかのようなラストナンバーは、あたかも陽が射し込む窓のように暖かく、「愛を囁きながら 私の心に吹き込んでほしい」という懇願で幕を閉じる。
なにをどうしたってPortisheadという、もはや呪いのような束縛、対比から、この音もまた逃れられはしない。それでも、彼女が長い時間をかけて再び歌をうたい、それを作品としてリリースしてくれたこと。それそのものに感謝したい。聞けばフジロックでの来日公演でも、彼女が微笑む瞬間があったとか。
そんな彼女が歌うこのアルバムは、まるで暗闇に灯る一つの蝋燭。希望だとか、そんな陳腐な言葉で表現したくない、そのなにかを見つけ出すきっかけとなるような音が、ここにはある。
3.Parannoul「Sky Hundred」(お気に入り②、④、⑥、⑧)
前作「After the Magic」を2023ランキングにて褒めちぎったのだが、そんな彼の早すぎるぐらい早い帰還、三作目となる。ちなみに、彼は今年にFax Gangなるラップグループと共作アルバムもリリースしている。
とんでもない創作意欲だが、今作のBandcampステートメントを読んでみるとその背景がよくわかる。ただ翻訳ページに突っ込んだもので申し訳ないが、全文を丸々引用してみたい。
文中に「魔法の終わり」という言葉があるが、これは前作のアルバムタイトルをそのまま指しているのだろう。2023ランキングでも言葉にしたが、彼は一貫して自分の自信の無さに辟易していて、こうやって成功を手に入れたあとでも、またすぐに忘れ去られてしまうのではないか、という恐怖にある。
その恐怖を退けるために彼が選んだこと。それはまた同じように楽曲を作り、自分の想いを素直に音で表現することだった。
たとえば⑤「暗転告白」の音は明るいが、歌詞は「何もしなくても明日はやってくる みんなが君を忘れても」といった具合。また今作の表題曲であろう14分間に及ぶ感情の大洪水⑥「私を呼び起こして」では、「We're Sky Hundred」とアルバムタイトルそのままの歌詞から、「ただ泣きたい ただ笑いたい」といった言葉もある。
思えばシューゲイズというジャンルもすさまじい音の壁の後ろで、「別に聴こえなくたっていい」といった具合にぼそぼそと歌い、ただ足元だけを見て、相手の顔もまともに見れないままステージから去るような。
今作でもその音像は続いているが、おそらくは今回もすべて打ち込み(ドラムはおろかギターですらも!)であろうバックトラックは、もはやシューゲイズの先、感情が大混線して「何百と見下ろし、見上げた空」へ届かんばかりのノイズの瓦礫。ミックスもてんでむちゃくちゃだが、それすらも整理しきれない自らの心をそのままさらけ出しているかのよう。
ジャケットもまた、前作はまるで晴天の下、誰にも気づかれず光の中へと消えていくかのようなものだったが、今作はそのジャケット=魔法のあと、夕陽とともに自らも沈んでいくかのよう。拡大解釈ではあるが、彼の作品はあたかも物語のように地続きだ。
感情ノイズの奥から、彼が唯一演奏するキーボードの音がどこまでもピュアに響く。忘れ去られる、いつかは消えていく自らの身体で彼は、何百回と空を見上げた。その空の下には、何百人の自分が確かにいた。
誰に訴えるでなく、ただただ自らの想いを音にすること。どこまでもパーソナルで無垢な表現なのに、どうしても他人事のようには思えない音。
最終楽曲「ファンタジー」では、みながそれぞれの幻想を追い求めていることを歌にしている。その最後の歌詞を引用して、私の拙い紹介も終わりにしたい。
落ちてから初めて
私は飛べることを学んだ
私を乗り越えて
私は私を受け入れた
落ちなければならない
再び立ち上がるために
私を乗り越え
私は私を捨てた
同じ道でも
私と貴方が見えているものは違う
変わるのは
悲しいことじゃない
すべての大人に成りきれない大人たちへ。
2.Jamie xx「In Waves」(お気に入り①~③、④、⑦、⑩)
もはや説明するまでもなく有名なThe XX、そのメンバーのソロ作品。前作の虹色ジャケットから一変して白黒となった、個人的待望の約9年振り2nd。
前作から自己を見つめ直すかのような内省的サウンド、つまりはチルな部分も包括しつつ、全体としては解放、また高揚感あるシンプルなダンス・ミュージックへと帰結している。
そんな音とは対照的に9年と時間のかかった制作はけして平坦ではなく、当初は「作曲ができなくて悩んだ」とも。そんな中、コロナ渦の到来にて強制的に時間ができた彼は、自問自答の中で古いレコードを聴き漁り、しかしダンス・ミュージックは一切聴かなかった。そうして辿り着いた答えとは今作の音の通り、「作りたいのは結局のところ、ダンス・ミュージックだった」
また、日ごろから一人で作曲をするのが好きだったが、孤立からの視野狭窄から抜け出すためにと、今作は参加ゲスト多数。それはタイトルを「波に乗って」と名付けた理由の一つでもあり、曰く「いろんな波をみんなで一緒に、そして一人きりで乗り越えてきた」「ダンスフロアで最高の瞬間を迎えるように」
説明するまでもないし、たとえダンス・ミュージックでなくともそうだが、ライブ鑑賞中は自然と観客が波のようにリズムに合わせて動くもの。その動きこそ、彼がもっとも見たかった光景の一つ。
「楽しさや喜びを内省的な音と合わせて表現したかった」と彼は言うが、それは⑩で流れるサンプリングにある、Nikki Giovanni「Dance Poem」の一節「涙を拭いて 音楽が聴こえないの? このハッピーなビートが聴こえない? 子供たちよ みんなで集まって一緒に踊ろう」にもよく表れている。
去年に引き続き今年も多くのダンス・ミュージックがリリースされたが、彼の作り出す音は本当に、頭一つ抜けたデザインとセンスがある。時に複雑な音やビートの上でも、意志と理念はひたすらに真っすぐ。四つ打ちに留まらない美しいリズムの先に見えるのは、フロアにいるクラウドたちの笑顔、ただそれだけ。
間違いなく2024最高のダンス・アルバム。余計なことは考えなくていい。さぁ、踊れ。波のように。
1.Cindy Lee「Diamond Jubilee」
それはなんのCMもなく、2024年3/29に突如この世界にドロップされた。YOUTUBEの公式chにこそ今でもアルバムを丸ごと再生できるリンクはあるが、このストリーミング旺盛期にて当初はそのリンクか、彼自身が運営するレーベルからのフリーDLでしか試聴方法はなかった。
https://www.geocities.ws/ccqsk/
そのページだって、およそ公式とは思えぬ疑わしいレイアウトのもの。「本当に音源があるのか?」「ウイルスか何か混入して屋いないだろうな・・・」と、私もおそるおそるダウンロードしたのを今でも覚えている。
(今ではBandcampにもアップされ、またフィジカル購入も可能に)
元々「Women」というポストパンクバンドを組んでいたが、突然のメンバー逝去により解散。フロントマンであったパトリック・フレーゲルのソロ活動にて、シンディ・リーという名に発展。
ジャケットには当人であろう肖像画があるが、ほぼすべての楽曲を演奏、歌唱したのは間違いなく彼、ただ一人。ステージ上でも女装してパフォーマンスするだとか。
全32曲約2時間というボリュームの作品が突如現るは、まるで令和の一夜城。驚異的で、かつ不気味。そのどれもが壊れたラジオから聴こえてくるかのようにローファイで、あたかも70年代へとタイムスリップしたかのようなシャッフル・ビート、ロックンロールは、およそ2024のトレンドではない。
歌詞もまたなにを指しているのかはよくわからず、それはどこまでも幽玄に響く歌声に同じ。ただ「月」という単語が多く、アルバム全体で夜がテーマにあることだけはわかる。個人的、よく晴れた午後に聴きたい作品ではある。と思いきや、二枚目からは陽も昇り始めたり。ほんとなんだこれ。
CDでいえば二枚組となるが、そのいずれも最終楽曲のタイトルに「天国」とあり、なるほど確かにどこまでも昇天してしまいそうな恍惚としたインストナンバーで作品は幕を閉じる。まるで夜明けから陽の光を浴びたヴァンパイアが粒子となって浄化されていくかのような(歌詞にもヴァンパイアが登場する曲あり)
少なくとも私はいつも裏切られたいと思っている。人と人の繋がりにおいては御免被るが、しかしエンタメや作品を楽しむという点において、予想だにしない展開とは、いつも心をわくわくさせてくれる。
ただ、この作品はそもそも予想する間もなく、一夜にして突如音楽史に燦然と屹立する金字塔と成ってしまった。規格外なボリュームともあって未だ全容を掴めず、しかし素晴らしい作品だとは断言できる。
それでも二枚目⑤曲目なんて急に謎のへったくそギターソロが響いたり、最終楽曲もぶつ切れにて突如作品は終了する。頭に「?」を浮かばせておいて、何一つ明確な答えはない。このローファイな音のように一切があやふや。
2024の音楽を語るうえで避け難きこの巨大なモノリス。今作をさしおいて他の作品を選出する理由がおよそ見つからない。オーキド博士だって三つのボール机からはじいて「これを聴け!」って勧めだす。およそ洗脳的。参りました。貴方が一番です。マジでなんなんだこれは・・・。
終わりに
いつものこととはいえ、ただその日の気分でいくらでも順位は入れ替わったし、数年後見返した際「うそでしょ?」と思ったりするんだろう。今年は本当に難しかった。正直に言えば、去年のほうがよほど楽しかった。
それだって面白いし、ただシンプルに2024を音楽から切り抜いた記事、という観点でも、やっぱり面白い。いつか見返すときの、あくまで個人の日記として。
この後はオマケの選外傑作を数枚アップしたのち、ベストトラック60記事にバトンは渡ります。有閑な方がいらしたら、是非に。
選外傑作
~という名のただ言及したいだけのコーナー~
Asian Glow「Unwired Detour」
Parannoulとともに韓国シューゲイザーとして台頭した一人。残念ながら本作を以て活動休止となったが、変名から音楽活動は継続。と思いきや、Bandcampにて本アルバムのページは消えるも、代わり新曲の投稿が。早くも復帰の兆しあり?
打ち込みと生音の融合から、ノイズによるアレンジがとにかく独創的なのが気に入っている要素の一つ。新感覚。今作は曲単位としては心のフックに引っかからずランク外となったが、トータルとしては変わらずお気に入りです。
BUMP OF CHICKEN「lris」
ライブからリスナーとの繋がりを一つのキーワードとして制作されたようだが、中々どうして全ディスコグラフィーの中で最も平坦な一枚に。自分自身でも驚き。まさかBUMPにてこんなにも引っかからない作品が出てくるとは・・・。
とはいえ悪いばかりでなく。①はバンドシーンでもあまり例を見ないアイリッシュ音楽に精通ある藤原さんらしさがあるし、④のおもちゃ箱をひっくり返して子供が駆けていくようなどたばたサウンドは「SPY×FAMILY」のタイアップとしても納得。
またベース直井さんの不祥事→活動休止中に産まれた⑦、からの⑧曲目タイトルが「邂逅」というのもまたストーリー性があり、⑪では現行BUMPをストレートに体現したシンガロング、ライブアンセム的ナンバーも。ラスト⑬もひたすらに真っすぐ明るい。この辺りの「明るさ」は、おそらくは結婚とも因果関係があるはず、と邪推。
それでもやっぱり、音楽的な探求は別作品に比べ浅くなってしまったように、私は感じた。当たり障りがなく心地良くて、ゆえに飽きも早い。ただ、今のBUMPを端的に紹介するならば、今作はうってつけかもしれない。
Real Estate「Daniel」
まったくもってランクインもあり得た、Real Eatateの中でもお気に入りの一枚。もうちょいサイケ要素がブレンドされないかなぁ。
Nilüfer Yanya「My Method Actor」
Mount Kimbie「The Sunset Violent」
Hiatus Kaiyote「Love Heart Cheat Code」
Mannequin Pussy「I Got Heaven」
この辺も好印象だが、曲単位としてはパワーの低さを感じランク外に。ほんとに、みんな違ってみんなええ。
Nilüfer Yanyaは記事の作業を終えたのち愛着も沸いてきて、今ならランクイン足りえたかもしれない。そうやって考え始めると全ての作品にそう言える。なんなら去年、それ以前のランキングにも。
だからこそ、ちゃんとその年にランキングをする、という行為にも意味合いが生まれるのかもしれない。未来から見て歪。その差異を楽しむもまた、ランキングの面白さ。
The Smile「Cutouts」
まず同年内に二枚も作品をリリースこと自体、素晴らしい。さすがに今作は若干のアウトテイク集的雰囲気はあるが、もし彼らが無名の新人だったのなら、驚きをもって迷わずランクインさせたはず。
もし私がバンドマンだったとして、こんな簡単にこのレベルの楽曲をほいほい出されたら、作曲なんぞ簡単にやめちまうだろう。創作の鬼。
How to Dress Well「I Am Toward You」
R&B旺盛期は去り、同時に彼の名もあまり聞かなくなってしまったが、前作と合わせて実験的なサウンドとポップが同居しており、中々どうして今でもお気に入りの一人。楽曲にもよるが、LOWの名盤「Double Negative」とも親和性のありそうなノイズとの融合も聴きどころ。
Fat Dog「WOOF.」
ご多分に漏れず私も⑤でやられた一人だが、いざリリースされた1stは思いの外ストレート。正直に言えば、音楽的要素にそこまでの深みはなく。来日決定からのインタビュー記事を見、良くも悪くも「やっぱり」と思った次第。
とはいえ全体的に好印象。これからもふとしたきっかけで聴きたくなる魅力あり。次の2ndはどうなるか要注目。彼らの本質はライブなんだろうけどね。
Kiasmos「Ⅱ」
それぞれに本活動があり、このデュオはサブプロジェクト。とはいえ1stから約十年振り、待望の二枚目。もう再始動はないかな、と考えていたので、単純にリリースそのものが嬉しい事実。
二人とも音楽と自然の調和を大事にしていて、それは個人的、外で聴く音楽が結局一番耳に響くと感じる自分にも共感できる部分。それは曲にも色濃く反映されている。まっことランクインに迷った一枚。
Vampire Weekend「Only God Was Above U」
ジャケット、タイトルからしても名作の気配ぷんぷん。2008年デビューから今も根強い人気ありながらも、この5枚目にて過去評価を更新する勢い。作品をリリースする度、「今」を真摯に捉える巧みな歌詞も健在。
実際すべての楽曲が高水準だし、こと⑤のスネアの位置なんて本当に2024。私みたいな海外文化の素養ない人間でもすんばらしい作品と断言できる材料はふんだんにある。
ではなぜランク外かというと、ここまできてようやく気付く、「やっぱりそんなにこの人たちの音好きじゃないわ・・・」という事実。曲によってはライブラリの再生回数もそこそこ多いし、ハマりかけた瞬間もあった。しかし、どうしても心の底までは響かない不思議。
これからも新譜が出たらきっと聴くと思う。いつかこの価値観がひっくり返るような作品もリリースされるかもしれない。ただ、色々な音楽を聴いているのだから、少しぐらいこんな立ち位置のバンドがいても悪かない。今はそんな感じ。
CAN「Live in Paris」「Live In Aston」「Live in Keele」
ライブアルバムは個人的ランキングの性質とは少し違うと感じ、除外に。しかし、けしてただディスコグラフィーを埋めるために追っているわけではない。
聴いた人ならわかるだろうけど、本当にこのバンドはライブが桁違いに素晴らしい。音で宇宙を作り出す天才たち。ことヤキ・リーベツァイトのドラミング。これでも一応人前でドラムをしばいたことがある身としては、もう本当にリズムマシーンそのもの、化け物。
元のキーやテーマはあるものの、音源通りに演奏している楽曲なんてただの一つもない。こんなアヴァンギャルドなスタイルで連実連夜演奏する、およそ変態的パフォーマンスでここまでの人気があったという事実。聴いたからには紹介せざるをえないです。圧巻。
後書き
ぶっちゃけてしまえば、腑に落ちないというかなんというか・・・去年はまだ個人的突き抜けた作品も多くあり、比例して言葉にしてみたい気持ちも強くあった。
今回も作品によっては当然それぐらいの熱量もあったのだが、俯瞰して見ればやはり冒頭に同じ、平均点は高いが落ち着くところに落ち着いてしまったものが多い印象があった。同時に、ジャンルも今年はより幅が狭まったような・・・。
あるいは、私もなまじ鑑賞経験の長くなった今、感性のアンテナがしなしなになってしまったのかもしれない。シンプルに巡り合えていない気もする。旧譜掘るのに夢中になって、新譜をおざなりにした時間も多かったかもしれない。それでも50枚以上は聴いたし、聴き逃したものは記憶にあるだけで軽く数十枚はあるが。(今年は自分史上最大数の新譜)
それでも聴かずにはいられない。新しい音楽を知れば知るほど、その続きが気になって聴きたい音楽=アルバムはまた増える。ストリーミングで軽く聴いて、肌に合わなければ次でいいのに、買ったからにはと何回もリピートする。そのうち印象が変わって「やっぱいいじゃん」とか気づいたり・・・
つまりは、まるで恋人。これは多分、音楽のみならず様々な趣味でも同じようなものなんだと思う。
何かしら、読んでいただいた方々の生活に少しでも彩りが足されたのなら幸いです。この後は2024トラックベスト60にて。