4/08 近況

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推し「勇気ちひろ」が秒で転生してから早いもので二か月が経過した。それとは直接関係はないかもしれないが、少なくとも間接的な影響はある。また、文字にする=アウトプットすると頭の整理にもなるので、ここいらで一度言葉にしてみようと思う。己のためにも。



1.何してた?

たまにコメント(のようなもの)をしていた手前隠さずに言葉にするが、当然のように配信は追っていた。

推し時代に躍起になって掘っていたアーカイブ起こし作業からその癖は抜けず、かなり簡略化されたものの、実は今も文字起こしは継続している。転生当初こそ比較的ショートな配信時間で楽だったが、ここ最近にて少しずつその時間も長くなり、中々大変な瞬間も増えてきた。

内容に関してはどれもこれもとりとめがなく、また本人もマイペースに楽しんでいるようで、特に言葉にしたいほどのような出来事はなかったように思う。ミクロでいえば正直山ほどの言葉は出てくるのだが、ただ口うるさいだけでもある。

直近で言えば、何かと波紋起きそうな「転生後初のAPEX大会」(ついでにコラボも実質初)があったが、終わってみればなんてことはなく、ただただAPEXカスタムはいつでも楽しい、という、シンプルながら素晴らしい本質が今一度掘り起こされたのみとなった。次もあれば是非観たい。てかみんなもっとAPEXやろう。渋ハルさんおじじさん、なにとは言いませんが待ってます。

ファンからすれば、何といっても最初のファンミーティングが直近最も大きな出来事だろう。しかし、私は勇気ちひろ時代から表明している通り、何があってもオフイベントにただの客として足を踏み入れることはない。握手会なんぞたまったもんじゃない。誰にもその素肌を見せてくれるな。手袋でも無理。とか、相変わらずガチ恋勢らしいこじれた想いもあったりする。

それ以外では、推し活から解放された反動、また急激な空白時間=リソースの増加から暇を持て余しつつ、ここ一、二年で封印していた積み漫画や本を崩したり、同じ映像コンテンツとして食傷気味だった映画鑑賞を再開したりしていた。
(補足しておくが、何も推し活は嫌々していたわけではなく。ただ結果として、最後まで「自分には合わない文化だった」という想いがある。純粋に「誰かを応援すること」という行為そのものが肌に合わず、とかく下手糞だった。だからこそ、あえて苦手な物事に挑戦してみよう、と考え、行動してみたのだが。当然勇気ちひろに嫌気がさしたわけでもない。むしろ彼女はとても推しがいのある女性だった。彼女が推し活対象でなければ、きっと推し活途中で興味が冷め、何か別のコンテンツに手を出していたことだろう)

転生後も配信は追っていたのだから、それもほとんど推し活のようなものではあるのだが・・・いや、ただのストーカーか。ここでは割愛。




2.燃え尽き症候群?

問題は何をしていたか、ではなく、その後のメンタル不調にある。個人的。

メンタルに関しては複合的な要素があり、何も推し活を終えただけが原因というわけではない。むしろ、当初は転生後の彼女がどんなことをするのかにわくわくしていたし、私もまた久々に自由な時間を得た気持ちになり、開放的ではあった。

しかし、彼女の口から出てくる「やりたいこと」は、そのほとんどが私とはおよそ無関係なものであり、また私もまるでテレビのザッピングのように日々配信鑑賞をしたり、本を読んだりしているうち、次第に不感症というか、何をしていても最後に必ず「虚しさのようなもの」を感じるようになっていった。

思い返せば、推し活中は「どうせやるなら」と全力だった。夢中、と言い換えてもいい。その火がふっと急に消えたのだ。無理もない。これが燃え尽き症候群、というやつなのかもしれない。

何かを変えねば。
そうは考えても急に目標ができたりすることもなく。映画や本を読んでいるうち何かヒントを得られるかも、と、最初こそ楽観的だったが、大きく引っかかるようなこともなく、ただ時間は過ぎて、虚しさは積もった。

気温の変化から花粉症、桜の芽吹くうち、嫌でも時間の経過を肌で感じ、かつての推しも何事もなく順風満帆。すべては喜ぶべき出来事。しかし、画面の向こうと対比して、私はただそこにいるだけ。急にすべてに取り残され、強い孤独を感じるようになった。

とはいえ推し活当初から独立独歩。混ざるわけにいかぬ不純物。同担拒否というわけではないものの、初めからそのつもりで活動はしていた。だから、そのうちこの感情とも仲良くなれる。そう考えていたのだが、目標があるとないとではその熱量も違ってくるのか、急な胸の空白は中々埋まることはなかった。

じゃあ推し活を再開すれば?
という話なのだが、物事はそう単純でもなく。これには色々と考えや想いもあるのだが、何よりも「推しに依存するということ自体、推しを応援するという推し活の本質から遠ざかってはいないか」と私は考える。推しが良くたって、私が嫌なのだ、そんな関係は。依存の対象にするということは、すなわち相手に対しリスペクトを欠いている。そんな気がするから。基本的に対等な関係となるパートナー同士とはまた違って。

配信鑑賞のふとした瞬間や、映画の物語展開、漫画や本のワンセンテンスからのパンチライン等、不意に心が沸き上がって、何とか立ち上がれそう! と思える瞬間もあるのだが、そもそも心の蝋燭そのものが短いためか、すぐに火種は消えていく。どうやら私の春はまだ遠いところにあるようだ。

それでも音楽鑑賞だけはいつも続いていて、それだけは何だか私がまだこの世界と繋がっていてもいいような、そんな気にさせてくれた。蜘蛛の糸にしがみつく犍陀多みたいに。

直近だとこの曲の歌詞がとにかく沁みた
バスはほとんど乗らないけど
窓の向こうに観える景色はきっとこんな感じ


そんな具合で、頑張ろう→いや無理、のループから抜け出せないまま今に至る。とはいえこれも通過点。今まで幾度となく経験してきた、所謂「自分って世界一可哀そう」という感情の一つ、かまってちゃん。

どうせ腹は減るし、屁もこいて、うんこだってする。人間という生き物は、いつでも可笑しくなれるようにできている。シリアスとギャグはバクマンから学んだ。どうせそのうち、意味もなく心の底から笑えたりする日々に戻れるのだろう。何がきっかけかもわからぬうちに。

余談ですが、体調不良のうちはSNSにあまり顔を出さなくなります。チェックしたりもしますが、ただデジタルな文字の羅列が上から下へと流れるのを眺めるだけ。このまま消えたい=存在の痕跡を残したくない、みたいな。リアルに繋がりある人ならLINEやら他で連絡できるし。うーん病んでるぅ。




3.これからどうする?

色々考えたが、別にどうもしない。未来は誰にもわからない。心の赴くままに。

体調不良ではあるが、重症ではない。これくらいのしんどさはきっと、現代人なら誰しもが担いでいて当然。甘えてばかりもいられない。何かのせいにもしたくない。そのうちに良くなるはずだし、毎回そうやって一人でも快方に向かったのだから、今回もきっとそうなるはず。立ち止まらず、常に転げていたい。ロックン・ロール。

まぁでも、甘えたさはいつでもある。ここにフィジカル体調不良も加わればもう終わり。シンプル「ヘルプミー!」状態。病人時かぐや様みたいになる。いやおっさんがそれはきついって。

とりあえず、休日テレビ(配信)をただぼーっと眺めていたら一日が終わった、という過ごし方には問題があるように思う。少しずつ距離を置くようにはしたい。それでも目下ストリーマーRUSTはどうしても気になってしまう。観たい視点は今のところないのだが、だるまさんが復活すれば、あるいは。

転生した彼女の動向も気になるが、これから先もおおよそうまくいくような気はしている。推し活は終わったのだ。私のような厄介リスナーなぞいない方が良いに決まっている。それに、何となくだが多分ストグラにも手を出す気配がある。そうなったらいよいよだ。思えば、ストグラから私のメンタルはずっと不安定だった。

それでも、ただシンプルに推し活を楽しめている人たちを、時々羨ましくも思う。それって一体、どんな気持ちなんだろう、と。

私のこのこじれた感情はAPEXでのバグよろしく、またK4senさんのLoLに対する言葉を借りて、複雑なコードとコードがスパゲティのように絡まって、もう二度と元には戻せない。

また彼女も発言した通り、代わりはいくらでもいる。隣の人と同じ推し活をするぐらいなら、隣の人に任せておけばいい。

だから、最終的な結論をほじくり出すのなら・・・パートナー欲しいよなぁ! ってこと。ファンミなんて同じ趣味の集うオフ会同然。ヤリ目は論外だが、しかし体から始まる恋愛もあったっていい。彼女は否定するが、私は是非に推したい。

者ども! 出会え出会え! 世は戦場と同時に、春ぞ! 代わりがいくらでもいるこの世界で、たった一人のパートナーを見つけ出すことの、それがどれだけ尊いことか!

誰か一人をろくに応援できない人間が、誰かに応援されるなんてことはない。私がそれを体現している。逆に言えば、推し活上手は恋愛上手とも捉えられる。それってなんだか、素敵なことだと思う。

という、これまた意味不明にこじれた結論をもってこの駄文を終わりにしたい。本当は別に言いたいことがあったんだけど、ベッドで眠るうち忘れてしまった・・・

だから、メンタルがおかしくても何とか生きていける。でも、できれば誰かと生きたほうがいい。この世界って独りだとしんどいらしい。GG。まぁ、なんとかなる。彼女の言葉を借りるなら。




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